【石見銀山の歴史以前の金属関連の動き】
自然金など元素鉱物を利用
鉄と銅(青銅)の利用が始まる(大陸から輸入?)
仏教の交流に伴い金属利用が活発化
対馬で銀鉱山発見
伊予から銀が朝廷へ献上
各地から銅鉱、朱砂(水銀)、雄黄(ヒ素)が献上
丹波から錫が献上
大宝律令
国内に銅鉄を出せる処ありて官未だ探らざるは百姓私に探るを聴す。もし銅鉄を納めまたは庸調を折充するものには官採の地においても聴す。
対馬から金の献納
鉱山技術者を全国に派遣
武蔵から自然銅の献上。和同開珎の鋳造
大仏の鋳造開始
日本三代宝録に都茂の産銅記述
【石見銀山と国内外の動き】
大内氏による銀の採取
「石見銀山旧記」には、山口の大内弘幸が仙ノ山で銀を採ったと書かれています。
室町幕府の成立
佐毘売山神社が銀山に勧請される
山口の大内氏が益田の比礼振山から、鉱山をまつる佐毘売山神社を勧請したと伝わります。
コロンブスによる「アメリカ大陸発見」
バスコ・ダ・ガマがインド航路を発見
大内義興が邇摩郡大国村八幡宮を建立する
大内義興が巡村に訪れ、温泉津宝塔寺に止宿する
筑前国(福岡)博多の商人、神屋寿禎が石見銀山を発見、開発する
製錬技術の灰吹法が石見銀山に伝わる
尼子詮久が石見銀山を攻略する
大内義隆が尼子氏から石見銀山を奪回する
柳緒宗が罪に問われる
朝鮮人の柳緒宗は、鉛を使って銀を製錬する技術を倭人に伝授したとして、罪に問われました。朝鮮半島からの灰吹法の伝来を傍証する出来事です。
尼子詮久が石見銀山を攻略する
佐渡鶴子銀山(新潟)が発見される
生野銀山(兵庫)が発見される
石州の銀掘、下財、銀吹などによって、幾つもの間歩が開発されたと伝わります。
日本国王の使、安心東堂が朝鮮国へ銀8万両(約3200kg)を持ち込み、買い取るように要求する
仙ノ山の昆布山谷で大水がでて、1300余人が流される
石州の銀掘、下財、銀吹などによって、幾つもの間歩が開発されたと伝わります。
ポルトガル船が種子島に漂着。鉄砲が伝来する
南米のボリビアでポトシ銀山が発見される
ポルトガル人の宣教師ザビエルが日本にキリスト教を伝える
ザビエルが書簡で日本について「プラタレアス群島(=銀の島)」と記す
毛利元就が石見へ侵攻。銀山を領有する
メキシコで製錬法の一種、水銀アマルガム法が導入される
尼子晴久が銀山を領有する
毛利元就が正親町天皇即位式に際し、石見銀2000貫目(7500kg)を献上する
毛利元就が銀山を領有する
毛利元就が温泉津に鵜丸城を築くよう命じる
細川幽斎が大田市五十猛町大浦から仁万、銀山を経由して温泉津恵コウ寺に止宿する
豊臣秀吉が全国を統一する
豊臣秀吉は長崎に入港した明船から鉛硝を購入するため、蔵米12000石を石見銀山に送り、代わりに銀を長崎へ送らせる
佐渡鶴子銀山の本口間歩が石州忠左右衛門、弟の忠四郎、石田忠兵衛によって開かれる
関ヶ原の戦い
徳川家康は銀山周辺の7ヶ村に禁制を発し、直轄化を図る
大久保長安が初代銀山奉行となる。銀山附役人の吉岡隼人が銀山調査のため、伊豆(神奈川県)の湯ヶ島へ派遣される。
安原伝兵衛が釜屋間歩を開発し、1年間に3600貫(約14トン)の運上銀を徳川家康に上納する
石見国内の検地が始まる
江戸幕府の成立
安原伝兵衛は将軍家康に面会し、「備中」の称号と辻ヶ花染丁字文胴服を拝領する。
石見銀山附役人宗岡弥右衛門が佐渡金山へ派遣される。
邇摩郡小浜村、温泉津村の検地が行われる。
銀山と温泉津の地銭免除の高札が建てられる。
大久保長安から銀山役人の長野勘右衛門に対し、「水かねなかし」(水銀精錬)の様子を見回るよう指事する。
竹村丹後守による検地が始まる(寅のお縄)
大坂の陣に、石見の銀掘300人が大坂城の堀水抜きのために動員される。
石見銀山役人の静間甚左衛門、野田三郎兵衛が佐渡役人となる。
1200貫目余りの諸運上灰吹銀を上納するという。
銀山山役が大幅に減少する(銀山の衰退)。銀山衰退により、小浜村「馬札役」が減額となる。
ポルトガル船の来航禁止(鎖国完成)
奉行すぎた九郎兵衛の時、銀山を取り囲む木柵の代わりに松を植えさせる(垣松という)。
温泉津が西回り航路の寄港地となる。
灰吹銀高の記載が始まる(灰吹銀と丁銀引替制の実施。
拓殖伝兵衛以後、奉行から代官による支配となる。
銀山領の江戸・大坂廻米始まる。
柑子谷元泉山(仁摩町大国)の掘削が開始される。
銀山領において山役が設けられる。
幕府が諸国の金銀銅山の試掘を奨励。
銀山総間歩数は127口
休谷に新切山が掘削される。
徳川吉宗が将軍となる(享保の改革が始まる)。
“芋代官”井戸平左衛門が大森代官となる。
享保の大飢饉
温泉津町大火、本屋30軒、借家58軒、土蔵9棟が消失。
半田銀山(福島県)へ石見銀山附役人が派遣される。
銀山領の長崎廻米始まる。
永久稼所の始まり。
足尾銅山(栃木県)へ石見銀山附役人が派遣される。
銀山役人7名が罷免される。
大久保山が五ケ山となる。
「寛政の大火」によって大森町3分の2が消失。
銀山附役人、大賀覚兵衛が「石見銀山要集」(石見銀山旧記)を著す。
通気管図面及び「済生卑言」など鉱山病対策に関する諸書類を但州、羽州、奥州、野州等の諸鉱山へ送る。
明治維新 大森県が置かれる。
藤田組(現DOWAホールディングス)による経営の開始。
清水谷製錬所の完成。
休山となる。