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ここまでわかった石見銀山2017 石見銀山の鉱床(要旨)

1.鉱床の特性と16世紀のシルバーラッシュ

 石見銀山(大田市大森町)は16世紀に前半に本格的な開発が始まり、一時は世界屈指の銀鉱山として世界の人と文化の流れを生み出す原動力となった鉱山である。石見銀山の鉱山としての規模は、銀産出量でみると国内では佐渡金銀山(新潟県)、生野銀山(兵庫県)あたりに次ぐ規模であるが、世界的には小規模な部類に過ぎない。その小さな鉱山が「大銀山」となった背景としては、社会的要因や地理的要因が注目されるが、鉱床の特性も無視できない。石見銀山の鉱床と鉱石は、16世紀段階の技術において、「掘りやすく」、「取り出しやすい」ものであった。その特性は仙ノ山(標高537m)が特殊なタイプの火山体で、その火山体がマグマに由来する熱水活動で鉱化されたことと関わり深い。

2.石見銀山の鉱床

 石見銀山の鉱床は、「福石鉱床」と「永久鉱床」に大別されている。福石鉱床は仙ノ山の山頂付近から東麓の本谷地区にかけて、永久鉱床は仙ノ山西麓から要害山(標高414m)の山麓にかけての範囲とされる。いずれも熱水鉱床で、福石鉱床は鉱染型(注1)、永久鉱床は鉱脈型という違いがある。いずれも銀鉱物を含むが、銅鉱物の量に明確な違いがあり、福石鉱床は銅鉱物が乏しく、永久鉱床は比較的多い。  鉱床を胚胎する仙ノ山と要害山はいずれも大江高山火山に属する火山である。大江高山火山は、大江高山(標高808m)を最高峰として多数の溶岩円頂丘が集まるもので、概ね200万年前から80万年前頃にかけて活動した。仙ノ山は約150万年前頃に形成されたもので、この山は大部分が火山礫と火山灰で構成された「火山砕屑丘」(注2)である。火山砕屑丘としては異例の規模で、国内では最大とされている。

(注1)岩石自体の中に有用な鉱物を溶かし込んだ熱水が浸透して鉱石鉱物が二次的に生成されてできた鉱床。

(注2)一般的な火山砕屑丘は、小規模な爆発的噴火によって火口周辺に軽石やスコリアが堆積してできたものが多い。仙ノ山は、それらとは異なるタイプの火山砕屑丘。

3.福石と福石場

 福石鉱床は、火山砕屑岩が熱水による鉱化作用を受けて鉱石化した「福石」(注3)を産出した。福石鉱床は「鉉」(注4)と呼ばれる高品位の脈石も伴うが、鉉は最大でも幅数cm程度の小規模なものに限られ、鉱石の量としては福石が圧倒的に多い。福石は岩石中の小さな空隙に銀鉱物などが沈殿してできたものであるため、品位としてはそれほど秀でてはおらず中程度(注5)であるが、その産状と岩質から、採掘効率が抜群に良かったと考えられる。  鉱化作用をもたらした熱水の通り道は鉉となり、その規模は小規模であるが、熱水は鉉周辺の岩石中にも浸透し、鉱化させている。熱水の通過量が多い部分では、立体的な広がりを持って鉱化しており、そこを採掘した空間は「福石場」と呼ばれ、福石鉱床の地下に何箇所も存在している。福石場は、鉱石が立体的に広がっているため、大人数が同時に採鉱作業を行うことができる。その岩質は比較的柔らかく掘りやすいことが特徴である。また、岩質の柔らかさゆえに坑内の落盤の危険性が比較的低いことも採鉱作業には好都合で、石見銀山の採掘効率の高さは、手掘りの時代においては大変優れていたと推定される。

(注3)福石は石見銀山の鉱染型鉱石に使われたローカルネーム。

(注4)石見銀山では鉱脈のことを鉉と呼んだ。

(注5)福石の平均的な銀品位は200〜300g/tとされ、品位の上では近世以前の鉱石としてはそれほど優れていない。

4.福石と灰吹法

 石見銀山は、国内他鉱山に先駆けて灰吹法の導入に成功した。灰吹法の原理(注6)は紀元前から使われていたが、石見銀山に導入された技術は、溶錬時に鉱石とともに鉛を投入する点が、原始的な灰吹法とは異なっている。  銀と銅を含む鉱石の場合、灰吹法では含銀銅までしか取り出すことができず、高純度の銀を得ることが難しい。しかし、福石は銅鉱物をわずかしか含まないため、灰吹法のみで良質の銀を得ることができた。福石に含まれる鉱物の種類が当時の最新技術である灰吹法に適したものであったことは、石見銀山隆盛の一因と言えるだろう。

(注6)石見銀山以前の銀生産は、自然銀の採取か、含銀鉛鉱物を燃焼し続けて、最終的に灰の上に銀が残る原始的な灰吹法で行われた。

5.福石鉱床と永久鉱床

 ひとつの山体にタイプが異なるふたつの鉱床がそれぞれ独立して存在することは、石見銀山の大きな特徴のひとつである。その成因はまだはっきりと解明されていないが、一連の熱水活動のもと、鉱床が形成された部位の地表からの深度、岩質の違い(注7)、地表付近の地下水との反応の有無などによってタイプが異なる鉱床が形成された可能性が指摘されている。  一連の熱水から銅と銀の鉱物が沈殿する場合、銅はやや高い温度、銀は低い温度でも沈殿が生じる。石見銀山では、鉱床形成時の温度は、福石鉱床で100℃を超える程度、永久鉱床では150〜220度Cと推定されている。永久鉱床の方が地表から深くで生成されており、マグマに近いことと高い圧力がかかることで水の沸点が高いために温度が高い熱水が岩盤中を通過しながら、鉱物を沈殿(注8)させた。福石鉱床は地表に近い土砂状の堆積物中で形成されており、圧力が低いことで沸点も低下し、地下水との反応も起こりやすい。そのため、熱水はまず永久鉱床の岩盤中で銅、銀を沈殿させ、福石鉱床の土砂状堆積物中で銀を沈殿させた。つまり、福石鉱床と永久鉱床は上下の関係にあり、連続している可能性がある。

(注7)火山砕屑岩中にある福石鉱床に対し、永久鉱床は新第三紀の凝灰岩、第四紀の堆積岩、貫入岩中にある。

(注8)熱水の温度低下のほか、ガス成分が抜けることなどによる熱水の化学的性質の変化に伴って鉱物の沈殿が生じる。

6.まとめ

 16世紀に石見銀山がシルバーラッシュの「発火点」となった要因のひとつは、この鉱山の鉱床の特性にあると考えられる。当時の技術においては、採鉱、製錬の両面で‘扱いやすく’、‘生産性が高い’鉱山だったと言える。鉱床の特性は、地質的特徴に起因しており、特に火山砕屑丘である仙ノ山上部にある福石鉱床が石見銀山の主力であった。明治時代に作成された測量図には、福石鉱床の複数箇所に「福石場」と呼ばれた巨大採掘空間が記載されており、この鉱床の特性を如実に物語っている。福石の鉱物組み合わせは、灰吹法による製錬に適したものである。これら鉱床の特性と社会的背景が組み合ったことで、石見銀山はシルバーラッシュを引き起こす存在に成り得たと言えるかも知れない。

中村唯史(島根県立三瓶自然館)


世界の主要銀山の現在の産銀量と国内の主要銀山の総産銀量

世界の主要銀山の現在の産銀量と国内の主要銀山の総産銀量

明治時代にわずか1年半の操業で終わった清水谷製錬所

明治時代にわずか1年半の操業で終わった清水谷製錬所。近代の技術を導入しても銀鉱山としては再生しなかった。鉱床の規模がそれほど大きくなかったことの証拠とも言える。

明治時代の測量図に記された石見銀山の坑道(間歩)

明治時代の測量図に記された石見銀山の坑道(間歩)。坑道群が東西に分かれていることがわかる。

石見銀山の地質図と鉱床の範囲

石見銀山の地質図と鉱床の範囲。東に福石鉱床、西に永久鉱床の2つの鉱床があるとされている。

東方(三瓶山山麓)から大江高山火山の山並み

東方(三瓶山山麓)から大江高山火山の山並み。写真のほぼ中央に仙ノ山があり、この山に石見銀山の鉱床がある。仙ノ山は大江高山火山の一角をなす火山で、おもに火山礫と火山灰で構成されている。

仙ノ山の岩石

仙ノ山の岩石。おもに火山礫と火山灰で構成された岩石は、鉱床の形成時には土砂状だった。写真の岩体は礫の間に空隙がある。

鉱染された仙ノ山の岩石

鉱染された仙ノ山の岩石。仙ノ山で生じた熱水活動により、岩石の空隙に鉱物成分を溶かした熱水が浸透し、鉱物を沈殿させたことで網目状の脈石が形成されている。鉱染型鉱床である福石鉱床の特徴をよくあわらしている。

明治時代に作成された福石鉱床の坑道測量図(部分)

明治時代に作成された福石鉱床の坑道測量図(部分、加筆)。緑色に着色した部分は広い地下空間となっており、「福石場」と記されている。福石鉱床には立体的な広がりを持ったコブ状の富鉱部があり、その存在のおかげで採掘効率が高かったと推定できる。

掘りやすい福石鉱床

掘りやすい福石鉱床。

選鉱の工程で鉱石を粉砕するために使われた要石

選鉱の工程で鉱石を粉砕するために使われた要石。石見銀山には多量の要石が残存する。採掘効率が高いことで多量の鉱石が採掘され、手作業で多量の鉱石を処理したことがうかがわれる。また、比較的柔らかい鉱石は、粉砕の作業効率も高かったと推定できる。

16世紀の製錬技術において、福石は銀を取り出しやすかった(製錬しやすかった)。

16世紀の製錬技術において、福石は銀を取り出しやすかった(製錬しやすかった)。

福石鉱床と永久鉱床

福石鉱床と永久鉱床の違いは、母岩が異なること、存在深度が異なること、銅鉱物などの鉱物の量比が異なることなどがある。鉱物組成の違いは、鉱床形成時のその「場」での温度、圧力などの違いで説明できる。

福石鉱床と永久鉱床の形成イメージ

福石鉱床と永久鉱床の形成イメージ。平面的に離れた場所にあるように見える2つの鉱床は、一連の鉱化作用で形成されたもので、鉱物組成の違いは、母岩の違いと深度による「上下」の関係で説明できる可能性がある。

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