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石見銀山の自然史

■日本の主要な金銀銅鉱山

日本の主要な金銀銅鉱山

主要な金銀銅鉱山


中世末から近世までの日本は金属生産が盛んな鉱山国でした。佐渡金山、石見銀山、別子銅山にそれぞれ代表される金・銀・銅はその象徴です。


日本における金銀銅の利用は弥生時代まで遡ります。古くは自然金や自然銀など製錬が不要な鉱物の採取から始まったと考えられます。
金属鉱山の開発は、社会情勢や鉱山技術の発展に応じて盛衰がみられます。
国内で鉱山開発が最初のピークを迎えるのは銅銭や奈良大仏などの鋳造が行われた8世紀前後で銅鉱山が開発されました。山口県の長登銅山はこの時期に開発され、その銅が奈良大仏鋳造に使われたことが知られています。


歴史的に古い鉱山には、13〜14世紀頃から開発が始まったという伝承が残るものがしばしばあり、この時期にも鉱山開発が盛んだったことがうかがわれます。石見銀山の場合も石見銀山旧記に14世紀初頭に銀を採取したと記述されています。


次のピークは16世紀後半から17世紀初頭。戦国から江戸への動乱期に多くの鉱山の開発が本格化しました。この時期は石見銀山に代表される「日本銀」の最盛期です。


明治時代には西洋から近代的な鉱山技術が導入されて、多くの鉱山が再開発されたり、新規に開発されました。日本の歴史の中で最も急速に鉱山開発が進んだ時期と言えるでしょう。その背景には、社会の急速な近代化とともに江戸幕府の長期政権と鎖国のもとで鉱山技術が停滞し、開発が低迷していたことが挙げられます。
明治時代に最盛期を迎えた別子銅山は、当時世界最大の銅鉱山で近代化を進める日本の外貨獲得に貢献しました。

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