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石見銀山の自然史

ミュージアムライブラリー

書庫には、石見銀山の解説資料等を掲載しています。

■銀山の港、鞆ケ浦と沖泊の地形

鞆ケ浦"

大内氏が銀山を支配した16世紀前半に使われた鞆の港。手前は友の集落

沖泊

毛利氏が支配した16世紀後半の銀の積みだし港、沖泊

石見銀山が世界の経済に大きな影響を及ぼした16世紀、その銀は仁摩の鞆ケ浦、温泉津の沖泊から船で博多や赤間関へ運ばれ、さらに東南アジアの市場へと流通していきました。

鞆ケ浦、沖泊は、リアス式海岸の狭く奥深い湾を利用した港です。仁摩から温泉津にかけてはリアス式海岸で、大小の湾が複雑に入り組んでいます。
その湾の中で、鞆ケ浦と沖泊が銀を積み出す港として選ばれたことには、地形的な理由がありそうです。


2つの湾には湾口が西へ向いているという共通点があります。当地の海岸は日本海に対して北面しているため、湾の大半は北へ開口しています。
北向きの湾は北西季節風が卓越する冬季に波浪の影響をまともに受けるという弱点があります。鞆ケ浦は湾口の北側に鵜ノ島が、沖泊には櫛島があり、北からの波浪が湾奥まで影響を及ぼしにくい形状をしています。
この点で、2つの湾は港としての条件に恵まれていると言えるでしょう。


鞆ケ浦、沖泊は、奥行きが深く狭い割に水深があり、また両岸は切り立った崖です。リアス式海岸の特徴でもあるこの地形は当地の岩質が影響しています。
当地に分布する凝灰岩は流水により浸食されやすいわりに崩れにくいため、V字谷が形成されやすい性質があります。氷期の低海面期に形成されたV字谷が海没してリアス式海岸が形成されたのです。
また、この港で船を係留するために使われた「はなぐり岩」も、当地の凝灰岩が加工しやすい岩質であったからこそと言えるでしょう。

福光石石切場

鞆ケ浦(左)と沖泊(右)。湾の形状や規模が似ていることに気付く

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