石見銀山遺跡について
石見銀山遺跡の範囲
石見銀山遺跡は、鉱山の中心、仙ノ山と鉱山街の大森町、開発初期の銀の積み出し港だった鞆ヶ浦(大田市仁摩町)、銀積み出しと物流拠点だった温泉津町、これらをつなぐ街道、防御のための城跡から構成されています。
石見銀山の歴史
「石見銀山旧記」の記載によると、石見銀山の本格的な開発は、1526年に博多の商人、神屋寿禎によって始まったとされます。製錬技術「灰吹法」を導入したことで銀の量産に成功し、一時は世界で1、2を争う生産量をほこりました。
→石見銀山の歴史年表
遺跡・史跡などの紹介
石見銀山遺跡内の遺跡、史跡、おもな建造物、地形などの基本情報を紹介します。
→石見銀山関連の遺跡・史跡等リスト
鉱山としての特徴
精錬技術「灰吹法」の導入によって、一躍世界的な銀鉱山となった背景には、石見銀山の鉱山としての特徴が深く関係していました。