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地層から学ぶ
大地の歴史

■日南町霞遺跡の火山灰層

中村唯史(三瓶自然館)・松井整司(島根大学汽水域研究センター客員研究員)


*財団法人鳥取県教育文化財団(2001)一般国道183号道路改良工事に係る埋蔵文化財発掘調査報告書II「霞遺跡群」で報告


 霞遺跡で遺物包含層の直下に火山灰層が確認された(注)。この火山灰は島根県中部に位置する三瓶火山に由来するものと考えられ,縄文時代中期または縄文時代後期の活動に伴って噴出された可能性が高い。


層序および層相

 霞遺跡は日野川右岸にあり,山麓の崖錘斜面と谷底沖積面の境界部に立地する。層序を大きく分けると下位から順に,花崗岩質の砂からなる日野川の河川堆積層,崖錐礫層,火山灰層,崖錘礫を含む黒色土壌層である。黒色土壌層が遺物包含層である。火山灰層は浸食で失われていることもあり,そのような所では河川堆積層に直接黒色土壌層が重なる。

 火山灰層は層厚30cm以下で,粗粒砂〜細粒砂サイズの粒子が主体である。火山灰層の内部は粒度と堆積構造の変化から3〜4枚の単層に細分できる(図1)。地層断面で観察すると単層内に正級化構造(粒子が上方へ連続的に小さくなる構造)が認められることや,層厚があまり変化せずに側方へ連続していることから,降灰が複数回にわたって起こり,それぞれの単層を形成したものと考えられる。


霞遺跡火山灰層柱状図

図1.霞遺跡の堆積層柱状図


火山灰の特徴と対比

 火山灰は明るい灰色を呈し,おもに石質の岩片からなる。発泡のよい軽石や火山ガラスは含まれず,鉱物は長石類,角閃石,黒雲母,鉄鉱物が多い。このような特徴は霞遺跡の西方50kmに位置する三瓶火山が完新世の活動で噴出した火山灰と一致する。なお,火山灰層の時期を示す資料は得られていないが,層相からみて火山灰層と上位の遺物包含層との間に大きな時間的ギャップがあるとは思われず,完新世の堆積物であることは確実と思われる。

 三瓶火山の完新世の噴出物では,縄文時代中期と縄文時代後期の活動(ここではそれぞれを角井期,太平山期と呼ぶことにする)に伴うものが量的に多く,火山体からある程度離れた地域でも降下火山灰が確認されている。たとえば三瓶火山から東方に13km離れた島根県頓原町恩谷では角井期は層厚約50cm,太平山期は層厚約30cmの降下火山灰層が認められる(松井・福岡,1996)。


「雲母比」による対比

 角井期と太平山期の噴出物は岩相や鉱物組成に明瞭な違いがないため,その識別は大変困難である。松井・福岡(1996)は三瓶山麓に分布する噴出物について,角閃石類と黒雲母の量比が角井期と大平山期で異なることを報告し,この比を「雲母比」と称した。

雲母比(%)=黒雲母の粒数/(角閃石類+黒雲母の粒数)×100

として雲母比を求めると,大平山期の噴出物は単層によっては20%を超える高率を示すことがあるのに対し,角井期は20%を超えることがなく,平均すると 大平山期>角井期となる。遠隔地に降灰した火山灰層についてもこの雲母比によって識別しうる可能性があると考えられる。そこで,霞遺跡および恩谷の火山灰層について雲母比を測定した結果を表2に示す。

 恩谷では角井期の火山灰層は4試料で雲母比が1〜3である。大平山期の火山灰層は2試料で7〜15で,明らかに大平山期の方が雲母比が高い。霞遺跡の火山灰層は雲母比が2で角井期の領域にある。遠距離を運ばれる過程で鉱物比が変化することは当然考えられるので雲母比の結果からは断定するには至らないが,霞遺跡の火山灰層は角井期の噴出物である可能性が高いと考えられる。


表1.霞遺跡の火山灰層と三瓶火山灰の雲母比

霞遺跡火山灰の雲母比

文献

松井整司・福岡 孝,1996:三瓶火山の浮布黒色土以後の火砕物の層序(その1)―東方に分布するものについて―。島根県地学会会誌,11,41-47。

(注)当初,島根県埋蔵文化財調査センターの角田徳幸氏より火山灰層の可能性があるとの連絡を受け筆者らが現地を訪れた。

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