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大田の地形と地質

地層観察の手引き

■三瓶山

三瓶山遠景

親子が遊ぶ西の原草原から男三瓶山(左)と子三瓶山(右)を見る。


 柔らかな緑に包まれた峰は姿美しく、山裾の草原で遊ぶ家族連れの歓声が響く。島根県のほぼ中央、石見と出雲の国境にそびえる三瓶山は、人の歴史と自然が織りなしてきたたおやかな景観が特徴の名峰です。

 その心優しい景観とは裏腹に、三瓶山の生い立ちは荒々しさに満ちています。三瓶山は約10万年前に始まった火山活動によって生まれました。男三瓶山(1126m)を主峰とする複数のピークからなり、これはデイサイト溶岩からなる溶岩円頂丘の集まりです。

 約10万年前、標高400〜500mのピークがなだらかに連なる石見高原の一角で火山活動が始まりました。7回の活動期があったことが知られており、最新の活動は4000年前です。粘り気が強いマグマによる火山活動は、噴煙を高々と吹き上げる大規模な軽石噴火を伴うこともありました。最初の活動期に噴出された「三瓶木次テフラ」は、東北地方でもその分布が確認されています。
約7万年前の第2活動期に大火砕流の「大田軽石流」が発生した際には、直径約5kmのカルデラが形成されました。カルデラはその後の噴出物でほぼ埋没されていますが、その範囲は山裾を取り巻く緩斜面として地形的に判別できます。約3万年前の第3活動期にも軽石噴火を行い「三瓶池田テフラ」を噴出しました。
約1万6千年前の第4活動期では、「三瓶浮布テフラ」をもたらした軽石噴火の後、デイサイト溶岩の噴出があり、溶岩円頂丘が形成されました。この時に形成された溶岩円頂丘の名残が日影山で、三瓶山で最も古い峰です。約1万1000年前に小規模な活動があり、約5500年前と約4000年前に山体の大部分が形成されました。

 縄文時代にあたる約5500年前と約4000年前の火山活動は、人類の活動にも直接、間接的に影響を与えました。三瓶山東麓の神戸川河岸では、テフラの上下から縄文時代の遺物が出土しています。避難を余儀なくされた縄文人がいたかもしれません。また、神戸川を通じて下流に運ばれた火砕物は、出雲平野西部の地形の原型を形成しました。
出雲平野西部には弥生時代の集落遺跡が集中しています。遺跡の多くは周囲より若干高い「微高地」にあり、その地盤は三瓶火山の火砕物でできています。三瓶火山は「古代出雲文化」を支えた人々が暮らした土地を作り出す役割も果たしたのです。

 現代の三瓶山は、人との関わりが深い山ですが、そのひとつの転機は江戸時代の前半、幕府直轄領だった大田に置かれた吉永藩が牧畜を奨励したことでした。三瓶山で牛の飼育が盛んになり、山裾から山腹の広い範囲が草原に変わりました。明治時代から第二次世界大戦が終わるまでは、草原は陸軍の演習地にも使われました。
現代まで400年近く維持されてきた草原は三瓶山の象徴となり、そこは希少な草原性植物の宝庫にもなっています。かたや、男三瓶山の北斜面には「三瓶山自然林」が広がっています。これらの環境が育む生態系の重要性と、火山地形と草原からなる景観が評価され、三瓶山は1963年に大山隠岐国立公園三瓶山地区として、国立公園に指定されました。登山フィールドとしても中国地方屈指の存在で、三瓶山は四季を通じて人々に親しまれ、愛されています。


→三瓶火山

→三瓶山の自然史(三瓶火山の歴史と三瓶小豆原埋没林)


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