タイトルバナー

大田の地形と地質

地層観察の手引き

■波根湖と久手干拓地

久手干拓地

菜の花が咲く久手干拓地。右奥の集落がある場所が波根湖をせき止めた砂州。


大田市久手町から波根町にかけて、国道9号線脇に広い水田地帯が広がります。潟湖を干拓して作った久手干拓地です。
この地には1950年まで「波根湖」がありました。波根湖は砂州によって湾が閉ざされた潟湖です。山陰本線が通り、周囲に集落が続く柳瀬から波根にかけての一帯が砂州にあたります。波根湖は海水も入り込む汽水湖でした。
波根湖の干拓は、当時の食料難を解消する目的で計画、実施されました。汽水湖の干拓はそれまであまり例がなく、海水に由来する硫黄や塩類が湖底堆積層(干拓地の耕作土となる)に残されているため、干拓当初は酸性障害や塩害に悩まされ続けたそうです。その対策法は、後の八郎潟干拓などで参考にされました。


旧波根湖堆積層は最大厚さ30mに達し、軟弱な泥の層からなります。その下部には、「年縞」と呼ばれる縞状構造が残っています。
明瞭な年縞は全国でも数ヶ所でしか確認されていない珍しいものです。旧波根湖堆積層からは韓国の鬱陵火山からもたらされた軽石も発見されています。約10000年前の噴火によって放出された軽石が海面を漂い、当時の波根湖の岸辺に流れ着いたものです。


かつて、波根湖から流れ出る水は、砂州の一部にあった川を通じて排水されていましたが、そこが閉塞しがちになるために丘陵の岩盤を開削して「掛戸」の水路が開かれました。地元の伝承では、14世紀初頭に地元の有力者、有馬氏が開削したと伝わります。古代から中世頃まで、波根湖は港として使われ、南岸には塔を有する寺院「天王平廃寺」がありました。


現在、久手干拓地では地盤沈下が進行しつつあります。厚い軟弱な泥層があるため、圧密沈下が進行します。軟弱な泥は多量の水を含んでおり、それが脱水することで堆積が縮小し、地盤沈下を引き起こします。沖積平野でよくある現象です。


波根湖の地形変遷史には、自然の作用と人の活動の結果として現在の環境が成り立つ過程が凝縮されていると言えるでしょう。→波根湖の地形変遷


掛戸と松島

波根湖の水を排水するために開削された人工水路「掛戸」の開削部分。


inserted by FC2 system