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大田の地形と地質

地層観察の手引き

■2.三瓶山の自然史(2)〜三瓶山の噴火がもたらしたこと〜

1)大噴火とカルデラの形成

 三瓶火山は約10万年前に活動を始め、約4000年前までに7回の活動を行ったことが明らかになっている。古い時期の活動では多量の軽石と火山灰を放出する大規模な軽石噴火(*1)を行った。第1活動期に噴出された「三瓶木次軽石」は、三瓶山から北東方向に広く分布しており、遠方では東北地方でも分布が確認されていて、日本の代表的な広域テフラ(*2)のひとつに数えられている。松江市付近では、段丘上などに50cm以上の厚さで堆積している。中海の大根島では大根島玄武岩(*3)の上に三瓶木次軽石と大山松江軽石が厚く堆積していて、この軽石土壌がボタンと薬用人参の栽培土になっている。

 約7万年前の第2活動期では大規模な火砕流「大田軽石流」を発生させた。火砕流は火砕物と火山ガスが一体となって流れる現象である。その堆積物は大田市の平野部で残丘として分布しており、その層厚は20mを超える。7万年前頃は氷期中で、海面高度が低かったため、当時の海岸線は現在より沖側にあったと推定される。大田軽石流は海まで達したと考えられる。大田軽石流を発生させた大噴火によって三瓶山には直径約5kmに達するカルデラが形成された。

 第4活動期までは軽石噴火を行い、溶岩の噴出は少なかったとみられる。大きな火山体は形成されず、火山活動後はカルデラのくぼ地と中央火口丘として火山砕屑丘が残る程度だったと思われる。カルデラ湖が形成された時期もあったかも知れない。

 カルデラ地形は第4活動期以降の噴出物で埋もれ、カルデラ壁は明瞭ではないが、地形的にはカルデラの範囲を容易に識別できる。カルデラの内側は三瓶火山の噴出物が分布していて、溶岩円頂丘のすそ部は起伏の小さななだらかな地形である。カルデラの外側は古第三系(*4)〜新第三系(*5)が分布していて、浸食谷が発達した丘陵地である。


三瓶火山の活動期と年代

図2-1 三瓶火山の活動期と年代


三瓶木次軽石(降下火山灰)の分布範囲と地層の厚さ

図2-2 三瓶木次軽石(降下火山灰)の分布範囲と地層の厚さ


*1 軽石噴火:プリニー式噴火。マグマの急激な発泡により軽石など多量の火砕物を放出する爆発的な噴火。噴煙を1万m以上の上空まで噴出し、地球規模で気候に変化を与える場合もある。

*2 広域テフラ:空中に放出された軽石や火山灰を総称してテフラと呼び、広い範囲に分布して地層の年代を知る指標となるものは広域テフラと呼ばれる。代表的なものに、約2.7万年前の姶良Tn火山灰(AT)、約7300年前の鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah)がある。

*3 大根島玄武岩:大根島は約20万年前に活動した火山で、玄武岩溶岩の噴出によって形成された溶岩台地。噴火は陸上で起きたが、海面上昇によって島になった。

*4 古第三系:約6500万年前から約2500万年前までを地質時代で古第三紀と呼び、その時代に形成された地層、岩体を総称して古第三系と呼ぶ。

*5 新第三系:約2500万年前から約340万年前までを地質時代で古第三紀と呼び、その時代に形成された地層、岩体を総称して新第三系と呼ぶ。


2)現在の山体ができるまで

 三瓶山の峰はデイサイト溶岩からなる溶岩円頂丘で、太平山だけは火砕物が堆積してできた火山砕屑丘とされている。山体の中で最も古い部分は南側に位置する日影山一帯(*1)とされ、約1万6000年前の第4活動期に噴出された溶岩である。第4活動期には、大規模な軽石噴火(三瓶浮布軽石)と溶岩の噴出を行った。

 日影山以外の山体は、大部分が第6活動期(約5500年前)、第7活動期(約4000年前)の噴出物で構成されている。なお、約1万1000年前の第5活動期の噴出物は、火口から数kmの範囲に少量の火山灰をもたらしている程度で、大規模な溶岩噴出はなかったとみられる。

 第6活動期、第7活動期は、比較的ゆっくりとした溶岩噴出により溶岩ドームを形成し、時折、数千mの高度まで噴煙を上げる爆発的な噴火を行った。この時期の噴出物は発泡度が高い軽石(*2)をほとんど含まず、結晶化が進んだ岩片が主体で、マグマの上昇速度は遅かったと推定される。溶岩噴出で形成される溶岩ドームは、爆発的な噴火や形状の不安定化により一部が崩壊することがある。1990年〜1995年の雲仙普賢岳の活動では、火砕流の発生回数は6000回を超えた。三瓶山の第6活動期、第7活動期は、その規模(*3)に勝るとも劣らないものだったと推定される。崩壊を繰り返しながら溶岩ドームが成長し、男三瓶山、女三瓶山、子三瓶山、孫三瓶山が形成された。

 三瓶山のそれぞれの峰は個別に成長したと推定されるが、以前は大きな山体が爆発的噴火によって壊れた残骸が個々の峰という見方もあった。各峰の形状は均整がとれていて、個々に形成された溶岩円頂丘と見るのが妥当である。各峰が環状の配列に形成された後、中心部の低地で最末期の爆発的噴火が生じ、太平山など火口縁の地形が形成されたのであろう。

 男三瓶山の山頂には、第7活動期の噴出物の上に、クロボク層を挟んで厚さ50cm程度の火山灰層が重なる。クロボク層からは2000年前前後の放射性炭素年代が得られていて、弥生時代以降に三瓶火山が小規模な噴火を行った可能性を示唆する。しかし、他地点では同様の火山灰層は確認されず、この時期に火山活動があったことは確実ではない。


三瓶山の地質図

図2-3 三瓶山の地質図


火砕流発生のイメージ

図2-4 火砕流発生のイメージ

*1 日影山一帯:日影山とその東のピークは、第4活動期の噴出物である「三瓶浮布軽石」に含まれる溶岩片と同質の溶岩でできている。

*2 発泡度が高い軽石:高温のマグマが急激に上昇して激しく泡立つと軽石が形成される。この時、マグマの大部分は火山ガラスとなって固結する。マグマが徐々に冷却されると結晶化が進む。

*3 (雲仙普賢岳の活動)規模:雲仙の平成噴火の噴出物は、約2億m3と見積もられている。三瓶山の場合、男三瓶山単体でも約5億m3あり、男三瓶山の形成だけで平成噴火の規模を上回る。


3)平野形成に与えた影響

 三瓶火山の活動は、三瓶山を流域とする河川の河口部に発達する海岸沖積平野(以下、沖積平野)の地形形成に影響を及ぼした。

 沖積平野とは、概ね過去1万年間(*1)に河川が運搬した土砂が河口付近に堆積して形成された三角州と扇状地からなる地形である。三瓶火山の影響を受けた沖積平野には、出雲平野、大田平野、江津平野があり、特に出雲平野の地形発達に大きな影響を及ぼした。

 出雲平野は島根半島と中国山地北縁に挟まれた低地帯(*2)に発達する沖積平野で、山陰地方で最大規模の平野である。主に斐伊川と神戸川の堆積物からなり、平野西部の神戸川三角州、扇状地地帯の現地形の原形は、三瓶火山の噴出物によって構成されている。

 三瓶火山の第6活動期、第7活動期の際、山麓に多量の噴出物がもたらされ、その一部は神戸川の洪水を引き起こしながら下流まで運ばれた。海岸部まで泥流が達したこともあった。その洪水堆積物、泥流堆積物は神戸川扇状地にあたる範囲で、3〜5mの層厚で分布しており、その規模の大きさがうかがわれる。出雲平野西部にはこの堆積物が広く分布していて、その堆積年代が第6活動期、第7活動期に一致することが明らかになっている。出雲平野西部では、微高地に弥生時代の遺跡が集中し、そのような場所は近現代まで集落の中心として利用され続けてきた。微高地の地盤は第7活動期の噴出物でできており、現地形の基本となる地形が、火山活動期の大規模な洪水によって形成されたことを物語る。

 静間川、三瓶川(静間川水系)の下流に発達する静間川下流低地と三瓶川下流低地もその大部分が三瓶火山の噴出物で構成されている。この水系への火砕物の供給量は神戸川以上だったと推定されるが、静間川河口が日本海に直面しているために平野拡大の余地が少なく、出雲平野に比べると地形発達への見かけの影響は小さい。江の川の場合も同様で、河川規模に対して下流部の平野が著しく貧弱であるため火山活動の影響は、見かけ上は小さく見える。


出雲平野西部の南北方向断面図

図2-5 出雲平野西部の南北方向断面図(断面位置は図2-6参照)


出雲平野西部の微地形と遺跡立地

図2-6 出雲平野西部の微地形と遺跡立地


中海・宍道湖周辺地域の過去1万年間の古地理変化

図2-7 中海・宍道湖周辺地域の過去1万年間の古地理変化


*1 概ね過去1万年間:最終氷期が終わり、現代までの温暖期を地質時代の区分で完新世と呼ぶ。完新世の始まりは約1万1000年前とされる。完新世初頭には海面は現在より30〜40m低く、7000年前にかけて急上昇して現海面程度の高さになった。海岸沖積平野は現海面高度に対応してできた地形面なので、その堆積物は概ね1万年前以降のものが中心である。

*2 低地帯:出雲平野、宍道湖、松江低地、中海、弓ヶ浜半島と連なる沖積平野、潟湖が発達する低地帯を「宍道低地帯」と呼ぶ。


4)三瓶山の噴火と考古遺跡

 三瓶火山の活動は日本列島で人類が活動を始めた頃に始まり、縄文時代にも3回の活動を行っており、その噴出物に覆われた遺跡、火山灰層が見いだされた遺跡が幾つも存在する。

 旧石器時代では、奥出雲町の原田遺跡(*1)で第4活動期(約1万6000年前)と第3活動期(約4万年前)の噴出物に挟まれた古土壌から複数時期の石器が多数出土した。ここでは姶良Tn火山灰(2万7000年前)も確認され、その下からも石器が出土している。広島県庄原市の帝釈峡遺跡でも、第4活動期の噴出物の下から旧石器が出土している。第4活動期の噴出物は、三瓶山以東の中国山地において、旧石器遺跡を探す指標(*2)となる存在である。

 縄文時代では、飯南町志津見の板屋III遺跡で第7活動期、第6活動期、第5活動期の噴出物の下からそれぞれ多数の遺物が出土している。ここでは縄文時代後期の土器にイネの籾痕が付いていたものがあり、その時代にすでにイネの栽培が行われていたことがうかがわれる。

 出雲市の三田谷I遺跡(*3)や築山遺跡では、第7活動期の噴出物に由来する洪水堆積物の下から縄文時代の遺物が出土している。この活動期には、出雲平野は火山噴出物由来の洪水堆積物に広く覆われており、これに覆われた未知の遺跡がまだまだ存在すると推定される。

 縄文時代の遺跡で三瓶火山の噴出物が確認された例は多く、日南町の霞遺跡でも第6活動期の噴出物が確認されている。

 鬼界アカホヤ火山灰をもたらした約7300年前の鬼界カルデラの巨大噴火では、南九州の縄文文化が一時断絶したとされる。その噴火に比べると三瓶火山の活動は規模が小さく、広い範囲が居住不能となるほどの影響はなかったと考えられる。しかし、神戸川などの下流域は火山活動時には洪水が繰り返され、河岸での居住は不可能だったと推定される。魚などの生物資源の回復にも、火山活動終了から数10年程度は要したと思われる。


*1 原田遺跡:斐伊川中流域の河岸段丘に立地する遺跡。後期旧石器から中世に至る遺跡。尾原ダムの建設に伴って発掘調査された。

*2 旧石器遺跡を探す指標:火山灰で地表が厚く覆われることで、遺跡が保存されやすくなるため、火山灰層の下からは遺物、遺構が発見される確率が高い。

*3 三田谷I遺跡:神戸川扇状地の扇頂部に近い枝谷が火山噴出物に由来する洪水堆積物で埋まった場所に立地する遺跡。洪水堆積層の下からも縄文の遺物が出土した。

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