1.発見時代、沿革
1919年(大正8年) 松江の人、水藤嘉吉が採掘権を登録し、五十猛鉱山として重晶石を採掘した。
1935年〜1944年(昭和10〜19年) 露天掘りにて山本郡一が高丸露頭の金銀珪酸鉱を採掘す。約1万t、平均品位Au 6.4g/t Ag 35.5g/t
1951年(昭和26年)末に日満鉱業(株)が鉱業権を入手し、1952年(昭和27年)2月高丸露頭に対して試錐探鉱を開始し、次いでその北東方を探鉱して黒鉱鉱床を発見した。
1955年(昭和30年)1月 三井金属鉱業(株)が金鉱区を買収し、その一部に石こうの租鉱区を設定して日満鉱業の石こう採掘を認めるとともに、その他の地域では千原鉱業(株)石見鉱山調査班の手により黒鉱鉱床の探鉱およびその開発に必要な諸データーの収集に当たらしめた。 石見鉱床およびその他鉱区内各所に対する坑外試錐探鉱は1961年(昭和36年)12月をもって打ち切ったが、その間試錐152本、総延長25,172mを実施した。
1962年(昭和37年)8月 日満鉱業の租鉱権契約期限切れとなり、同社は石こうの採掘を中止した。石こうの採掘は三井金属が石見鉱山株式会社を設立して引き続き操業を継続し、黒鉱鉱床に対する坑道探鉱もあわせて開始した。
1965年(昭和40年)より坑外試錐探鉱を再開し、1966年(昭和41年)12月末日まで、11本、延長3,593mを実施し、現在継続中である。
1966年(昭和41年)12月 黒鉱選鉱場(20t/日処理)を新設し、試験操業を開始した。
2.過去の総産出量
昭和10〜19年 金銀珪酸鉱 約10,000t 品位Au6.4g/t、Ag35.5g/t
石こう産出量(精鉱)
昭和30年7月〜37年7月 282,847t(日満)
37年8月〜41年12月 157,750t(石見)
計 440,597t(品位SO3 35%±)
黒鉱産出量(精鉱)
昭和41年11月〜12月
混合精鉱 33.6t(品位Cu 7.50%、Pb 36.12%、Zn 14.58%)
亜鉛精鉱 51.7t(品位Cu 0.45%、Pb 1.00%、Zn 54.79%)