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石見銀山関連の資料

■石見銀山領の鉱山について

はじめに

 江戸時代の石見銀山は石見銀山領として幕府直轄下におかれた.併せて石見国の主要鉱山であった笹ケ谷,日原,都茂,日原,久喜・大林の各鉱山も石見銀山領に組み込まれた.これらの鉱山には石見銀山に先行して開発されたものもあり,石見銀山開発史解明の鍵となる存在とも言える.例えば,益田市美都町の都茂鉱山の開発は9世紀まで遡る.同じ時期に山神として益田の比礼振山に「佐毘賣山神社」が15世紀に大森町に分霊されたと伝わることは,石見銀山開発初期の技術や経営の動きを想像させる.しかし,古い鉱山については不明な部分が多い.本章では,石見銀山領の石見銀山,都茂鉱山(益田市),笹ケ谷鉱山(津和野町),久喜・大林鉱山(邑南町)の概要を述べる.日原鉱山については,今回は資料不足のため省略する.なお,本章では石見銀山領としての広義の「石見銀山」との混乱を避けるため,以下「石見(大森)銀山」と表記する.

鉱床の特徴

 鉱床の成因でみると,石見(大森)銀山,久喜銀山・大林銀山は熱水型鉱床,都茂鉱山,笹ケ谷鉱山はスカルン型(接触交代)鉱床である.石見(大森)銀山と久喜・大林鉱山はいずれも熱水型鉱床である.前者は第四紀の火山活動によって形成されたもので,170万年前頃と見積もられる火山体の形成以降に鉱床が形成された.後者は古第三紀(6,300万年〜2,800万年前)の火山岩類中に鉱脈が存在している(写真2-1).鉱床形成時期は不詳だが,母岩の形成時期と近い時期であろう.

写真2-1 久喜地内でみられる脈石

写真2-1 久喜地内でみられる脈石
道路法面に露出した流紋岩質の母岩の亀裂を充填する脈石.採掘対象にはならない細脈.山中には鉱脈を露頭掘りした溝状の採掘跡が多数残る.

 都茂鉱山や笹ケ谷鉱山がある益田・津和野町一帯には古生代〜中生代の堆積岩類が分布していて,一部に石灰岩層を伴っている.スカルン型鉱床は,この岩体に貫入したマグマによって石灰岩が鉱化作用を受けたものである.日原鉱山もこのタイプである.

(1)石見(大森)銀山

【鉱床型】  熱水型鉱床.鉱脈、鉱染.
【形成時期】 170万年〜100万年前頃の仙ノ山火山の活動に伴う
【母岩】   デイサイト溶岩、火砕岩(第四紀)および流紋岩質火砕岩(第三紀)
【主な鉱物】(福石鉱床)輝銀鉱、自然銀、方鉛鉱、赤鉄鉱、菱鉄鉱
      (永久鉱床)輝銀鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、菱鉄鉱、菱マンガン鉱、赤鉄鉱

図2-1 石見(大森)銀山の範囲

図2-1 石見(大森)銀山の範囲
石見銀山の地質および鉱床の概要。鉱床は鉱染型で銀を産した福石鉱床と鉱脈型で銀・銅を産した永久鉱床に区分される.鹿野ほか(2001)をもとに加筆.

(2)久喜銀山・大林銀山

【鉱床型】  熱水型鉱床.鉱脈.
【形成時期】 古第三紀?
【母岩】   流紋岩
【主な鉱物】 黄鉄鉱、硫砒鉄鉱、磁硫鉄鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、磁鉄鉱、黄銅鉱、白鉄鉱

図2-2 久喜銀山・大林銀山の範囲

図2-2 久喜銀山・大林銀山の範囲
久喜銀山と大林銀山は隣接し,鉱床的にも一連のものといえる.採鉱対象となった鉱物は方鉛鉱が主体だった.方鉛鉱は銀を伴う鉱物で,銀品位が高い場合は銀鉱石となる.地質図は新編島根県地質図編集委員会編(1997)をもとに作成.坑道分布図は瑞穂町教育委員会(1989)ほか,邑南町の資料をもとに作成.

(3)都茂鉱山

【鉱床型】  スカルン型鉱床
【形成時期】 後期白亜紀
【母岩】   石灰岩,粘板岩、砂岩、珪岩、緑色岩
【主な鉱物】 黄銅鉱、斑銅鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、磁硫鉄鉱、磁鉄鉱

図2-3 都茂鉱山の範囲

図2-3 都茂鉱山の範囲
都茂鉱山は規模,操業期間とも島根県で最大級の非鉄鉱山.銅が主体で,銀,金の含有量も比較的多かった.地質図は松浦ほか(2007)をもとに,スカルン帯の分布は島根県地質図説明書編集委員会編(1985)をもとに作成.

(4)笹ケ谷鉱山

【鉱床型】  スカルン型鉱床.
【形成時期】 不明
【母岩】   石灰岩、砂岩
【主な鉱物】 黄銅鉱、硫砒鉄鉱、閃亜鉛鉱、斑銅鉱、黄鉄鉱、磁硫鉄鉱、赤色酸化銅、自然銅、孔雀石


*笹ケ谷鉱山では銅精錬の副産物として亜ヒ酸を多く産した.これは「石見銀山(ねずみとり)」の名称で販売された.

図2-4 笹ケ谷鉱山の範囲

図2-4 笹ケ谷鉱山の範囲
笹ケ谷鉱山は銅を主体とする鉱山で,「石見銀山ねずみ取り」の原料であった亜ヒ酸を産したことでも知られる.津和野町史刊行会(1970)をもとに作成.

開発史の概要

 いずれの鉱山も,古い時期の状況はあまり分かっていない.特に,発見の経緯は口承,伝承の域を出ないものが多い.
 開発時期が最も古いとみられるのは都茂鉱山で,9世紀に銅を採った文献記録がある.また,近接する大年ノ元遺跡では14〜15世紀の銅精錬遺構が発見されている.1842年作成の「美濃郡津茂村絵図(丸山鉱山図)」には「銅山」とともに「古銀山」が示されており,古い段階では銀を採掘していたことがうかがわれる(益田市教育委員会発表資料による).なお,都茂鉱山は鉱山としての規模,開発された期間とも石見地方で最大級である.基本的には銅鉱が採鉱され,金,銀の含有量も比較的高かった.大正時代には亜鉛鉱の採鉱が始まり,1975年からはタングステン鉱が銅鉱とともに採鉱され,1986年まで稼働した.
 都茂鉱山以外の鉱山の開発は,15〜16世紀頃に本格化したようである.口承などではさらに古い時代に開発が始ったと伝わるものも見受けられるが,確実性に乏しい.
 笹ケ谷鉱山の開発では,山口県美東町の長登銅山に出向き,大内氏に技術者の派遣を依頼したと伝わる(内藤・森澄,1988).石見地方への政治的影響力が大きかった大内氏は,石見(大森)銀山の開発にも関与しており,石見地方の銀銅鉱山開発に直接,間接的な関わりを持っていたことがうかがわれる.なお,長登銅山は8世紀には銅を産出しており,奈良大仏に銅を供出した鉱山である.鉱床型は都茂鉱山,笹ケ谷鉱山と同じスカルン型鉱床である.
 都茂鉱山,笹ケ谷鉱山などの益田,津和野の鉱山と石見(大森)銀山の開発では,初期の段階で大内氏の関わりがあったことに対し,久喜銀山は毛利氏による開発と伝わる.鉱床型,主要な産出鉱物の構成も益田,津和野の鉱山とは異なる.これらのことは,開発初期の技術伝播等との関わりが予想される.  島根県の鉱山については,島根県地質図説明書編集委員会編(1985)に概要がまとめられている.

(1)石見(大森)銀山

 1309年 石見銀山旧記の記述
 1526年 銀山として本格的な開発が始まる
 1533年 灰吹法を導入、産銀量が増大する
 1607年 釜屋間歩の開発により産銀のピークを迎える
 17世紀中頃 産銀量低下
 1923年 休山
 1942年 戦時中に再開発.翌年閉山

(2)久喜銀山・大林銀山

 12世紀末 この頃に発見との記述がある
 16世紀 毛利氏のもとで開発
 1888年 堀氏が久喜銀山を再開発
 1908年 閉山(小規模な採掘はその後しばらく続いた)

(3)都茂鉱山

 881年 「日本三代寶録」に都茂丸山で銅発見と記述
 15世紀頃 大年ノ元遺跡(益田市美都町)で銅精錬
 1602年 石見銀山領として幕府直轄地となる
 1785年 濱田藩領となる
 1792年 石見銀山領に戻る
 1842年 濱田藩領となる
 1986年 閉山

写真2-2 笹ケ谷鉱山の坑道内部

写真2-2 笹ケ谷鉱山の坑道内部
笹ケ谷鉱山,都茂鉱山の鉱床は石灰岩などの堆積岩がマグマと接触して出来たもの.笹ケ谷鉱山はヒ素の含有率が高く,銅精錬の副産物の亜ヒ酸が「石見銀山ねずみ取り」の名で殺鼠剤として出荷された.

(4)笹ケ谷鉱山

 13世紀後半 口伝ではこの頃に発見と伝わる
 15世紀後半 堀氏による開発
 1600年 石見銀山奉行が堀氏に鉱業の許可を与える
 1971年 閉山


文献

鹿野和彦・宝田晋治・牧本 博・土谷信之・豊 遥秋(2001)温泉津及び江津地域の地質.地域地質研究報告(5万分の1地質図幅),地質調査所,129p.
松浦浩久・尾崎正紀・脇田浩二・牧本 博・水野清秀・亀高正男・須藤定久・森尻理恵・駒澤正夫(2007)20万分の1地質図幅「山口及び見島」.産業総合研究所地質調査総合センター.
瑞穂町教育委員会(1989)瑞穂町内遺跡分布図II(出羽地区).瑞穂町教育委員会,9p.
島根県地質図説明書編集委員会編(1985)島根県の地質.島根県,646p.
新編島根県地質図編集員会編(1997)新編島根県地質図1:200,000.
津和野町史刊行会(1970)津和野町史第1巻.津和野町,731p.
内藤正中・森澄泰文編(1988)津和野郷土誌.平田 : 松江文庫,269p.
吉川敏之・栗本史雄・青木正博(2005)「生野」地域の地質.地域地質研究報告(5万分の1地質図幅).産総研地質調査総合センター,48p.

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