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地層から学ぶ
大地の歴史

■日本観光産業案内 大田市

東京交通観光社(昭和29年刊行)の大田市地図。
大田町、三瓶町志学、久手町、波根町、川合町、長久町ごとに、商店や企業が掲載された地図で、裏面は掲載社の広告になっています。


大田市観光地図地図面

→地図面等倍データ(モノクロ2階調/pngファイル/1.3MB)



大田市観光地図広告面

→広告面等倍データ(モノクロ2階調/pngファイル/2MB)



※地図に記載の沿革を再掲


大田市の沿革

大田市は島根県の略中央に位し古くから石東に於る行政・産業・教育・文化の中心地として堅実な足どりをもって発展してきた。

大田市は古来安濃郡に属し古くは「邑陀」といい又「逢田」ともいった。神亀三年「大田」と改めた。
世に広く石見三田の一つである「大田」と伝称せられ石東の中心地として栄えてきた。元和元年豊臣氏が滅亡し、徳川氏の統一とともにようやく諸政に見るべきものがあらわれたが、徳川氏は銀山を擁する大森に永い間代官をおいた為終始大田地方は銀山領の支配を受けていた。
明治二十一年町村制施行せられ明治二十九年邇安両郡は各々独立し大田村に初めて安濃郡役所が設置せられ明治三十六年「大田町」と改称(当時人工<原文まま>四,四三六人)面目を新たにして発足した。

日露戦役、日独戦争を経、さらに大東亜戦争に突入したが、直接対戦の災禍を受けることなく、昭和二十年終戦と共に僅かの空白期間はあったが、昭和二十二年新たに地方自治法が施行されてから町勢は飛躍的に隆盛の気運を表して来た。
昭和二十八年一月一日町村合併促進により遂に近隣町村を加へ大田市制の実現を見人工三万一千二百七十人・面積百十八・六二平方キロとなった。
翌二十九年四月一日先に合併した町村に更に四ケ村を受け入れ石東の雄都として発足したのである。

 人口=四万六千十三人

 面積=二百四十八・八二平方キロ

県下の中央にあり交通の便と相まって県内諸会合の適地として又国際観光地指定の秀峰三瓶山、志学温泉、ラジューム温泉等を有し、夏の避暑、冬期のスキーと共に観光の人々など県内はもとより大都市その他各地からの来訪者が年と共に増加しつつ有る。


観光と史蹟その他

大田=六角堂、西行堂、俳人魚坊、恒松隆慶翁
静間=静ケ窟、金剛山
川合=物部神社
波根=オワシ海岸、ちごがふち
久手=清滝、桂花木、天神岩
佐比売=三瓶山、浮布の池、姫野ケ池、霧の海、志学温泉、湯抱温泉、小屋原温泉、ラジューム鉱泉

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