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地層から学ぶ
大地の歴史

■大田の地層観察の手引き

 このページでは、大田市で見ることができる地層(岩石)を観察する際の注目ポイントを紹介します。
 すべての地層や岩石には大地の歴史が秘められていますが、見ただけではその歴史がわからないために「難しい」と思われがちです。注目ポイントを知ると、地層観察がほんの少し面白いものになるかも知れませんよ。

目 次

大田の地質概要
参考になる資料
立神岩の観察
波根西の珪化木の観察
火山灰の地層の観察(三瓶町)
笠ケ鼻の地層の観察
大田平野とその周辺の観察

大田の地質概要

 大田市の大地は「火山」が大きなキーワードです。
 大田市には三瓶火山と大江高山火山の2つの火山があります。地質時代で新生代第四紀(約250万年前〜現在)に活動したものを火山と呼ぶことが一般的です。それより古く火山としての地形は残っていませんが、日本海が開いて日本列島の原型が形成された時代(新第三紀中新世)の火山噴出物も市域の広い範囲に分布しています。これらの火山が作った大地と資源を活用して歴史文化を営んできた町が大田市です。
 火山の他には、瓦産業の発展につながった粘土の地層や製鉄の原料をとった花崗岩、日本の汽水湖干拓の先進地だった波根湖なども注目したい要素です。

・三瓶火山

 三瓶火山は中国地方で最も新しい時代に活動した火山で活火山に指定されています。火山活動の歴史は約10万年前に始まり約4000年前の最新の活動まで、活動した時期が7回あったことがわかっています。
 約5万年前の活動の噴出物は川合町、大田町、長久町、久手町にかけての地域に断続的に厚く分布しています。現在の山体は約1万9000年前以降の噴出物でできています。静間川と三瓶川の中流〜下流の平野の地層は、約5500年前と約4000年前の噴出物が水の流れで運ばれてできたものがかなりの部分を占めています。

 なお、三瓶火山の北には森田山火山(森田山溶岩)という約100万年前の火山があり、正確には大田市には第四紀の火山が3つあります。

・大江高山火山

 大江高山火山は大江高山を筆頭に多数の火山体で構成されています。約250万年前から60万年前頃にかけて活動しました。石見銀山の銀鉱床がある仙ノ山はこの火山の一部で、火山の作用によって鉱床ができました。
 山吹城があった要害山、矢滝城山など石見銀山守衛の山城のいくつかは大江高山火山の峰に置かれています。

・日本列島形成の時代の火山

 日本列島の原型が形成された新第三紀中新世には、活発な火山活動とともに大陸の一部が裂けて日本海が広がりました。その地殻変動に関係する火山噴出物は「グリーンタフ」と総称され大田市の海岸部を中心に広く分布しています。
 グリーンタフとは緑色の凝灰岩(火山灰が固まってできた岩石)のことで、温泉津町で産する石材「福光石」は典型的な緑色凝灰岩(グリーンタフ)です。波根町の立神岩などでは、この時代の火山噴出物と土砂が堆積した層が重なり合う様子を見ることができます。

・粘土

 新第三紀末にあたる約300万年前から約200万年前(第四紀)にかけて堆積した地層(都野津層)大田市の西部に分布しています。この地層には粘土層が挟まれていて、瓦などを作る陶土として利用されています。

・花崗岩

 花崗岩は中国地方の骨格になっている岩石で、市内では三瓶山の山麓を中心に分布しています。三瓶町上山や三瓶町多根、山口町では、風化して土砂状になった花崗岩から砂鉄を取り出してたたら製鉄が行われました。
 なお、たたら製鉄は砂鉄産地以外の場所でも行われており、たたら製鉄跡=花崗岩分布地ではありません。

大田の地形と地質のページでは、日本海形成と大田の地質、大江高山火山と都野津層、三瓶火山について少し詳しく紹介しています。

参考になる資料

○「石見銀山学ことはじめ3〜土の巻〜」 石見銀山学ことはじめ編集委員会(2020)
大田市の大地と人々の暮らしを一般向けに解説した内容です。

○「新編 島根県地質図」 新編島根県地質図編集委員会(1997)
20万分の1の島根県の地質図です。どこにどのような岩石が分布しているかがわかります。地質時代、地層名、岩石名での表記のみなので、情報を読み取るにはある程度の専門知識が必要ですが、様々な岩石が集まって大地を作っているイメージをつかむには役立つ資料です。
関西地図センター(京都)などの地図取扱店で購入できます。

○「島根県の地質」 島根県地質図編集委員会(1985)
上記編集委員会の編集で、島根県が発行した地質の資料集です。地質、資源(鉱山)など、島根県の地層に関する基本的な情報が網羅されています。
絶版のため入手は困難ですが、県内の図書館には収蔵されています。

○5万分の1地質図幅 「石見大田及び大浦地域の地質」(1998)、「温泉津 及び江津」(2001)
産業技術総合研究所地質調査総合センター(旧地質調査所)発行の地質資料です。5万分の1地質図と解説書からなります。地質調査総合センターのサイトからダウンロードできます。ダウンロードページで、選択タブで「1/5地質図」を選び、「石見大田及び大浦」、「温泉津・江津」、「三瓶山」で検索すると大田市エリアの地質図をダウンロードできます。
また、同センターの「地質図navi」、「20万分の1シームレス地質図」のサイトで地質図の閲覧ができます。

立神岩の観察(波根町)

 波根漁港のそばにそびえる絶壁「立神岩」は明瞭な地層が露出しており、遠くからもよく目立ちます。水の働きでできた層と火山の働きでできた層が重なりあっています。

【場所】
波根港までJR波根駅から東へ徒歩10分。全体の様子は駅近くの海岸からもよく見えます。

【注意点】
防波堤を越えて崖の下に行くのは危険です。少し離れた場所から観察しましょう。オペラグラスなどを使うのも良いでしょう。

立神岩

立神岩の全景。切り取ったような形の島(立神島)の形も興味深いものです。

●観察のポイント

(1)茶色の層と白い層が重なっています。それぞれの層にどのような特徴があるでしょう。

 それぞれの層がどのような粒でできているか注目しましょう。遠くからでも粒の大きさはある程度わかります。茶色の層はある程度大きなレキ(こぶし大から直径50cmを越えるものまで)でできていて、大部分が丸いことが特徴です。丸いレキは水の働きでけずられたものです。この地層は川の河口付近で堆積したと考えられます。
 白く見える層は小さな粒でできていて、遠くからは粒が見えません。この層は火山灰や火山灰質の砂でできています。川の働きで地層ができているときに火山の噴火があったことを物語っています。

(2)地層の傾きに注目しましょう。

 地層は海の方へ緩く傾いています。レキや砂が堆積した時は地層はほとんど水平だったはずですが、大地が盛り上がる(隆起)ときに傾きました。

*補足

 立神岩の地層は、約1500〜1300万年前に海岸付近で堆積してできました。地質時代では新生代新第三紀中新世にあたり、日本海が拡大して日本列島の原型が形成された時代です。地層名は「大森層」とされていて、この大森は松江市宍道町の地名です。

 大田市の海岸部はこの時代の地層が分布していて、東部は礫岩や砂岩が目立ち、西部は凝灰岩類が目立ちます。断層で乱れていることが多く、少し場所が変わると地層がどのように連続しているかわからなくなることがあります。地質の研究者泣かせの地層で、かつてこの地域を調べた人たちは「がちゃがちゃ」に乱れた地層という意味で「大森のがちゃ」と呼んだそうです。

波根西の珪化木の観察(久手町)

 波根西の珪化木は大きな樹木化石で、周囲の地層と合わせて間近で観察できます。

【場所】
久手駅から徒歩25分。

【注意点】
現地は海岸の岩場です。階段と手すりが整備された範囲から見学してください。波が高い時には近づくことが出来ません。

波根西の珪化木

波根西の珪化木。海食崖から突き出て海底に続いており、長さ10m以上と推定されます。

●観察のポイント

(1)珪化木の形を観察ましょう。

 珪化木は木の形を残していて、木目の様子もある程度わかるかも知れません。木の形は残っていますが成分は石に置き換わっています。
 珪化木は、「二酸化ケイ素」という物質が木の中に入って、材の成分と置き換わったものです。二酸化ケイ素は岩石の最も主要な成分で、純粋な結晶は石英(水晶)やメノウという鉱物になります。珪化木の大部分はメノウやタンパク石(オパール)です。

(2)珪化木の周辺の地層を観察しましょう。

 珪化木が埋まっている地層は大小のレキが混じった礫岩層です。角張った形のレキが多く、筋目がある白いレキは軽石です。軽石が多く含まれる部分と少ない部分があることに気づくことができるでしょうか。軽石が多い部分のレキは角張ったものばかりですが、軽石が少ない部分は丸みを帯びたレキも混じります。運ばれ方が少し違うようです。
 軽石が多い部分に含まれる木片は炭化してもろいものが多く、この部分は火山の火口から直接流れてきた火砕流の地層です。丸みを帯びたレキが含まれる部分は土石流で、珪化木はこの層に含まれています。
 地層の観察から珪化木のでき方が想像できるでしょうか?

波根西の珪化木付近の地層

レキが比較的細かい部分。白いレキは軽石です。

波根西の珪化木付近の地層

珪化木を含むレキ岩層は付近の海食崖に連続しています。その上に砂岩層が重なっています。

*補足

 波根西の珪化木はブナ科の樹木と考えられています。かなり大型の珪化木で、地層中に埋もれている部分を含めると長さは優に10mを超えるとみられます。全国的にもまれな大きさの樹木化石であることから、国の天然記念物にしていされています。

 昭和の初めに久手港が整備された時にもいくつも引き上げられ、そのひとつが久手小学校に設置されています。これもかなり大型で材の組織がよくわかります。

 樹木が石に変わるまでに要する時間は比較的短く、数十年から数千年と見積もられます。波根西の珪化木が埋もれていた時間(約1500万年)に比べると随分短い時間です。

火山灰の地層の観察(三瓶町)

三瓶町志学南方の志学展望所では、三瓶火山の噴出物が重なる地層を見学でき、地層から大地の歴史(火山活動史)を解き明かすことを知ることができる教材です。

【場所】
志学下の町バス停から徒歩20分。

【注意点】
交通の便が悪いので、自家用車や貸し切りバス等の利用が現実的です。冬季(11〜3月)は積雪や降霜で観察出来ないことがあります。

志学展望広場の三瓶火山噴出物の露頭

志学展望広場の地層。約5万年前から約4000年前までの噴出物が重なる貴重な露頭です。

●観察のポイント

(1)火山の活動でできた地層にはどのような特徴があるでしょう。

 水の働きでできた地層との大きな違いとしてレキが角張っていることがあります。この地層で見られるレキは軽石が大部分で、かたい岩石は少ないのですが、軽石の形に注目すると角張っていることがわかります。

(2)色や粒の大きさから何枚の層に分けることができるか、数えてみましょう。

 スケッチしながら観察すると良いでしょう。地層の分け方は着目点によって違います。層によって色や粒が違うことに気付くことがポイントです。火山が活動した時期と休止した時期によって地層の数を分けることができますが、何層にわけることが正解ということはありません。どの特徴に注目して、どのように解釈するかという過程が大切と思われます。

(3)サンプルを採取して顕微鏡やルーペで観察してみましょう。

 現地ではルーペを使った観察で、軽石に穴がある様子や層による粒の種類の違いに気づくことができるでしょう。少量(角砂糖1、2個分。量が多いと洗う作業が大変です)の火山灰を持ち帰り、器の中で押しつぶしながら粘土分を流し、濁りがなくなるまで繰り返すと器の底に鉱物などが残ります。乾かしてから顕微鏡で観察すると、黒っぽい角閃石、黒雲母、磁鉄鉱と白い斜長石、その他にごま塩状の岩片を見ることができます。層によって鉱物と岩片の量比が異なります。

志学展望所からみた三瓶山

展望広場の場所は三瓶カルデラの壁(外輪)にあたる場所で、ここからは三瓶山の全ての峰(男三瓶山、子三瓶山、女三瓶山、孫三瓶山、大平山、日影山)を見ることができます。

*補足

志学展望所の地層

活動時期による地層区分

 志学展望広場の地層は斜めに傾いていますが、一番古い(1)は水平に堆積しています。この地層は写真の右側に谷があり、水の流れで削られた部分が斜面になりました。その後の火山灰は斜面の上に重なってこのように傾いた地層ができました。

 (1)は約5万年前の火山灰層で、平坦な場所に火山灰が降り積もって形成されました。地層中には火山豆石という大豆程度の大きさの粒が含まれています。同時期に噴出した火砕流の地層は、川合町から大田町、長久町、久手町にかけて厚い地層として分布しています。

 (2)は火山が活動していない時の土壌層です。(3)は約4.6万年前の噴出物で直径5〜20mm程度の白い軽石を含んでいます。その上の(4)の土壌層を挟んで、(5)と(6)が重なります。これは約1万9000年前の噴出物で、(5)はやや細かい火山灰層、(6)は直径20〜50mm程度の軽石層です。この軽石は風化して黄色く、半ば粘土化してもろくなっています。

 (7)は土壌層で、(2)、(4)とは違って黒色で、火山灰地帯に特長的にみられる「クロボク土壌」です。クロボク土壌は最終氷期の最も寒かった2万年前より新しい時代に形成される事例が多く、それより古いものは黒くないことが全国的に共通しています。

 (8)は約5500年前と約4000年前の噴出物が重なって1層に見えています。日影山以外の三瓶山の峰はこの2時期に形成されました。日影山は約1万9000年前の活動でできたもので、この時の活動までは爆発的な大噴火を行なったために山体の形成はなかったか、貧弱だったと考えられます。

 (9)は現土壌に続く土壌です。  

<火山活動の概要は三瓶火山のページでも紹介しています。>

*(1)の地層は水がたまった場所に堆積したもので、現地の解説板には「湖成層」とあります。(1)の地層が堆積する前のこの場所は丘陵地帯の尾根付近にあたるため広い湖の存在は考えにくく、火山噴出物によって谷が一時的にせき止められた水たまり的な水域だったと推定されます。

*火山豆石は空高く吹き上げられた噴煙中で細かな火山灰が静電気力によって集まってできると考えられるものです。地層を注意深く観察すると、同心円状の構造を持つ火山豆石の断面がみられ、露頭が少し風化すると球状になっている豆石がみられることもあります。

笠ケ鼻の地層の観察(鳥井町)

礫岩と砂岩が重なり合う地層が露出していて、ある程度近づくと下の地層を削って上の地層が重なる様子なども観察できます。

【場所】
鳥井小学校から徒歩25分。

【注意点】
大きな崖ですので、少し離れた場所からの観察になります。波が穏やかな時には崖の下まで行くことができますが、落石の恐れがあるので近づきすぎないようにしましょう。

笠ヶ鼻の遠景

鳥井海岸からみた笠ヶ鼻の遠景。

●観察のポイント

(1)地層がどのように重なっているか、傾きの様子を観察してみましょう。

 笠ケ鼻の地層は、色の違いや地層の筋(層理、葉理)が分かりやすく、重なっている様子がわかります。色が少し濃い部分はレキ岩の層、薄い色(おうど色)の部分は砂岩の層でできています。

 地層は全体として先端の方へ緩く傾いています。この傾きは陸側の地盤が隆起することで生じました。全体の傾きとは別に部分的に地層が弧を描くように傾いている部分があります。一旦堆積した地層が斜めに削られて、その上に再び地層が重なったことでできた形です。地層はたまり続けるのではなく、時には削られながら形成されることがわかります。

(2)崖から落ちた岩を観察してみましょう。砂やレキの層でできていることに注意しましょう。

 崖に近づくと危険ですが、浜辺に落ちた岩を見ると地層の様子を細かく観察することができます。砂の層とレキの層の境界がみえる岩があり、地層の重なりの様子がわかります。

 レキは丸いものがほとんどで、流れる水の働きでできた地層であることがわかります。レキの並び方に注目すると、レキが順にもたれかかる形(将棋倒しの状態)になっていることにも気づくことができるかも知れません。水の流れで運ばれてきたレキが次々に重なったことを示す構造(インブリケーション)です。

転石

砂岩層とレキ岩層の様子を観察できる転石。

*補足

 笠ケ鼻の地層は、約1500〜1300万年前に川が運んだ砂やレキが海岸に堆積したものです。日本海が広がりつつあった地殻変動の時代の地層で、大田市の海岸部には同時代の地層が分布しています。火山活動の影響を受けた地層が多いのですが、笠ケ鼻は火山が直接影響してできた部分はなく、水の働きでできた地層です。

大田平野とその周辺の観察(大田町)

大田市街は地層の観察には少し不向きですが、三瓶火山が約5万年前に噴出した火山灰の地層が点在しているほか、ボーリング試料が入手できれば地下に砂や泥が重なっている様子を知ることができます。

【場所】
大田天満宮から西楽寺付近。大田小学校から徒歩10分。

【注意点】
道路脇の狭い場所で、観察条件は良くありません。

三瓶火山噴出物の地層

西楽寺の下でみられる三瓶火山噴出物の地層。「三瓶マサ」と呼ばれることがあるこの地層は、総合体育館周辺や喜多八幡宮周辺など大田町の各所でみることができます。西楽寺下の地層では、噴出物以外の岩石片が多く含まれていて、大噴火によって破壊された岩石が火山灰と一緒に吹き飛ばされたことを物語っています。

●観察のポイント

(1)歩いて観察することで、近い場所でも異なる地層(岩石)があることに気づきましょう。

 大田天満宮の前に岩山があり、その上には柿本人麻呂神社がまつられています。この岩山は約1500万年以上前の火山活動でできた火山岩(流紋岩)です。地層のように見える筋がありますが、溶岩が冷えて固まる時にできた「節理」と呼ばれる割れ目です。

 天満宮の脇から西楽寺の方へ進むと道路脇にお地蔵さんが並ぶ穴が開いた崖があります。この崖に三瓶火山が約5万年前の大噴火で噴出した火山灰層が露出しています。「大田軽石流堆積物」と呼ばれるこの地層は、黄褐色で縞模様はほとんどみられません。1度の噴火で吹き出された火山灰が「火砕流」という現象で流れて堆積したものです。レキは角張ったものが大部分ですが、火砕流が巻き込んだ丸いレキが含まれていることもまれにあります。

岩盤に発達する節理

大田天満宮向かいの岩山の岩盤。地層のような筋目がみえますが、溶岩が冷える時に縮むことでできた割れ目で、「節理」と呼ばれる構造です。

(2)大田市街の地面の下にある地層の様子をイメージしてみましょう。

 三瓶川下流の大田平野は小規模な「沖積平野」です。沖積平野は最終氷期以降に形成されて今も発達しつつある地形で、川の流れによって運ばれた砂や泥、レキが堆積してできています。

 三瓶川上流に三瓶火山があるため、この平野の地形発達は少し特殊です。約5500年前と約4000年前の三瓶火山の噴出によって放出された大量の火山灰が川の流れによって下流まで運ばれて堆積したため、この2時期に地形が急激に拡大し、地下には火山灰由来の地層が厚く分布しています。

 火山活動の影響は地形にも現れています。大田平野は駅通り付近を境にして高低2段に大別できます。高い地形面は約4000年前の大量の土砂(火山灰)供給でできたもので、その地形面を三瓶川が侵食することで低い地形面ができています。大田の古い町並みは高い地形面の上にあり、低い地形面に市街地が広がりはじめたのは1970年代以降です。

大田の地層のイメージ

大田市街の地層のイメージ図

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