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地層から学ぶ
大地の歴史

■地形図に見る大田市街の変遷(明治35年〜平成元年)

およそ10年前後の間隔で発行された、国土地理院及び地理調査所、大日本帝国陸地測量部発行の5万分の1地形図から、大田市街地の変遷を紹介します。

明治35年

市街地は三瓶川の南岸(橋南地区)が中心で、橋北には城山から雪見を抜ける旧街道沿いに建物が並ぶ程度。
諸友から大田へ抜ける旧国道9号線が水田地帯の中を通っていますが、その道沿いにはまだ建物が記されていない。
この時はまだ山陰本線が未開通。

明治35年

大日本帝国陸地測量部明治35年発行 5万分の1「大田」

 

大正10年

大正4年に山陰本線が石見大田駅まで延びたことに伴い、旧国道9号線から駅に向かって斜めに延びる「駅通り」ができている。
市街地は明治35年と比べて変化がないが、鉄道開通に伴って変化した部分のみの追加測量のため、市街地などの表記は以前の地図のままになっている可能性がある。

大正10年

大日本帝国陸地測量部大正10年発行 5万分の1「大田」

 

昭和10年

 駅通りに建物が記され、駅通りから喜多八幡宮へ延びる参道ができている。現在の大田高校の位置に大田中学校(当時)を示す「中学校」の表記がある。
 三瓶川南岸の市街地は大正10年と比べてほとんど変化していない。

昭和10年

大日本帝国陸地測量部昭和10年発行 5万分の1「石見大田」

 

昭和23年

昭和10年から目立った変化が見られない。
→1947年の空中写真

昭和23年

地理調査所昭和23年発行 5万分の1「石見大田」

 

昭和35年

昭和23年から目立った変化が見られない。図示した範囲の北に「波根湖(現波根湖干拓地)」があるが、この図面の段階までは水域が記されている。
→1964年の空中写真

昭和35年

地理調査所昭和35年発行 5万分の1「石見大田」

 

昭和45年

この段階から、5万分の1地形図の図面区画が若干変わり、前段階までは「大浦」の図面範囲だった石見大田駅が記されている。
昭和35年と比較して、道路、市街地にかなり大きな変化が見られる。
国道9号線が現在の位置に、駅から市民会館方面へ延びる産業道路が開通している。三瓶川の北岸地区の市街地化が進んでいる。

昭和45年

国土地理院昭和45年発行 5万分の1「石見大田」

 

昭和53年

市街地化がさらに進み、産業道路から西へ向かう道ができて山崎橋ができている。
→1976年の空中写真

昭和53年

国土地理院昭和53年発行 5万分の1「石見大田」

 

平成元年

 市役所が現在の位置へ移り、現国道375号が開通。鶴ケ岡トンネルもできている。
 大田市駅西のアンダーは未開通。
→1991年の空中写真

平成元年

国土地理院平成元年発行 5万分の1「石見大田」

 
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