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大田の石こう鉱山関連

■大田市大屋町「鬼村の鬼岩」

鬼岩

鬼村の鬼岩全景

○この岩は何がすごい? 珍しい?

 大田市静間町で静間川と合流する笹川沿いの道を南へ進むと、とつぜん、鬼岩が現れます。まわりには大きな岩はないのに、ぽつんと大岩がそびえていて、なんだか不思議な光景です。
 しかもこの鬼岩は、「きのこ」のように上のほうが幅広で、どうしてこのような形になったのか、本当に不思議です。

 よく見ると、一列に並んだ「謎の穴」まであります。鬼村に伝わる昔話では、この穴は鬼が岩をつかんだ時の指の跡だとか!!
 そういう昔話が伝わっているのも、昔から、鬼村の人たちにとって、この岩が「気になる存在」だったからでしょうね。

 鬼岩のように、地域の中で目立っていて、昔話が伝わる場所は、その土地で暮らした人々の歴史にとってとても大切な存在です。 さらに、鬼岩は科学的にも、大田市全体、いや日本列島の成り立ちと関わる雄大な歴史を秘めているのです。

○こんな岩がどうして出来た?

 鬼岩を作っている岩石は、今からおよそ1500〜1600万年前に火山が吹き出した火山灰が固まったものです。
 1500万年前という時間を想像できるでしょうか。
 人類の登場は、およそ500万年前から700万年前と考えられています。人が土器を使って食べ物を煮炊きしはじめたのはせいぜい1万6000年前頃です。鬼岩の岩石がどれだけ古いか、少しだけイメージできたかも知れませんね。
 もっとも、古いとは言っても地球の歴史の中では比較的新しい時代で、恐竜が絶滅した6600万年前に比べればまだ新しく、地球誕生から46億年の歴史に比べればずっと新しい時代の話です。
 さて、1600万年前というのは、日本列島の歴史においてとれも重要な時代です。というのも、日本列島が生まれたのがこの時代なのです。

 日本列島の歴史は、恐竜の歴史よりもずっと新しく、恐竜が生きていた時代には日本列島はまだありませんでした。
 2500万年前頃に、中国の大陸の一部が裂けるようにして広がりはじめました。 大地の割れ目はゆっくりと、何百万年もかけて広がり、やがてその割れ目に海水が流れ込んで海になりました。これが後の日本海です。
 大地の一部を引き裂いた力は、ものすごく激しい火山の噴火でした。それは、現代では想像もできないくらいの激しさだったと思われます。
 火山の噴火とともに大地が引き裂かれ、割れ目が次第に広がり、やがて日本列島は大陸から離れはじめました。
 割れ目に海水が流れ込んで、日本海が生まれてからも、その海底では火山噴火が続きました。この時に、海底で噴火した火山が吹き出した火山灰がたまってできた岩石の一部が鬼岩です。

 もちろん、鬼岩だけができたわけではありません。
 少しずつ広がっていた日本海の海底では、至る所で火山が噴火し、火山灰がたまっていました。

 この時代に、海底にたまった火山灰の地層は、大田市から北海道まで広い地域に分布していて、日本列島の成り立ちを物語る重要な地層とされています。この地層は、「グリーンタフ」と呼ばれることがあり、その一番西の端っこが大田市です。大田市には「グリーンタフ」の地層の特徴がひととおりそろっていて、“自然の博物館”と呼んでもよいくらいです。鬼岩は、こんな地層の一部なのです。

 日本列島が生まれる時代に、海底でできた鬼岩の岩石は、やがて地盤の隆起によって地上に現れました。
 地上では雨風、川の流れによって岩盤が削られます。ほんの少しずつ削られるだけでも、何十万年、何百万年の時間の中では、大きな山さえも消えてなくなるほどの変化になります。 もともと、鬼岩の周囲にも、同じ地層が続いていたはずです。 しかし、その地層の大部分は削られて消えてなくなりました。偶然削り残された部分が鬼岩なのです。

 偶然とはいっても、もしかしたら、鬼岩の頭の部分は、周囲の岩石よりも少し固かったのかも知れません。ほんの少し固かったために、削り残されて、今のような形になったのかも知れませんね。

鬼岩

鬼岩にみられる風蝕穴

○鬼岩の穴

 鬼岩にあるいくつもの穴は少し珍しいもので、風の作用によって開いたという意味で、「風蝕穴」と呼ばれます。岩盤の割れ目に入り込んだ砂が風で動き、割れ目を広げて大きな穴を作ったものです。実際には、穴は風の力だけで大きくなったわけではないようです。風以外の理由が、鬼岩の岩石の成り立ちと関わっているのですが、その前に、よく似た穴を紹介しましょう。

 水の流れや波の力が及ばない場所の岩盤に開いた穴は、海岸では時々見ることができます。特に、五十猛町の海岸には多くあります。海岸では、風に運ばれた海水が穴を広げる働きをします。海水の塩分が岩を少しずつ溶かしたり、壊したりして穴を作るのです。海水がかかると鉄がすぐにさびるという話を聞いたことがあるでしょうか。鉄だけでなく、岩石も塩分を含んだ水には弱いのです。

 海岸ではしばしば見ることができる風蝕穴ですが、潮風が届かない山の中では珍しいものです。
 では、何が鬼岩の穴を開けたのでしょうか。その答えとして、この岩が海底にたまった時に一緒に沈殿した塩分が考えられます。その塩分は海水のものでしょうか。海でできた地層は各地にあるので、海水の塩分が原因なら風蝕穴は各地で普通に見られるものになるでしょう。海水だけでは鬼岩に風蝕穴があることを説明できそうにありません。

 鬼岩を作っている岩石は、火山灰がたまった後に高温の温泉水(熱水)の影響を受けています。その熱水はマグマなどに由来する塩分やイオウを多く含んでいました。それらの成分が岩石中に含まれているために、風蝕作用が進んだと考えられます。

 岩石に染み込んだ熱水は、鬼村に鉱物資源をもたらす役割も果たしました。鬼村には昭和40年頃まで操業された「鬼村鉱山」がありました。鬼村鉱山はギブスや工作用の石こう、建築用の石こうボード、コンクリートの副原料など、幅広い用途に使われる「石こう」を産出した鉱山です。海底から噴出した熱水に含まれていたイオウやカルシウムが沈殿して海底にたまり、石こう(硫酸カルシウム)の鉱床を作ったのです。

 明治時代から昭和40年代までの大田市は、日本有数の石こう産地で、鬼村鉱山は代表的な鉱山のひとつでした。鬼岩の穴は石こう鉱山で栄えた大田市の歴史とも関係があると言ってよいでしょう。

鬼岩

五十猛海岸でみられる風蝕穴。風蝕穴は海岸ではしばしば見ることができます。

○石こうと黒鉱、ゼオライト

 鬼村には、石こうを産出した鬼村鉱山があったことを紹介しました。鬼岩と同じ時代に海底火山の噴火でできた地層は、大田市の広い範囲に分布していて、その地層には石こうなどを産出した鉱山がいくつかありました。

 久利町には松代鉱山がありました。五十猛町には石見鉱山があり、こちらは現在もゼオライト鉱山として採掘が続いています。石見鉱山は、昔は石こうを採った鉱山で、一時期、黒鉱という鉱石を産出していました。黒鉱は、銅や鉛、亜鉛、金、銀など様々な成分が混じり合った鉱石で、黒い色をしていることからその名が付けられました。広がりつつあった日本海の海底でできたもので、世界でも日本列島にしかない特殊な鉱石です。黒鉱は、海底に噴出した熱水に含まれていた銅などの成分が沈殿してできたものです。黒鉱のまわりには石こうが沈殿しました。黒鉱と石こうはセットでできたのです。

 黒鉱は、現代の日本の鉱山技術とも関わり深いものです。様々な成分が混じった黒鉱から銅、鉛、亜鉛、金、銀を選り分ける作業はとても難しい技術です。そのため、江戸時代までは黒鉱は使い物にならない石でした。明治時代以降の技術の進歩とともに黒鉱から金属を取り出すことができるようになりました。その技術は、現在ではコンピューターなどの廃棄物から、金などの希少な金属を取り出す技術に応用されています。日本列島にしかない黒鉱から金属を取り出すために開発した技術のおかげで、現在の日本は「都市鉱山」とも呼ばれる廃棄物を再利用する技術で世界をリードしています。なかでも、この技術に優れているのはDOWAホールディングスという会社です。この会社は、明治時代に石見銀山を再開発した「藤田組」がルーツです。

 現在も採掘が続くゼオライトは、火山灰が熱水の作用で変質したものです。ゼオライトは日本語では沸石と呼ばれ、目には見えない小さな穴をたくさん持った鉱物です。その穴に、ガスの成分などを取り込む働きがあり、臭いを吸収する脱臭剤などに応用されるほか、土壌改良剤などに幅広く使われています。

鬼村の鬼伝説

 昔、鬼村の近くの山に鬼がすんでいました。
 里に自分の城を造って住みたいと思っていた鬼は、村人に話を持ちかけました。

 「俺は自分の城が欲しい。どうだ、この村に城を造らせてはくれまいか。」

 鬼が村にすみついてしまったら、村人たちは村で暮らせなくなってしまいます。村人は断りました。

 村に住むことをあきらめられない鬼は、観音様に城を造らせて欲しいと相談しました。
 鬼が村に住むと村人が困ると考えた観音さまは、無理な条件をつけて承知したふりをすることにしました。

 「どうしてもと言うのならば、夜明けまでに完成させることができれば、村に城を構えてもよかろう。そのかわり、城ができなければ二度と村人の前に姿を現すではないぞ。その時は私が許さないからな。」

 観音様に許しを得た鬼は喜び、張り切って山から大きな石を運び出しては石垣を積み上げ、大急ぎで城を造り始めました。あっという間に石垣は高くなり、夜明けまでに城が完成してしまう勢いです。
 まさかそんなに早く城を作り上げるとは思っていなかった観音さまはあわてました。

 「このままでは、本当に夜明けまでに城ができあがっていまう。そうなれば、村人が困ってしまうではないか。はて、どうしたものか。」

 困った観音様は一案を図り、鬼に夜が明けたと勘違いさせて山へ帰らせることにしました。

 「コ、コ、コケコッコー!」

 鶏の鳴き真似をしたのは観音様です。それを聞いた鬼は夜が明けたと思いました。観音様の狙い通りです。

 「しまった、夜が明けてしまった。間に合わなかったか。」

 鬼はつかんでいた岩を放り投げると、大急ぎで山へ逃げて行きました。

 それ以来、鬼は村人の前に姿を現すことはありませんでした。後に残されたのは、鬼が放り投げた岩だけです。この岩には鬼のの指跡がはっきり残されていましたた。

 いつしか、村人はこの岩を鬼岩呼ぶようになり、指の跡の5つの穴に観音様や地蔵様をまつるようになりました。
 そして、人々はこの村を鬼村と呼ぶようになったのでした。

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