タイトルバナー

地層観察の手引き

■石見銀山と大久保間歩

2014年7月14日 世界遺産登録7周年記念イベント 大久保間歩親子ツアー資料

 石見銀山は、およそ500年前に本格的に銀をほりはじめた鉱山です。当時としては、とてもたくさんの銀がとれた鉱山で、その銀は海外にも輸出され、ヨーロッパの人たちにも知られるほど、国内外に大きな影響をおよぼしました。
 石見銀山の鉱山としての中心は仙ノ山で、山の中には銀を掘ったあとがたくさん残っています。大久保間歩はそのひとつです。規模が大きく、石見銀山の特徴をよく表す採掘跡です。


銀とは何だろう?

 銀はお金やアクセサリーなどに使われる「貴金属」です。美しい輝きをもち、変質しにくく、貴重性がある金属です。金、鉄、銅などとならんで古い時代から使われた金属でもあり、古代メソポタミアでは、4000年も前からお金として使われていました。石見銀山が開発された時代には、銀は世界で通用するお金でした。石見銀山は「お金」を生み出す山だったのです。


福原農道から見た仙ノ山

福原農道から見た仙ノ山(大田市水上町荻原)


大久保間歩内部の大空間

大久保間歩内部の大空間


山から銀を掘り出す

 銀は岩石の中に含まれています。銀を含む石は「鉱石」注1)と呼ばれます。大久保間歩でとった鉱石は、1トンの石から300グラムくらいの銀を取り出すことができるくらいの質です。1トンというと、軽自動車くらいの重さです。その重さの石から、一にぎりの銀がとれるかどうかという割合です。その銀は、そのまま使える形で含まれているわけではありません。注2)他の物質と混じり合っているので、そこから銀だけを取り出す必要があります。その作業を「製錬」と言います。

*注1)銀を含んでいても、少なくて役に立たないものは鉱石とは呼びません。

*注2)そのまま使える「自然銀」というものも少しあります。


銀がとれる場所

 鉱石がとれる範囲を「鉱床」といいます。石見銀山には、銀の鉱床が2カ所にわかれ、仙ノ山の山頂から東側にかけてが「福石鉱床」、西側の斜面から山すそにかけてが「永久鉱床」と呼ばれます。大久保間歩は、福石鉱床を掘った坑道(銀をとるために掘られたトンネル)です。
 福石鉱床は、とても珍しいタイプです。火山灰がかたまってできた石に銀を含んだ水がしみこみ、銀の鉱石ができたものです。この石は「福石」と呼ばれます。福石は、銀を含んでいる量はそれほど多くはありません。しかし、掘りやすいことと、含まれている成分が約500年前に石見銀山に伝わった製錬技術「灰吹法」で銀を取り出しやすいものだったことから、多くの銀を生産することができました。


仙ノ山周辺の地質と鉱床

仙ノ山周辺の地質と鉱床
仙ノ山周辺には、150万年前頃の火山活動によって噴出された溶岩や火山灰などが分布しています。 仙ノ山はばらばらに割れた溶岩(火山礫)と火山灰が滞積してできた山です。その下には、1600万年くらい前の古い時代の地層(久利層)があります。 銀がとれたのは赤と青の破線で囲った範囲で、赤は銀、青は銀と銅がとれました。


大久保間歩の大空間

 大久保間歩の奥は、坑道がアリの巣のように広がっています。その一部は、広間のようになっていて、大きなものはバスケットボールのコートがすっぽり入るほどの広さがあります。銀をとるために掘り広げた跡で、「福石場」と呼ばれています。このような形で掘り広げた鉱山は珍しく、石見銀山が特殊な鉱山だったことをあらわす特徴のひとつです。

福石鉱床の坑道図

福石鉱床の坑道図
藤田組(現DOWAホールディングス)が1896(明治29)年に作成した「本谷福石上下層平面載面実測図」の一部。坑道の一部が大きくふくらんでおり、「福石場」と記載されている。 この図には、坑道と鉱脈(赤線)、銀の含有量を測定した数値(円内)が記載されている。 (上野家資料)


inserted by FC2 system