わたしたちの三瓶山

もくじ

神話と昔話

出雲市大社町奉納山から

三瓶山にむかって弧を描いて延びる園の長浜。出雲市大社町奉納山から。

三瓶山は、出雲に伝わる「国引き神話」に登場します。これは、海のむこうから、園の長浜(出雲市西部の海岸)を綱にして国を引き寄せ、三瓶山を杭にしてつなぎ止めたという物語です。この神話は、「出雲國風土記」に記されています。


三瓶山の名前にまつわるいいつたえ

三瓶山

仙ノ山(大森町)から見た三瓶山。

三瓶山の名前の由来ははっきりしたことがわかりません。出雲國風土記の時代(奈良時代)には佐比売山と呼ばれていました。それがいつ、どうして三瓶山に変わったのでしょうか。奈良時代に朝廷の命令で、多くの地名の漢字が変えられたことがあり、その時に変わったとも言われますが、さだかではありません。
昔話には、大きな地震で山が崩れ、3つの瓶が飛び出したので三瓶山と呼ばれるようになったというユニークなものもあります。また、山の形が、逆さまにふせて置いた瓶のおしりに似ているから、とも言われています。


ふたつの池の物語

浮布池

浮布池

昔、池の近くに住んでいた若い娘が、青年に姿を変えた大蛇に恋しました。あるとき、弓の名人が池のほとりにいる娘と大蛇を見つけて、弓矢で大蛇を射抜きました。大蛇は池に逃げ、娘も後を追って飛び込みました。その後、娘は戻らず、着物の布だけが浮いてきました。それ以来、池は浮布池と呼ばれるようになりました。


姫逃池

姫逃池

長者が原(北の原付近)に住む長者には娘がいました。この娘を嫁にしたいと思った山賊が、長者の家に押しかけて暴れていると、娘の恋人が助けに来ました。しかし、恋人の若者は姫逃池のほとりで山賊に切り殺され、悲しんだ娘は池に身を投げてしまいました。池に咲くカキツバタは娘と若者の化身といわれます。


解説

 およそ1,300年前に書かれた「古事記」や「日本書紀」には、より古い時代からの言い伝えなどが神話として記されていて、日本の歴史を知る手がかりになっています。神話には出雲にかかわることが多く記されていて、古代の出雲が大きな力を持った地域だったと想像されます。その出雲には同じ時代に書かれた「出雲國風土記」が伝わります。出雲國風土記のはじめの部分に、海の向こうから国を引き寄せて出雲の国を大きく広げたという国引き神話が書かれています。
 この神話では、三瓶山が「佐比売山」の古名で登場し、国を引いた綱をつなぎ止めた杭とされています。男三瓶山の山頂からは、引いてきた国とされる島根半島がよく見えます。大社港から道の駅「キララ多伎」のあたりまで続く園の長浜は、国を引いた綱にみたてられています。よく晴れた日には、もう一本の杭とされた大山(鳥取県)も見え、国引き神話の舞台を一望できます。反対に、出雲や松江からも三瓶山の姿を見ることができ、出雲国と石見国の境ということもあって、三瓶山は昔から人々の注目を集める存在だったと思われます。


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