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地層観察の手引き

■石見銀山に学ぶ

 「自然との共生」。
 これは石見銀山の世界遺産登録の際のキーワードでした。地球環境の将来への関心が高まる今日、この言葉は強い説得力を以て受入れられ、その後折りに触れて耳にします。石見銀山における自然との共生とは何か。改めて考えると、思いがけず説明に窮します。心地よい響きの一方で、真意が判り難い言葉です。自然との共生と対極にあたる鉱山開発。矛盾をはらんだ言葉には石見銀山の時代の人と自然の関わりが込められているように思います。


 銀山の本体、仙ノ山の山中を歩くとある錯覚を憶えます。何百年にもわたって岩を砕き火を燃やし続けた荒廃の色は希薄で、むしろ整然とした遺構と各所に残る石塔に信仰の山の静寂を感じるのです。世界の鉱山を知る海外の研究者が調査に訪れた際、この光景に驚きを感じたのも無理ありません。ヨーロッパや南米の鉱山跡は植生が失われ、人工物が支配する空間であることが多いと聞きます。中世の大銀鉱山でありながら静けさが漂う石見銀山は、世界的には異質な存在なのです。そこに「自然との共生」に通じるものがありそうです。


 石見銀山遺跡の大部分は森林に覆われています。緑は自然豊かな印象を演出してくれます。森林は「自然との共生」の鍵です。しかし、緑が豊かなのは環境に配慮した開発の結果というわけではないでしょう。近世以前は、鉱山開発に限らず燃料の大半を森林に依存していました。その需要は膨大で、森林は限界近くまで利用されたのです。石見銀山も例外ではありません。それでも日本の森林は強靱です。恵まれた気候のおかげで、裸地化しても数十年で木が生え揃います。使っても再生する森。恵まれた気候条件と島国という地理的条件は、日本的な自然観を育みました。近世以前の日本人にとって、自然は感謝と畏れの対象でした。自然は恵みをもたらしますが、狭い国土では己の土地がもたらす実りが唯一の生活の糧でもあります。環境に大きな打撃を与えると暮らしが成り立たなくなります。感謝と畏れの念は、生きるために自然を利用し、生きるために自然と折り合いをつけることから生まれた自然観なのです。それは民族の移動と争奪を繰り返した大陸的な自然観とは異質です。また、どこか第三者的な感がある現代の自然保護の概念とも異なります。限られた土地の自然を利用した日本の生活は、自然を支配するものでも隔離するものでもなく、共生していたと言えるでしょう。


 近世以前の鉱山開発も日本的自然観に基づいて行われました。山に神を祀ったことはその表れのひとつです。鉱山の周辺には人々の暮らしがあり、それは奴隷制や植民地支配のもとで開発された欧米の鉱山とは異なるたおやかなものでした。石見銀山に漂う静謐は、そのような開発と生活の痕跡が時の流れとともに風化する過程で生まれたものであり、故に景観の中に自然と共生した精神が感じられるのだと思います。それは当時の日本の精神性であり、石見銀山だけが何か特別な意識に基づいて開発されたのではないでしょう。しかし、国内外に多大な影響を及ぼした銀山に自然との共生の意識に基づく開発の痕跡が遺存することは他に比類なく、日本的自然観の象徴として世界に誇り得るものに違いありません。


 ところで、世界遺産登録の際に自然との共生がキーワードとなった背景には、世界的な将来環境への関心の高まりがあったと聞きます。鉱山でありながら環境負荷が小さかったことが注目されたのです。人類はいつの時代も自然から資源を得て生活しています。石見銀山の時代は森林が再生する早さと量の範囲での生活でした。現代はそれでは間に合わず、化石燃料をはじめ膨大な量の地下資源を用いています。地球には様々なスケールの物質循環があります。その速度と量を超えて資源を利用すると、枯渇と環境負荷が生じます。自然の循環は環境を考える上で重要な要素です。現代人は自然に生かされていることを忘れかけていますが、図らずも限られた土地で生活してきたいにしえの日本人は自然の循環を強く意識し、上手に利用してきました。石見銀山遺跡の静謐。それは現在と未来の社会にとって大切なことを教えてくれると感じます。

資料作成・中村唯史(島根県立三瓶自然館)


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