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島根県の自然

■頓原町板屋3遺跡のアカホヤ火山灰降灰層準

はじめに

 島根県頓原町の志津見ダム建設工事にともなって行なわれた板屋3遺跡注1)の発掘調査では、三瓶火山の噴火活動によってもたらされた火山灰層に挟まれた複数のクロボク層(黒色土)からそれぞれ時期の異なる遺物が出土した。降灰時期が3,600年前頃と推定される第1ハイカ注2)(第7活動期の噴出物)と降灰時期が4,900年前頃と推定される第2ハイカ(第5活動期の噴出物)に挟まれた第2黒色土からは縄文時代前期末〜縄文時代中期の遺物が出土し、第2ハイカと11,000年前頃と推定される三瓶浮布軽石に挟まれた第3黒色土からは縄文時代前期の遺物が出土した。この成果は火山灰層序と考古遺物の関係を示す貴重な資料と言える。なお,三瓶火山起源の火山灰の詳細な層序および岩石学的記載は本報告書中で松井整司氏によってなされている。山陰地域における火山灰層序と考古遺物の関係については、アカホヤ火山灰(以下,アカホヤ)と縄文土器の関係を示す例が近年報告されつつある(島根大学埋蔵文化財調査研究センター,1994編;中村ほか,1997など)。アカホヤは九州の南の海中にある鬼界火山(カルデラ)から噴出した火山灰で、西日本を中心に広く分布し、降灰時期は6,300yrs B.P.である(町田・新井,1992)。アカホヤはその広域性と、降灰時期が縄文海進高頂期とほぼ一致することから、考古学や地質学において重要な鍵層とされている。第3黒色土は上下の火山灰層との関係からその中にアカホヤの降灰層準が存在すると推定される。そこで,泥試料を採取し、アカホヤ降灰層準の決定を試みた。その結果について以下に述べる。

注1)遺跡名称はローマ数字の3。文字化け回避のために3と表記している。

*注2)ハイカとは調査地域で火山灰を意味する呼び名。遺跡発掘調査時に火山灰層を上位から第1ハイカ、第2ハイカと命名したことから、本稿ではその名称を使用している。

第1図 調査地点の位置と周辺の地質分布

第1図 調査地点の位置と周辺の地質分布

板屋3遺跡の層序

 島根県頓原町の板屋3遺跡は三瓶山の東山麓に位置する(第1図)。神戸川右岸の河岸段丘上に形成された遺跡である。

 今回検討したのは1995年度調査区第2地点19Iトレンチである。このトレンチの柱状図を第2図に示し、以下に層序を述べる。最下位に三瓶浮布軽石(松井・井上,1971)の火砕流堆積層と降下軽石層があり、この上に下位から順に第3黒色土、第2ハイカ、第2黒色土、第1ハイカ、第1黒色土が重なる。

 浮布軽石は発泡の良い白色軽石が特徴的で、軽石の表面と細粒部分は風化して黄褐色を呈する。浮布軽石の噴出時期は11,000yrs B.P.頃と推定されている。

 第3黒色土は層厚100cmである。第3黒色土には縄文時代草創期末または縄文時代早期初頭から縄文時代前期までの遺物が含まれる。上下の火山灰層との関係から、アカホヤ降灰層準が存在すると推定されるが、地層としては認められない。第3黒色土の下部に層厚15cmの暗黄褐色を帯びる層準(第3ハイカ)が挟まれる。

 第2ハイカは層厚90cmである。火山灰層2は5〜6枚のフォールユニットで構成され、デイサイト岩片を主体とし、灰色を呈する。

 第2黒色土は層厚30cmである。第2黒色土には縄文時代前期末〜中期の遺物が含まれる。

 第1ハイカは層厚70cmである。第1ハイカは火砕流堆積層と降下火山灰層で構成される。デイサイト岩片を主体とし、灰色を呈する。
 第1黒色土は層厚40cmである。第1黒色土は現表土に連続する。縄文時代後期(4,000〜3,000y.B.P)以降の遺物が含まれる。

 第1ハイカと第2ハイカはそれぞれ松井・井上(1971)の三瓶大平山火山灰と三瓶角井火山灰に対比される。

第2図 試料採取地点の柱状図

第2図 試料採取地点の柱状図

試料の採取と処理

 試料はアカホヤ降灰層準が推定される第3黒色土から採取した。肉眼的に層相に変化がある第3黒色土の下部は5cm間隔、その他は10cm間隔で厚さ2cmずつ14試料を採取した。

 約20gの試料に過酸化水素水を加え有機分を分解した後、250メッシュのふるいで水洗し、超音波洗浄で砂粒に付着した粘土分を取りのぞいた。乾燥後、150メッシュのふるいで粗粒分を取りのぞいた150―250メッシュ間の粒子をバルサムでスライドグラスに封入し、検鏡用試料とした。

火山ガラスの計数

 アカホヤは大部分が火山ガラスからなる。火山ガラスの形態はバブル型を主体とし、筋状に発泡した軽石型を含むことを特徴とする。また、火山ガラスは褐色を帯びる透明である。一方、三瓶火山起源の火山灰に含まれる火山ガラスは軽石型で、特に完新世の活動で噴出した火山灰に含まれる火山ガラスは、半透明であることが多く、透明な板状、粒状の火山ガラスはまれにしか含まれない。そこで、第3黒色土に含まれる150-250メッシュ粒子を鉱物顕微鏡で400個以上計数し、その中に含まれるバブル型の火山ガラスの含有率を求め(第3図)、実体顕微鏡で火山ガラスの色を観察した。

第3図 火山ガラスの含有率

第3図 火山ガラスの含有率

火山ガラスの含有率とアカホヤ降灰層準の推定

 第3黒色土の下部(試料No1〜8)ではバブル型火山ガラスの含有率は極めて低い。試料No9では約1%含まれ、No10では殆ど含まれないが、試料No11より上位では含有率1%以上含まれ、試料No12では約7%のピークを示す。

 火山ガラスの色は、試料No1〜8では無色透明のものしか認められない。試料No9より上位では褐色を帯びたものと無色透明のものが混じる。極めて薄い火山ガラスは無色透明に見えるため、有色のものとの識別が難しく、無色と有色の量比は測定できなかった。

 以上のように、試料No12でバブル型火山ガラス含有量はピークを示す。また、試料No12以上の火山ガラスは褐色を帯びるものが多い。火山ガラス含有量のピークは明瞭であり、色調がアカホヤに特長的なものが含まれる。なお、試料No11にも若干バブル型火山ガラスが含まれ、試料No9にも褐色を帯びた火山ガラスが含まれているが、第3黒色土は陸成の堆積物であり、生物の活動によって本来それより上にあったものが下位の地層に混入した可能性がある。

 島根県東部地域に分布する完新世の火山灰でバブル型火山ガラスを含むものは、これまでにアカホヤしか知られていない。これまでの多数のボーリングコアや遺跡堆積層についての検討(中村ほか,1996)から、肉眼的に地層として認められるようなバブル型火山ガラス主体の火山灰層が島根県東部地域ではアカホヤ以外に存在しないことはほぼ確実である。アカホヤ以外の火山灰に由来するバブル型火山ガラスが地層中に含まれている可能性はあるものの、量的には極わずかであるはずである。したがって、砂粒子を主体とする粗粒な堆積物中でバブル型火山ガラス量が6%も含まれている、試料No12付近がアカホヤ降灰層準とみなすことが出来る。

 なお、更新世後期の火山灰では25,000yrs.B.P頃の姶良Tn火山灰(AT)はバブル型の火山ガラスが多く含まれ、完新世の堆積物中にも再堆積したものが多く含まれている(大西ほか,1989)が、ATの火山ガラスは無色透明であることからアカホヤとは比較的容易に区別できる。

まとめ

 板屋3遺跡では縄文時代前期の遺物を含む第3黒色土層中にアカホヤ降灰層準が存在することが明らかになった。

 第3黒色土中のアカホヤ降灰層準より下位の地層からは、島根県下の縄文土器としては最古級の縄文時代草創期末または縄文時代早期初頭に位置づけられる土器から縄文時代早期末までの土器が出土し、アカホヤ降灰層準より上位の地層からは縄文時代前期前半から縄文時代前期末までの土器が出土した。このことは、アカホヤの降灰時期(6,300yrs.B.P)が縄文時代早期末または縄文時代前期初頭に位置づけられることと調和的である。

 山陰地域で縄文土器とアカホヤの関係が地層中で連続的に明らかになった例として、鳥取県淀江町の渡り上り遺跡が挙げられる。ここではかつて存在した潟湖(淀江潟)に面した扇状地上の河川堆積層中にアカホヤ降灰層準が確認され、その上下の地層から縄文時代早期末から縄文時代前期前半の土器が数多く出土している(中村ほか,1997)。

 また、三瓶火山起源の2枚の降下火山灰(大平山降下火山灰と角井降下火山灰)とアカホヤの関係が直接明らかになった。三瓶火山起源の火山灰は火砕流堆積物中に含まれる炭化木片の14C年代からアカホヤ以降のものが複数存在すると考えられていた(松井・井上,1971)。しかし、三瓶火山起源の火山灰で層相などから降下火山灰と認定できるものと、アカホヤとの直接の層序関係が明らかにされた例はこれまでほとんどなかった。今回、その関係が明確になるとともに、縄文土器との関係が明らかになったことは、三瓶火山の活動史を考えるうえでの貴重な資料になるものと思われる。

 なお、今回は鉱物組成、火山ガラスの屈折率、火山ガラスの化学組成などについての検討をおこなっていない。より確実に火山灰層を同定するためにはそれらの分析をおこなう必要がある。しかし、今回行なったアカホヤ降灰層準決定法は比較的短時間で結果が得られ、特殊な分析装置や試薬類を必要としないことから、遺跡調査やボーリング試料の観察など調査現場において有効と思われる。

謝辞

島根大学汽水域研究センター客員研究員の松井整司氏には調査現場へご同行いただくとともに、三瓶火山についてお教えいただいた。ここに記してお礼申し上げます。

文献

町田 洋・新井房夫,1976:広域に分布する火山灰―姶良Tn火山灰の発見とその意義―.科学,46,339-347.

町田 洋・新井房夫,1978:南九州鬼界カルデラから噴出した広域テフラ―アカホヤ火山灰.第四紀研究,17,143-163.

町田 洋・新井房夫,1992:火山灰アトラス―日本列島とその周辺.276p.

松井整司・井上多津男,1971:三瓶火山の噴出物と層序.地球科学,25,147-163.

中村唯史,1993:松江市西川津遺跡のアカホヤ火山灰層.島根大学地質学研究報告,12,67-70.

中村唯史・徳岡隆夫・大西郁夫・三瓶良和・高安克己・竹広文明・会下和宏・西尾克己・渡辺正巳,1996:島根県東部の完新世環境変遷と低湿地遺跡.LAGUNA汽水域研究,3,9-11.

中村唯史・徳岡隆夫・赤木三郎・岩田文章,1997:淀江平野の地下地質と淀江潟についての考察.LAGUNA汽水域研究,4,59−68.

大西郁夫・西田四朗・渡辺正巳,1989:山陰地方中部の第四紀後期火山ガラス.島根大学地質学研究報告,8,7-16.

島根大学埋蔵文化財調査研究センター編,1994:島根大学構内遺跡(橋縄手地区)発掘調査概報1.44p.

*本文は、建設省中国地方建設局・島根県教育委員会編(1998)「板屋3遺跡」に中村唯史が執筆した原稿を再掲したものです.

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