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地層観察の手引き

■出雲市古志本郷遺跡の立地と自然史

はじめに

 古志本郷遺跡が立地する出雲平野西部は,その地形発達に三瓶火山(注1)の噴火活動が影響したことが遺跡調査の成果などから明らかになりつつある。とくに縄文時代後期の噴火活動(松井・井上,1971)(注2)の第7活動期は現地形面の形成に直接関わったことが予測され,弥生時代に急速に拡大する出雲平野の遺跡の立地を考えるうえで重要な要素といえる。 古志本郷遺跡の発掘調査では調査区の一部で深堀トレンチを設定し,層序の観察と14C年代測定を実施した。ここではその結果を報告する。



1図 深堀トレンチの柱状図と試料採取位置


深堀トレンチの層序

 深堀トレンチはH2区の南東部に設定し,遺構面より下部を重機によって掘削した(1図)。 弥生時代以降の遺構は中礫を含む粗粒砂層(砂層A)の上に立地している。砂層Aは層厚が約1.5mあり,トレンチ壁面でみると斜交層理が発達している。その下位には削り面で境されて塊状無構造の粗粒砂層(砂層B)が層厚約1.5mで分布する。砂層Bは細礫〜粗粒砂とシルト以下の細粒分が混じりあっていて,粒径淘汰が悪い地層である。
 砂層Aと砂層Bを構成する粒子のうち,極粗粒砂以上の粗粒分について岩種を区分すると,2図に示すように三瓶火山噴出物に由来するデイサイト(注3)岩片が圧倒的に多く,砂層は火山噴出物の二次堆積物と判断できる。なお,細粒分については単体の鉱物結晶であることが多く,母岩を判別しにくいことから観察の対象としなかった。



2図 砂の岩種構成


 砂層Aと砂層Bの岩相の違いは堆積メカニズムの違いによって説明できる。砂層Aでは斜交層理が認められる.これは粒子が水流によって押し流される過程で,河床に様々な形態の高まりを作ったり,弱く浸食したりした結果で,河川作用による堆積物と判断できる。一方,砂層Bでは堆積構造が認められず,粒径の異なる粒子が混在している。これは砂層Bが河川水流によって堆積したものではなく,重力流堆積物であることを示している。重力流とは水あるいは空気と混じりあった土砂が一体となって自重で斜面を流れ落ちるもので,火山泥流や土石流,火砕流があげられる。砂層Bは水を含んだ比較的細粒な火砕物が流れ下った火山泥流堆積物と判断できる。
 砂層Aと砂層Bは削り面によって境される。削り面には若干の植物根の侵入が認められるが,著しい土壌化はなく,堆積時期の空隙は短いものと判断される。 砂層の下位には有機質シルト層が分布する。層厚は0.2mである。有機質シルト層には植物根などの植物遺体が含まれ,後背湿地の堆積物と判断される。有機質シルト層の下位には均質な火山灰質シルト層が分布する。この地層はトレンチの掘削下限で確認され,層厚は不明である。


14C年代について

 深堀トレンチの有機質シルト層から得られた植物根について14C年代測定を行った。 試料は植物根であるので現地性のものと判断でき,砂層が堆積する直前の年代を示すと期待される。植物根は上位の砂層Bまで連続していないこと確認している。
 測定はBETA ANALYTIC社に依頼して加速器質量分析計(AMS)によって分析し,3740±60yr.BPの年代値(δ13C補正値)が得られた。
3740yr.BPの年代値は上記のように砂層Bが堆積する直前の年代を示すものと考えられる。この年代は,神戸川(注4)上流の板屋3遺跡(注5)などで三瓶火山第7活動期の噴出物の直下から得られた年代値などと近い値である。また,古志本郷遺跡から約1km上流に位置する三田谷1遺跡(注6)では,火山噴出物起源の洪水堆積層が2層確認されていて,上位の洪水堆積層の直下から3770yr.BPの年代値が得られている(建設省中国地方建設局・島根県教育委員会,2000編)。以上のことから,砂層Bと砂層A(両者のタイムギャップは小さいと推定される)は三瓶火山第7活動期にその火砕物が二次堆積したものと考えられる。
なお、3700yr.BPの14C年代値は暦年に較正すると約4000年前にあたる。



3図 神戸川に沿う地下地質断面と年代値の関係


地形発達のモデル

今回得られた層序と年代値から,古志本郷遺跡が立地する微高地の形成は次のようであったと考えられる。
4000年前頃(暦年)に三瓶火山が活動を行い,神戸川流域にもたらされた火砕物が水を含んで火山泥流となって流れ下ったり,洪水流によって運ばれたりして出雲平野まで達した。その堆積物はそれ以前の地表面を少なくとも3mの厚さで覆い,新たな地形面を形成した。洪水は幾度となく発生したと推定され,この時期の神戸川は天井河川化して頻繁に流路を変えながら平野の各所に自然堤防を形成したと想像される。
噴火活動が終わり砕屑物供給量が減少すると,河道はある程度固定されるようになり,平野面を下刻して流れるようになる。そうすると,天井河川による自然堤防として形成された微高地は河川の影響を受けにくい場所となった。そこを利用して弥生時代に古志本郷遺跡が営まれるようになった。 また,出雲平野西部の遺跡の多くは古志本郷遺跡と同様にデイサイト質の砂からなる地盤上に立地している。例えば,隣接する下古志遺跡や田畑遺跡,神戸川の対岸にある天神遺跡,さらに北へ離れた矢野遺跡,小山遺跡などがそうである。これらの遺跡では地盤の形成時期を直接示す資料は得られていないが,古志本郷の地盤形成と同時期の可能性が高い。同時期の堆積物が平野面を広く厚く覆ったことは,出雲平野における遺跡の出現時期と関わってくるように思われる.


遺跡からの提言

今回の古志本郷遺跡の深堀トレンチ調査では,三瓶火山の活動期に出雲平野まで火山泥流が達していたことが明らかになった。その堆積物は微高地を形成して遺跡立地に適した地盤となったが,火山泥流が発生する前にそこに人の暮らしが営まれていた場合を考えると,それは生活を破壊する災害ということになる。もしも,現在同様の現象が発生するとどうなるであろうか。火砕物に由来する砕屑物は出雲平野西部の広い範囲に厚く分布している。それが同規模で現在の街を覆えば大変な災害である。
三瓶火山は過去10数万年の間に,数千年から数万年の比較的長い休止期を持ちながら噴火を繰り返してきた火山で,いつの日か活動を再開する可能性を秘めている。また,火山体は崩れやすい性質を持つので活動とは関係なく山体崩壊が起こるケースもある。だからといって,それをいたずらに恐れることは賢明とは言えないが,万が一の場合の対策として,過去の「災害履歴」を明らかにして,将来起こりうる災害のことを知っておくことは決して無駄ではない。実際そういう観点から,幾つかの火山でハザードマップと呼ばれる防災マップの作成が行われている。 遺跡調査からは過去の災害履歴に関する情報が得られる機会が多く,それは防災という形で現代社会に貢献している。今回の調査で得られた情報もそのような形で活用されることを期待したい。



4図 火砕物に由来する土砂の主な流下経路


(注1)三瓶火山:出雲と石見の国境に位置する三瓶山は,10数万年前以降に繰り返し噴火活動を行った火山で,最新の活動期は3500〜3700年前(縄文時代後期)である。


(注2)松井整司・井上多津男,1971:三瓶火山の噴出物と層序.地球科学,25,147-163.


(注3)デイサイト:火山岩の一種。三瓶火山が噴出した溶岩はこれにあたる。


(注4)神戸川:出雲平野西部を流れる河川。その集水域に三瓶火山があり,活動期には火山噴出物が流域にもたらされた。


(注5)中国地方建設局・島根県教育委員会,1998.志津見ダム建設予定地内埋蔵文化財発掘調査報告書5「板屋3遺跡」.


(注6)中国地方建設局出雲工事事務所・島根県教育委員会,2000.斐伊川放水路建設予定地内埋蔵文化財発掘調査報告書8「三田谷1遺跡」vol.2.


*島根県教育委員会編(2001)「古志本郷遺跡2」の中村唯史執筆部分を再編集して掲載。


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