タイトルバナー

地層観察の手引き

■くにびき神話の地質学

1.壮大な物語

国引き神話

図1 出雲国風土記の意宇郡の項の冒頭にある国引き神話(一部)


上は出雲国風土記の冒頭、意宇郡の項にある「国引き神話」の部分。出雲の国を造った八束水臣津野命が海の彼方から、日御碕など島根半島の山々を引き寄せ、石見国と出雲国の境にある佐比売山(三瓶山)を杭にしてつなぎ止めた、引いた綱は園の長浜である、と記されています。
後半では、美保関などを引き寄せ、火神岳(大山)を杭に留めたと記されています。


この物語は想像の産物ですが、出雲を中心とした地域の地形を見事に折り込み、三瓶山や大山の頂からその舞台となった地形を見ると、古代の人々の観察力と想像力に感心することでしょう。


そして、偶然にも、この地域には国引き神話さながらの地形発達の歴史があり、その主役が三瓶山なのです。
三瓶山は過去に幾度も噴火を繰り返した火山で、5500年前と4000年前にも噴火しました。
その時、噴出した多量の火山灰が出雲地域の西部を流域とする神戸川を通じて海まで運ばれ、平地を広げ、それまで島だった島根半島を陸続きにしたのです。
国引き神話の舞台で繰り広げられた自然の力による地形発達の歴史。地質的な面から紹介しましょう。


2.神話の舞台の地質

出雲地方の地質図

図2 出雲地方の地質図。黄色の線で囲んだ範囲は、神戸川と斐伊川(出雲平野より下流で合流する部分を除く)の流域


国引き神話の舞台は、島根半島から出雲平野、宍道湖、中海、弓浜砂州、そして三瓶山、大山にかけての範囲です。
島根半島には、新第三紀中新世の中期から後期(およそ2500万年前〜1000万年前)に形成された火山岩や堆積岩などが分布しています。この岩石ができた時代は、日本海が拡大し、日本列島が大陸から切り離された時代です。このことは後で紹介します。同様の地層は、中国山地の北縁、つまり出雲平野の南方や宍道湖、中海の南岸にも分布しています。
島根半島と中国山地北縁に挟まれた部分は低地帯になっていて、西から出雲平野、宍道湖、中海、弓ヶ浜砂州が連なります。この部分は縄文時代早期から前期には大部分が内湾で、そこに堆積した土砂が出雲平野と弓ヶ浜砂州を形成し、宍道湖、中海を潟湖にしています。
出雲平野と弓ヶ浜砂州は、第四紀完新世(1万1000年前〜現在)に堆積した地層からなる沖積平野です。
中国山地には花崗岩類が広く分布しています。山陰側の花崗岩は古第三紀(およそ6500万年前〜2500万年前)の火成活動にともない、地下深部でマグマが冷えてできたものです。


3.宍道湖・中海周辺地域の地形変遷

宍道湖・中海周辺地域の地形変遷

図3 宍道湖・中海周辺地域の地形変遷(中村、未公表資料)


完新世が始まった1万1000年前から現在まで、言いかえれば縄文時代草創期から現在までの間に、宍道湖・中海周辺地域の地形は大きく変化してきました。その変化は、気候変化にともなう海水面の昇降と河川が運んだ土砂の堆積作用によります。
1万1000年前は、最後の氷期が終わった時とされています。氷期は地球全体が寒冷化する時代で、最終氷期はおよそ10万年前に始まり、2万年前頃が最寒冷期でした。
最寒冷期には、日本列島付近の海面は現在に比べて100m前後低く、宍道湖・中海周辺の低地帯は陸上で谷地形でした。
氷期が終わると海面上昇が生じました。1万1000年前から7000年前頃にかけて、100年間で1mもの平均速度で海面が上昇したことにより、氷期の谷は海没して湾が形成されました。7000年前には低地帯の大部分は内湾になりました。縄文海進と呼ばれる時代です。
7000年前に海面高度が現在とほぼ同じになると、その後は大きな変化はなく、土砂が内湾に堆積して沖積平野が拡大しました。


出雲平野の形成で注目されるのは、5500年前と4000年前に生じた三瓶火山の噴火の影響です。この時、神戸川を通じて下流へもたらされた土砂によって平野は急激に拡大し、それまで離島だった島根半島を陸続きに変えました。
その証拠は、出雲平野地下の堆積物に認められます。


4.出雲平野地下に分布する火山噴出物

出雲平野西部の南北方向地質断面図

図4 出雲平野西部の南北方向地質断面図。ピンク色で示した部分が火山噴出物に直接由来する洪水堆積層。数字は暦年に較正していない放射性炭素年代値。


図4は神戸川扇状地の頂部付近から島根半島へ至る南北方向の地質断面図です。
出雲平野西部には、三瓶火山の噴出物が厚く分布しています。扇頂部の三田谷遺跡では厚さ3mを超える火山噴出物の地層があります。火山灰や火山礫(火砕物)が流域に多量に供給されたことで、神戸川は大洪水を幾度も引き起こし、火砕物起源の土砂が堆積したものです。
三田谷遺跡では、火山噴出物の洪水堆積物の堆積年代として、直下の泥層から約3700年前と約4800年前の放射性炭素年代(暦年代に補正すると約4000年前と約5500年前)が得られていて、三瓶火山の活動年代と一致します。
同質の地層は出雲平野西部に広く分布していて、この地層が現地形の原形を形作っています。
すなわち、火砕物は海を埋めて平野を急激に広げると同時に、陸上に堆積した部分が現地形を作り上げたと言っても過言ではありません。
国引き神話を彷彿とさせる地形発達の歴史です。その急激な変化を生み出す原因となったのが、国引きの杭である三瓶山なのです。


5.出雲平野西部の遺跡分布

出雲平野西部の遺跡分布

図4 出雲平野西部の遺跡分布


三瓶火山の活動時に一気に広がった出雲平野西部の地形面には、弥生時代の集落遺跡が多く分布しています。
4000年前の洪水によって形成された微高地は居住の場として利用され、多くの集落が形成されました。
同じく出雲平野を流れる斐伊川の場合は、平野面上に遺跡があまりありません。
それでも、最近は大規模開発に伴って実施された発掘調査によって重要な遺跡が発見されており、昔は斐伊川のすぐ近くに人の営みがあったようです。


6.弥生時代の地表面の高度

弥生時代の地表面の高度

図5 神戸川下流の扇状地の弥生時代の地表面の高度


神戸川と斐伊川の下流域にあたる地域の弥生時代の遺跡から明らかになった当時の地表面の高さを比較したものが第6図です。緑色の四角で示した高さが弥生時代の地表面です。
神戸川下流の出雲平野では、多くの遺跡が現地形の直下にあります。このことは、三瓶火山の噴出時にできた地形を利用して集落が形成され、また家を失った人もいることを示しています。
斐伊川の場合は、弥生時代以降に堆積した土砂が多量に堆積しています。かんな流しに伴う土砂の流出によるものと思われます。三瓶火山の活動によって縄文時代に地形の原形ができ上がった神戸川下流域と、近世以降のかんな流しによって地形が大きく変化した斐伊川下流域の違いが分かります。


7.海の彼方からやってきた

日本列島の形成史

図7 日本海の拡大と日本列島形成の歴史


三瓶山の噴火と出雲平野の拡大は、地球の歴史ではごく新しい、完新世という過去1万1000年以内に起きた自然現象です。
もっと古い時代に目をやると、日本列島そのものが大陸の方から移動してきた、これもまた国引き神話さながらの自然史があります。
第7図は、1億年前から現在までの日本列島付近の地形です。恐竜が栄えていた1億年前は、日本列島はまだなく、ユーラシア大陸が太平洋に直接面しています。
変化が生じたのは、中新世の始め頃でした。大陸の縁辺部で火山活動が活発になり、大地が割れ始めたのです。2200万年前とした図では、対馬海峡辺りが開き始めていることが分かります。
その後、約1000万年をかけて日本海が拡大し、西日本と東日本が「ハ」の字に開くようにして日本列島が現在の位置に移動しました。
国引き神話のように、海の彼方から日本列島が移動してやってきたのです。地球の歴史の中では、このような現象も起きていたのです。
ただし、人類の歴史よりはるかに古い時代の地殻変動ですので、この地形変化が国引き神話に結びつくということはありえません。


8.日本海形成の時代の地層

グリーンタフ地帯と黒鉱鉱山

図8 グリーンタフ地帯と黒鉱鉱山


新第三紀中新世に生じた日本海拡大の地殻変動は、日本列島の地質史において特筆すべき出来事です。
広がりつつあった日本海の海底で起こった火山活動は日本列島に豊かな鉱物資源をもたらしたことでも注目されます。
日本海拡大に伴う火山活動の噴出物が分布する地域は、グリーンタフ地帯と呼ばれ、島根県から北海道まで、日本海沿岸地域を中心に広がっています。
グリーンタフとは緑色を帯びた凝灰岩のことで、日本海形成期の海底火山噴出物にはグリーンタフ(緑色凝灰岩)が特徴的に含まれます。
また、海底火山活動は、黒鉱鉱床という日本列島に特徴的な、各種金属が混在する堆積性の鉱床を形成しました。
黒鉱と呼ばれる鉱石には金、銀、銅、鉛、亜鉛などが含まれ、黒鉱の縁辺には石こうを伴います。
島根県にも黒鉱鉱床がいくつか存在し、かつては黒鉱や石こうを採掘する鉱山が稼働していました。

様々な鉱物が混在している黒鉱から金属を取り出す製錬技術は、廃電子機器からの金属回収、いわゆる都市鉱山を利用する技術に応用されていて、現代社会において欠かせない技術にもなっています。
国引き神話さながらの地殻変動は、日本列島に豊かな鉱物資源をもたらし、その開発で培われた技術は現代にも応用されているのです。


inserted by FC2 system