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島根県の自然

■益田市安富平野の地形と遺跡の立地

1.安富平野について

 中小路遺跡、羽場遺跡が位置する安富平野(横田盆地)は、高津川下流域に発達する平坦地形である。下流側(北側)では河口域に発達する益田平野に連続するが、須子町と飯田町の境部分で尾根が河岸に迫り、平野を隔てている。

 安富平野は高津川の曲流に伴って形成された地形である。高津川は、石見横田駅の北側で本流と匹敵する規模を有する支流の匹見川と合流した後、須子町付近にかけて大きくS字を描くように流れ、その曲流の内側に平坦地を構成している。平坦地の形成は、曲流部では流れの外側に向かって浸食が進み、内側では土砂の堆積を生じながら河道が移動することで生じる。

 平野を形成する高津川は急峻な西中国山地を源流とする急流である。80kmを超える河川延長に対し、安富平野は河口まで約10kmの下流域にあたるが、流れは早く中流的な要素が強い。

2.周辺の地形と地質

 安富平野の周囲は、標高100〜200mの丘陵地が広がる。この丘陵地は谷の開削が進んでいるが尾根高度はほぼ一定で、巨視的には日本海に向けて緩く傾斜する台地状の地形である。丘陵地には第四紀更新世の堆積岩類(都野津層)、新第三系の堆積岩類(石見層群)、中生代三畳紀の変成岩類(周防変成岩類)などが分布している。高津川の中〜上流域には中生代ジュラ紀の堆積岩類(鹿足層群)、中生代白亜紀の火山岩類(匹見層群)などが広く分布している。白亜紀の火山岩類は硬質で、西中国山地の急峻な地形の骨格をなしている。

3.遺跡の立地

 中小路遺跡、羽場遺跡が立地する部分は、現河床に対して5m程度高い河岸段丘である。段丘面は、中小路遺跡の西側で低位の面に対し、比高約3mの明瞭な小崖で接している。河岸段丘とは、過去の河道が形成した堆積面、浸食平坦面が、河道高度の相対的な低下によって取り残された地形面である。


 河岸段丘は原始から現代に至るまで、居住地としてよく利用される地形のひとつである。川に近い利便性と氾濫の影響を受けにくい高さが、河岸段丘が居住地として選ばれる条件といえる。同一の段丘面内にも若干の地形の高低があり、中小路遺跡の範囲は周囲よりわずかに高い微高地になっている。微高地帯の形状が河道の曲流に沿うことから、自然堤防帯の名残とみられる。羽場遺跡は丘陵際に位置し、平野内では相対的に高い場所である。遺構の分布や性格が、当時の地形をある程度反映していることがうかがわれる。

安富平野北部の微地形と遺跡範囲

fig1 安富平野北部の微地形と遺跡範囲
「県営担い手育成基盤整備事業」による地形図の標高データを元に作成した微地形図に遺跡範囲と主な遺構を重ねたもの。等高線に付した数字は標高。

(中村唯史)

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