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しまねの自然スポット

■江の川

河川延長:194km

流域面積:3,870平方km

源流点:阿佐山(広島県)

河口:島根県江津市

三次盆地を流れる江の川

三次盆地を流れる江の川。ここでで可愛川、馬洗川、西条川が合流して一気に水量を増して山陰側へ向けて流れます。

 江の川は中国地方で最大の規模を有する河川です。中国山地の山陽側(広島県側)を源流域として、三次盆地(広島県三次市)で可愛川、西条川、馬洗川の大きな流れが合わさって北流し、中国山地を横切って江津市で日本海に注ぎます。
 江の川のように山地を横切る河川は「先行河川」と呼ばれます。先行河川は、山地が隆起する以前からあった河道が、山地の隆起に打ち勝って流路を維持したものです。江の川の中流域には約1600万年前(新第三紀中新世)に海域で堆積した地層が分布しています。この時代は日本海が開いて日本列島の原型が形成されつつあった時代に相当し、この頃の江の川中流域は点在する島に挟まれた内海または深く入り込んだ湾だったと考えられます。その後中国山地が隆起する過程で、海だった部分に川が集まり、川の流れは日本海側に通じていた海の名残を受け継いで日本海へ流れ続けました。こうして、山陽側の水を広く集め、中国山地を横切る川になりました。

 江の川の下流域は河床勾配が緩やかで、河口から約10km上流までは河床の高さが海面高度以下です。そのため、河口から8km付近までは常時海水が入り込み、典型的な「塩水くさび」が発達しています。海水と河川水はほとんど混じらず、海水の上面を滑るように河川水が流れます。

 河口は直線的な海岸に直行する形になっており、河川規模に対して沖積平野の発達は貧弱です。河口の西側の江津市都野津町から二宮町にかけては、海岸から1km以上内陸側にかなり規模の大きい砂丘が発達しています。都野津町の半田浜遺跡では厚い砂丘砂層の下から中世の住居や道などの遺構が多くの考古遺物とともに検出されており、中世以降に砂丘が大きく成長したことを物語ります。江の川流域の邑南町地内などでは、近世(江戸時代)を中心に砂鉄採取と製鉄が盛んに行われており、これに伴って大量の土砂が排出された時代に砂丘が成長したと推定できます。

粕淵の曲流

美郷町粕淵で大きく向きを変える江の川の流れ。三瓶山の山頂から撮影。

江の川河口

江の川河口部。地形勾配が緩やかで、江戸時代から明治時代には多くの川舟が行き交い、江の川は山陰と中国山地の山間部をつなぐ物流の動脈の役割を果たしました。地形勾配が緩やかであるために塩水くさびの発達が顕著で、通常、この河口から8km上流まで海水がさかのぼります。

■江の川の塩水くさび

塩水くさびのイメージ

江の川の塩水くさびのイメージ

 江の川の下流域では、川の流れの下に海水が入り込む「塩水くさび」という現象が発達します。
海水は、河口から何キロメートルも上流までさかのぼり、その海水の上を川の水が滑るように流れています。これは、江の川の独特の地形と、干満の少ない日本海の特性から生まれる現象です。

 塩水くさびが形成される原因のひとつに、「淡水と海水の混じりにくさ」があります。
淡水と海水を一緒にするとすぐに混じり合うような気がしますが、そっと注いだ状態では意外なほど混じりあいません。混じらないのは、淡水と海水の密度の違いのためです。1リットルが1キログラムの淡水に対し、海水は1リットルが約1.02キログラムあります。
わずかな違いのように思いますが、この差のおかげで両者はなかなか混じりません。
淡水の入ったコップに、色をつけた海水をそっと流し込むと、海水が下にたまって、2層構造になる様子を観察できます。江の川の下流域では川の流れがあるにもかかわらず淡水と海水は上下にはっきりと分かれていて、海水が川の水(淡水)に対してくさびのような形で入り込んでいることから塩水くさびと呼ばれます。

 淡水と海水が出会う河口部では、どの川でも大なり小なり同じ現象が常に起きていますが、江の川の塩水くさびはとりわけ明瞭で、規模が大きなものです。新潟県の信濃川や北海道の石狩川など東日本には大きな規模の塩水くさびが発達しますが、中国地方では江の川の規模の塩水くさびが長時間持続し続ける川は他に見当たりません。

 江の川で大きく明瞭な塩水くさびが発達する理由は、川の勾配が緩やかで川床の高度(標高)が海面下の範囲が長距離に及ぶことと、日本海は潮の満ち干の差が小さいことが考えられます。

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