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しまねの自然スポット

■斐伊川

河川延長:153 km

流域面積:2,070平方km

水源:船通山

河口:島根県松江市・鳥取県境港市

鱗状砂州が発達する流れ

出雲平野を流れる斐伊川。河床に多くの砂が堆積してうろこのような形状(鱗状砂州)に堆積しています。

 島根県東部を流れる斐伊川は、中国山地の船通山(奥出雲町・鳥取県日南町)を流れ出て、出雲地域の広い範囲から水を集めて出雲平野、宍道湖、中海の低地を流れて境水道で日本海に至ります。国内最大の汽水域を持つ河川で、中海は国内5位、宍道湖は7位の水域面積を持つ湖です。出雲神話ではスサノオノミコトが斐伊川をさかのぼり、八岐大蛇を退治した物語がよく知られており、斐伊川の流れそのものが暴れる大蛇のモチーフと言われることがあります。

 斐伊川の地質的な特徴として、流域に花崗岩類(花崗岩、花崗閃緑岩。酸性マグマが地下深部で固結した岩石)が広く分布していることがあり、江戸時代を中心に砂鉄の採取と製鉄が盛んに行われた地域です。当地の花崗岩は地下深くまで風化していることが多く、「マサ」と呼ばれる状態です。マサは花崗岩類を構成する鉱物が風化によってばらばらになった状態で、容易にこわれて土砂状になります。
 斐伊川流域ではマサを切り崩して水に流し、「かんな流し」(比重の違いで鉄鉱物をより分ける比重選鉱の一種)によって砂鉄を集めました。当地の砂鉄を用いてたたらと呼ばれた製鉄炉で製錬すると、刃物に適した良質の鋼を得ることができ、江戸時代の斐伊川流域は全国随一の産鉄地域として栄えました。

 製鉄が盛んだったことは、斐伊川流域の地形にも大きな影響を及ぼしました。砂鉄採取が盛んだった上流から中流域には、掘削跡と排出土の堆積地形が広くみられ、排出土の堆積地形を利用した棚田が各所にあります。
 排出土は中〜下流域に大量にもたらされて洪水の原因になり、1970年代頃までの斐伊川は洪水頻度が高い「暴れ川」としても知られていました。出雲平野では土砂堆積によって河床が高い「天井河川」になり、江戸時代には洪水防止と砂を宍道湖の浅瀬に導いて埋め立てを行う目的で幾度も河道の付け替えが行われました。付け替えた河道の跡は、現地形にもよく残されており、1930年代まで川だった新川跡(出雲市斐川町)には、鉄道の橋梁が今も残ってそのまま使われています。

 下流にある宍道湖と中海は、縄文時代に海域だった部分が土砂の堆積によって潟湖になった湖で、それぞれ塩分が異なる汽水湖です。宍道湖は海水の5分の1から10分の1程度、中海は2分の1程度の塩分で、その濃度は降水量や潮位によってかなり変動します。

 宍道湖と中海は、1960年代から本格化した干拓淡水化事業によって環境が大きく改変される計画でしたが、工事がほぼ完成した1990年代に事業が凍結、中止されて汽水域のまま残されました。この水域は渡り鳥の飛来地として全国有数の規模で、冬期に多数のガン・カモ類が飛来して越冬します。ハクチョウの越冬南限地でもあり、鳥類の貴重な繁殖地としてラムサール条約に登録されています。

鳥上の滝

斐伊川の源流にあたる船通山にある鳥上の滝。

新川鉄橋

出雲平野南部の新川跡にかかる新川鉄橋。鉄道開通時から1939年までは川の上にかかる鉄橋でした。太平洋戦争の末期に新川跡には大社基地斐川飛行場が造られ、この鉄橋には米軍機による銃撃の弾痕が残っています。

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