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三瓶山関連講座資料

■人に近い山三瓶山

島根大学ミュージアム市民講座 2015年5月30日 於:松江スティックビル

1.国引き神話の山

 三瓶山は、島根県大田市と飯南町にまたがり、山麓の一部は美郷町に含まれる。石見国と出雲国の国境に位置する独立峰で、古くから地域の象徴的な山であった。それは、出雲國風土記 が伝える国引き神話において、国を留めた杭に見立てられていることからもうかがい知ることができる。

大田市五十猛町から見た三瓶山

大田市五十猛町の大崎鼻からみた三瓶山

出雲市大社町から見た三瓶山

出雲市大社町の奉納山からみた三瓶山

2.火山としての生い立ち

 三瓶山の周囲には標高500m級までの低山が連なり、その中にあって三瓶山は1126mの標高を有する独立峰である。島根県には、三瓶山より高い山が10山以上あるが、その大部分は中国山地の脊梁に連なり、そこから遠く離れた三瓶山は異例の存在である。このような独立峰であることは、中国山地の全体的な隆起とは別に、三瓶山が火山活動によって形成された山であることに起因する。

 三瓶火山の歴史は約10万年前まで遡り、約4000年前を最新として7回の活動期があったことが知られている。1回目から4回目までの古い時期の活動では、多量の火砕物(軽石や火山灰、火山礫)を放出する大規模 な噴火を行い、特に、約5万年前の活動では、直径約5kmのカルデラを形成する巨大噴火を行っている。このカルデラ地形は、現山体を取り囲む緩斜面として、地形的に識別できる。現山体は、約1万9000年前の4回目の活動期以降に、カルデラ内で生じた比較的おだやかな溶岩噴出によっ て形成された溶岩円頂丘群である。その山体を構成する溶岩は、粘性が強いデイサイト溶岩である。

3.三瓶山を象徴する草原

 三瓶山の自然環境の大きな特徴は、人の手が加わった「里山型」の環境である。

 三瓶山には山麓に広い草原があり、その景観を特徴付けている。この草原は人が維持管理することで成立する環境で、1960年代までの三瓶山は現在よりずっと広い範囲が草原だった。
 三瓶山における草原の成立は、江戸時代から盛んになった牧畜と関係が深い。17世紀(1643年~ 1682 年)に、石見銀山領として幕府直轄領であった大田市域の一角(現大田町、川合町、三瓶町、富山町など) に吉永藩が置かれた。吉永藩は、藩の財政政策として各種の事業を展開し、そのひとつが三瓶山での牛の牧畜だった。

 牧畜では、飼料としての牧草を確保するために、広い草原が必要となる。三瓶山では、吉永藩の時代以降、 現代に至るまで牧畜が盛んに行われたことで、草原が維持されてきた。

三瓶山西の原草原

三瓶山西の原草原で遊ぶ人たち

4.陸軍演習地の時代

 山麓の緩斜面から山腹までが草原だった。三瓶山は明治時代から昭和20年の終戦まで、日本陸軍の演習地として使われた。三瓶町志学に兵舎が建てられ、浜田や広島の連隊が演習に訪れ、砲撃訓練などを行った。 このことも、近世以降の環境と土地利用に大きな影響を及ぼしている。

 演習地は軍用地として民間による開発等が行われず、何もない草原環境が維持され続けた。そして、終戦後、軍用地は開拓入植者に農地としての使用が条件で払い下げが行われ、牧場等に利用されることになった。

5.国立公園指定と観光の盛衰

 三瓶山は、1963年に大山隠岐国立公園に編入される形で国立公園に指定された。 指定の主な理由は、カルデラと溶岩円頂丘群(当時は「トロイデ火山」と呼ばれた)からなる火山地形と、草原景観の希少性に加えて、温泉などの利活用が行われていることであった。三瓶山自然林という手つかず に近い森もあるが、むしろ、人の手が加わった里山型の環境が評価されての国立公園指定であった。

 指定当時、日本は高度経済成長とともにレジャーブームがわき起こり、登山やハイキングに多くの人が出向いた。
 三瓶山は夏は登山とハイキング、冬はスキーのフィールドで、さらに温泉があることから、西日本でも屈指の観光地として賑わった。国立公園指定は観光をさらに後押しし、広島市とつなぐ定期バス路線や冬は九 州からのスキー列車が運行された。 しかし、交通網の整備や観光の多様化が進むにつれて、観光地としては次第に低迷し、かつては何軒もあった温泉宿や企業等の保養所はほとんどが姿を消してしまった。

6.三瓶草原の現在

 畜産業の衰退などにより草原の利用が減少したことにより、三瓶山の草原面積は以前に比べて縮小している。 子三瓶山、孫三瓶山の山頂まで続いていた草原は、山麓の一部に残るのみとなっている。残存する草 原は、公園的な管理によって維持している部分、放牧を行っている部分、牧草地として利用されている部分がある。西の原では春に火入れが行われ、昔ながらの草原維持も行われている。
 縮小したとはいえ、三瓶草原は長期間にわたって維持されてきたことから、他地域ではほとんど見られなくなった草原性の植物が多数残り、希少種の宝庫となっている。これらを保護するためにも、草原の維持が続けられている。

7.残された自然の森

 三瓶山は、人の手が加わった里山型の環境が特徴だが、男三瓶山の北斜面には人の手があまり加わっていない森が残されている。三瓶山自然林の名で国の天然記念物に指定されている森で、標高600m付近のシデ-ミズナラ林から高所のブナ林までの植生変化がよくわかる。

 島根県は、山地がなだらかで山林を利用しやすい条件にある。そのため、自然状態をとどめた森林は極めて少なく、二次林か植林地が大部分を占める。山林の利用については、近世の製鉄の影響も大きい。近世の島根県は日本一の製鉄地帯で、砂鉄採取のために山地の掘削が進んだことと、製鉄原料としての木炭を生産するために、山林伐採が著しく進んだ地域である。それだけに、三瓶山自然林は当地の本来の植生を示す資 料として貴重な存在である。

 また、三瓶山の北麓には、三瓶火山の噴火で埋没した縄文時代の森、三瓶小豆原埋没林が存在する。原始の森林環境を示す資料として重要で、世界的にも他に例を見ない規模の埋没林である。

8.自然体験の場として

 現在、三瓶山を訪れる人は年間のべ60万人前後(大田市統計)とされる。北の原に三瓶自然館、三瓶山青少年交流の家、北の原キャンプ場があり、島根県における自然学習と自然体験の拠点的な場となっている。登山フィールドとしても安定的な利用があり、正確な統計はないが、年間1万人程度が登山に訪れている とみられる。登山者は県内を中心に、広島県から多く訪れ、遠方から訪れる登山ファンも少なくない。

 現在、登山を中心に、キャンプや温泉利用とつなげるアウトドアフィールドとして観光集客を図る取り組みが、大田市、美郷町、飯南町の連携により進められるなど、三瓶山の魅力再構築への取り組みが進んでいる。

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