タイトルバナー

島根の自然関連講座資料

■出雲平野のなりたちと弥生集落の立地

出雲王墓の里文化財ガイドの会・出雲弥生の森博物館公開講座 2019年3月23日
於:出雲市弥生の森博物館

はじめに

 出雲平野には弥生時代以降の集落遺跡が多数存在し、特に平野の西部では微高地と呼ばれるわずかな地形の高まりには、ほぼ例外なく遺跡が立地しています。それは、出雲平野は弥生時代における人口集中地と言えるような状況で、ここに暮らした人々が古代出雲に栄えた文化の一翼を担ったと想像できます。この平野の形成史は、火山活動と人的な開発の2つが影響したことで、特異的に地形が発達した時期が2回あるという独特のものです。とりわけ、火山活動は出雲平野西部の地形発達および集落の立地と深く関わっています。今回の講座では、地形発達史の観点から出雲平野を紹介し、弥生集落との関わりを考えます。

出雲平野の特徴

 出雲平野は、北側に島根半島、南側に中国山地北縁の丘陵地が迫る東西に細長い地形です。標高10m以下の低地が大部分を占め、その地形の大部分が約1万年前以降の堆積物で構成されています。このような地形は海岸沖積平野と呼ばれます。海岸沖積平野は、1万年余り前に最終氷期が終わってから後の時代(完新世、昔は沖積世と呼ばれた地質時代)に、海岸に土砂が堆積してできた低平な地形です。
 出雲平野を構成している堆積物は、主に斐伊川と神戸川が運搬させたもので、平野の東部は斐伊川、西部は神戸川の堆積物が主体です。平野が発達する前の段階では、島根半島と中国山地北縁の間には細長い湾になっており、外海の海流や波浪の影響を受けにくい場所であったことから、河川が運搬した砂礫が湾内から外にはほとんど排出されずに堆積して、広い平野が形成されました。

集落遺跡と微高地

 出雲平野には多くの集落遺跡が知られており、特に、西部の神戸川下流域には集中的に存在しています。平坦な地形面にもわずかな起伏があり、周囲よりわずかに高い「微高地」が集落の中心となっており、平野西部に点在する微高地ごとに遺跡が存在している状況です。
 平野西部の集落遺跡の特徴として、現地表から比較的浅い深度に、弥生時代以降(一部縄文時代の遺構、包含層も存在する)の遺構面が存在することがあります。河川が運搬する土砂の堆積によって、平野の地形は比較的短い時間で変化を続けていますが、現地表直下に遺構面が存在することは、出雲平野西部の微高地は弥生時代には完成されており、その後あまり変化していないことを示しています。
 対照的に、平野東部では微高地の大部分は近世、近代以降の集落しか存在せず、古代以前の遺構面は厚い堆積物に覆われています。斐伊川が平野へ流れ出る付近では、地表下7〜8mに弥生時代の遺構面、包含層の存在が推定されています。これは、出雲平野東部では弥生時代以降に平野の地形発達が進み、斐伊川が運搬した土砂が厚く堆積していることを示しています。

出雲平野の形成史

 出雲平野における遺跡の立地は、地形の発達史と深い関わりがあります。斐伊川と神戸川はそれぞれ特徴的な地史を持ちます。  神戸川は流域の西部に三瓶山があり、この山は火山活動によって形成された火山です。その噴出物は神戸川下流域の地形発達に大きな影響を及ぼしています。
 出雲平野の地形発達と関わりがある時代の火山活動としては、約1万1000年前に小規模な活動を行った後、約5500年前(縄文時代前期末)と約4000年前(縄文時代後期)にある程度規模が大きな活動を行っています。現山体の大部分は、この2回の活動期に形成されたと考えられており、溶岩の噴出によるドームの形成とその崩壊による火砕流を繰り返しながら男三瓶山を最高峰とする溶岩円頂丘を形成しました。火砕流として流下した膨大な量の噴出物は、さらに泥流や洪水となって河口部にまで達し、平野の地形を急激に成長させました。
 火山活動によって急成長した地形面は、活動が終息した後は神戸川の流れによって浅い谷が形成され、扇状地部分や自然堤防として形成された高まりは段丘化しました。そこは氾濫の影響を受けにくい、安定した土地になったのです。また、自然堤防に挟まれた低地(堤間低地)や、周辺の丘陵地から流れ出る小河川の氾濫原は湿地化し、そこは水田として利用しやすい土地だったと推定されます。
 斐伊川は流域に花崗岩類が広く分布し、その中にわずかに含まれる砂鉄を採取する鉄穴流しが近世を中心に盛んに行われました。多量の土砂を掘削したことで、斐伊川に供給された土砂量も多く、平野部では堆積が著しく進みました。そのために、斐伊川下流域では古い時代の遺構、遺物が地表下深くにあり、発見されにくい状況があります。

出雲平野、宍道湖、中海、島根半島の地形

出雲平野、宍道湖、中海、島根半島の地形。島根半島と中国山地北縁に挟まれた低地に、出雲平野などの沖積平野と宍道湖、中海の汽水湖が連なる。島根半島が「防波堤」の役割を果たしたことで、広い沖積平野、汽水湖が形成された。

全国の主な沖積平野

全国の主な沖積平野。沖積平野は同じ時代に形成された若い地形。

過去17万年間の海面変化

過去17万年間の海面変化。海面変化は氷期、間氷期の繰り返しとともに大きく上下を繰り返した。最終氷期の再寒冷期であった約2万年前以降、海面が急速に上昇し、約7000年前には現在とほぼ同水準に達した。沖積平野はこの海面上昇以降の海面高度に対応して形成された。

沖積平野形成イメージ

河川が運ぶ土砂が河口部に堆積して沖積平野が形成される。

沖積平野形成イメージ

平野が前進するイメージ。

沖積平野形成イメージ

海面が大きく低下すると、沖積平野形成の基準高度が変化する。

沖積平野形成イメージ

海面が大きく低下すると、沖積平野の堆積物は浸食されて谷が形成される。

沖積平野形成イメージ

海面が上昇すると氷期の谷は海没し、そこに沖積平野が形成される。

出雲平野周辺の地形変化

出雲平野周辺の地形変化。

出雲平野の遺跡分布

出雲平野の弥生遺跡の分布。

出雲平野の微地形と遺跡分布

出雲平野の微地形と遺跡分布。微高地に集落遺跡が集中的に存在している。

神戸川と斐伊川の下流域における弥生時代の遺構面高度

神戸川と斐伊川の下流域における弥生時代の遺構面高度。神戸川下流では現地表直下に弥生時代の遺構面が存在していることが多く、当時と現在の地形がそれほど変化していないことを示している。一方、斐伊川下流では著しく深く埋もれている。

神戸川と斐伊川の流域の地質分布

神戸川と斐伊川の流域の地質分布。神戸川は流域に活火山の三瓶火山がある。このことが下流域の地形発達に関わり深い。

出雲市大社町から見た三瓶山

出雲市大社町から見た三瓶山。

雲仙普賢岳

雲仙普賢岳。三瓶山の峰は雲仙岳と同様の、溶岩噴出と崩壊による火砕流発生を繰り返して形成された。

出雲平野西部の地下地質

出雲平野西部の地下地質。三瓶火山に由来する堆積物が厚く堆積しており、その年代が約5500年前、約4000年前の活動期に一致する。火山活動期に多量の噴出物が出雲平野へ供給され、地形を成長させたことを示す。

沖積段丘形成のイメージ

三瓶火山の活動時に、神戸川扇状地は大きく発達したが、その後は神戸川が堆積面を浸食して流れるようになり、火山活動期の地形面は沖積段丘化した。そこは洪水の影響を受けにくい安定した土地であり、わずかな凹凸によって居住地と耕作地が近接する環境が成立した。

斐伊川流域の地質分布と製鉄

斐伊川流域には花崗岩が広く分布し、かつては日本一の製鉄地帯だった。製鉄には花崗岩の鉄鉱物(磁鉄鉱など)が用いられた。

主な火成岩の化学組成

主な火成岩の化学組成。花崗岩は鉄含有量が極めて低い火成岩。この岩石を製鉄に用いたため、鉄鉱物の採取には膨大な掘削量が必要であった。

地層の間隙率

出雲平野には砂丘があり、浜山砂丘は豊富な湧水で知られる。砂丘を構成する砂は比浸出量(有効間隙率)が高く、たくさんの水を蓄えることができる。

inserted by FC2 system