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地層から学ぶ
大地の歴史

■GEOの視点で歩く温泉津

温泉津
温泉津

岩山を削り出した壁
温泉津とその周辺には、凝灰岩とい岩石が分布しています。この地の凝灰岩は、比較的柔らかくて加工しやすく、石材としても多く使われました。温泉津では、岩山を削って石材をとり、その跡地を土地として使って町を広げています。この場所では、岩を削る時に壁を残して部屋を作った跡を見ることができます。


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イヌマキの大木
金剛院の境内にはイヌマキの大木がそびえています。イヌマキはマツやスギと同じ針葉樹の一種ですが、平べったい葉の形は広葉樹のように見えます。 ヲ.沖泊への古道 山の岩盤を削り出して作られた立派な道です。温泉津の東側にある沖泊は、石見銀山最盛期の16世紀後半に、銀を九州の博多(福岡市)に向けて運び出した港です。この道は、温泉津と沖泊をつなぐ道でした。


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タヌキの置物
温泉津温泉は、タヌキが見つけたという伝承があり、町のあちらこちらでタヌキの置物や、イラストを見かけます。


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船を留めるはなぐり岩
船をつなぎ止めるために岩盤を削り出して作った低い柱で「はなぐり岩」と呼ばれます。船運の拠点港だった温泉津の海岸には、いくつものはなぐり岩があり、かつての繁栄ぶりを物語っています。


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ヨズクサブレ
「よずく」はフクロウのことです。温泉津町西田では、4本の柱をテントのように組み合わせた骨組みに、刈り取った稲を干す風習があり、稲をかけた形がフクロウのように見えることから「よずくはで」と呼ばれます。


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井戸
昔、温泉津の町は生活用水を井戸に頼っていました。今もあちらこちらに共同井戸が残っています。この井戸は、井戸枠が丸く削った石で作ってあり、この地域に優れた石の加工技術があったことを物語っています。


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井戸平左衛門顕彰碑
石見銀山の代官だった井戸平左衛門正明は、ご禁制の品だったサツマイモを本州にはじめて持ち込んで植え、住民をききんから救いました。その功績をたたえる石碑は、石見銀山を中心に中国地方の各地に多数建てられています。


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沖泊へ続く道
温泉津の東となりにある沖泊は、16世紀に銀の積み出し港として使われました。この道は、温泉津と沖泊をつなぐ道で、岩盤を削って作られています。


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「泉温」の看板
昔の薬師湯の建物(今はカフェ)に掲げられている看板です。右から左に書かれていることが、その古さを物語っています。薬師湯は、明治5年の浜田地震の時にわき出したことから「震湯」とも呼ばれます。


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西楽寺の鬼瓦
西楽寺は温泉津で最も大きな寺のひとつです。屋根をふき替える時に下ろされた古い鬼瓦が境内にかざられています。寺の後ろは、岩山を大規模に削って境内を広げている様子を見ることができます。


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大久保長安逆修塚
大久保長安は戦国時代の武将のひとりです。江戸時代になると徳川家康につかえ、江戸幕府の基礎を作り上げました。石見銀山の初代奉行でもあります。逆修塚とは、生きているうちにまつられた墓です。


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牛馬の留め石
荷を運んだ牛馬をつないでおくための杭で、多くの荷が出入りして栄えた家の前にはいくつもの留め石が並んでいます。


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傾いた地層
温泉津の岩盤は、およそ1800万〜1600万年前の火山の大ふん火でできた凝灰岩でできています。凝灰岩は、火山灰や軽石が積もってできた岩石です。温泉津の凝灰岩は均質ですが、この場所では粒の大きさが違う地層が重なり合っている様子を観察することができます。


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積み出しを待つ砂の山
温泉津の港には、砂が積まれています。これは、温泉津の山でとれる砂で、珪砂というものです。珪砂は、大部分が石英という鉱物でできていて、ガラスの原料や鋳型などに使われます。温泉津の珪砂は、自動車用のガラスに使われています。


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石窟
港そばの崖の岩盤を掘り、石窟が作られています。中には地蔵が並んでいます。


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浅原才市の像
温泉津に生まれた浅原才市(1850〜1932年)は、大工の仕事のかたわら、仏教を熱心に信仰し、信心を語る詩を多数作りました。日本人の信仰心を示す代表として世界的に紹介されたこともある人物です。ひたいのつのは、心に鬼がひそむから仏を拝むという思いで、本人が絵に描いたものです。


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和洋折衷の窓枠
明治時代に入ると、西洋様式の建築が取り入れられ、和風と西洋風が混在した建物が作られるようになりました。日本家屋が並ぶ温泉津にも、西洋様式を取り入れた建物がところどころに見られます。


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大正時代のコンクリート製標柱
温泉津の町なみの入口にぽつんと置かれている標柱には、大正12年と記されています。標柱は後に修復されていて、土台から少し上の部分が大正時代のものと思われます。


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鉄さい
鉄の鉱石(砂鉄)から鉄を作る時、鉄とそれ以外の成分をより分けます。より分けられた鉄以外の成分が固まったものを「鉄さい」と呼びます。大田市の浜には鉄さいがたくさん落ちていることがあり、製鉄が盛んだったことがわかります。


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湯の華
温泉に含まれている成分が固まって石になったものです。成分は炭酸カルシウムが中心で、鉄を含むために茶色をしています。温泉津温泉は、炭酸カルシウム、鉄のほか、塩化ナトリウムなどを多く含む、薄茶色のにごり湯です。


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江戸時代の道しるべ
江戸時代に、街道の分かれ道に置かれていた道しるべです。書かれている文字から、左が温泉津、右が大森(石見銀山)に分かれる場所に置かれていたことがわかります。


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福光石の溝ふた
温泉津町福光で採れる石で、軽石と火山灰がかたまってできた凝灰岩の一種です。石見銀山を中心に、島根県東部で石材として多く使われています。およそ1600〜1800万年前の海底火山活動でできたもので、うすい緑色が特徴です。


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龍御前神社
がけの上にそびえる巨岩をご神体としてまつった神社です。巨岩は龍の頭のようにも見えます。船運で栄えた温泉津の、船の守り神としてまつられています。


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龍澤寺
石見銀山の物資流通の拠点として栄えた温泉津には、寺が多くあります。龍澤寺には、大田市の文化財に指定されている釈迦牟尼如来像があります。


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愛宕神社のぼん鐘
愛宕神社は、温泉津の町なみと港を見下ろす高台にあります。その境内にある鐘は、第二次世界大戦中に金属として供出されました。終戦後に返却されましたが、帰ってきた鐘は、隠岐・海士町の源福寺のものでした。

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