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地層から学ぶ
大地の歴史

■三瓶小豆原埋没林

三瓶小豆原埋没林公園

三瓶小豆原埋没林の展示棟内

縄文時代の森の化石

 縄文人たちが石器と土器を使って暮らしていた時代、日本列島には壮大な森が広がっていました。長い時を重ねて育まれた森には、太く高い巨木が鬱蒼と茂り、その遥か高い梢(こずえ)を風が揺らしていました。その森を実際に見ることができる場所が「三瓶小豆原埋没林(さんべあずきはらまいぼつりん)」です。

 三瓶小豆原埋没林は、地中に埋もれた約4000年前の森です。長い幹を残した巨木が当時の大地に根を張ったまま立ち並び、太古の森の姿を私たちに垣間見せてくれます。

 三瓶小豆原埋没林は、三瓶山(1126m)の北麓、大田市三瓶町多根(たね)小豆原地区の標高約220mの地点に位置します。スギを中心とする埋没林で、約30本確認されている立木のうち、大きなものは根周りが約10mに達し、高さ12m以上の幹が残っています。倒木も多数発見されており、その多くは幹周り5mを超える大木で、当時の三瓶山北麓に広がっていた森の大きさを物語ります。

 発見されたスギは樹齢200〜650年を数える「巨木」級のものが大半です。立木と倒木全体でスギの割合は70%を超え、直径50cmを超える木に限るとその割合はさらに高くなります。スギ以外の樹木では、トチノキ、カシ、ムクロジ、ケヤキなどが確認されています。縄文時代にこの地にあった森は、スギの巨木が立ち並び、その間にわずかに他の樹木が混じるものだったことがわかります。

 現在、中国地方ではスギの自生林はごく断片的にしか分布しておらず、他の樹種も含め、三瓶小豆原埋没林のような壮大な森は存在していません。山林の大部分は、伐採後に生えた二次林か人工林で、自然状態の森林はほとんど残っていません。
中国地方は全国的にみても人の手が加わっていない「原生林」、「自然林」の割合が低い地域です。中国山地は全体になだらかで山林の開発がしやすかったことに加えて、近世に製鉄が盛んに行われた地域であることから木炭の需要が高く、薪炭林としての開発が進んだことが理由です。
この地域にあって縄文時代の森を見ることができることは、自然と人の関わりの中で環境がどのように変化したかを知る格好の教材といえるでしょう。

三瓶小豆原埋没林周辺地図

小豆原の谷と三瓶山に続く隣の谷が黄色の破線で示した部分で合流する。約4000年前に土石流が発生した際、この部分で谷のせき止めが起こり、小豆原の谷で森が埋もれた。稚児滝はこの破線範囲内にある。

三瓶山の噴火と地形の奇跡

巨木の幹が直立状態で多数残されている埋没林は世界的にも稀な存在です。これが残されたことには地形的な偶然が大きく影響しました。
埋没林の形成理由は、約4000年前の三瓶山の噴火により土石流が発生したことです。この土石流により埋没林がある小豆原の谷がせき止められ、せき止め部分に茂っていた木々が埋もれました。
多くの場合、土砂によるせき止めはある程度の時間が経過するともとの谷の深さまで侵食が進み、森が埋もれたとしても洗い出されて失われるものですが、ここでは固い岩盤に河川が「ひっかかった」状態になったことで侵食が進まなかった状況がありました。

その形成過程は、概ね次のようなものです。
火山活動によって発生した大規模な土石流が谷を埋めながら流れ下りました。小豆原の谷は、土石流が流れた谷と合流する枝谷です。土石流は合流部を埋め、さらに一部が小豆原の谷を逆流しました。三瓶小豆原埋没林は、逆流した土石流の勢いが衰えた末端部分にあたり、立木の根元には土石流が運んだ倒木が多数埋もれていました。
立木が倒されずに埋もれた後、土砂の堆積がさらに進みました。谷のせき止めによって「せき止め湖」の状態になったため、河川水が運ぶ火山灰が急速に堆積していったためです。水がたまり始めたせき止め湖部分には火砕流も流れ込みましたが、水によって温度が急速に低下し、立木は樹皮がわずかに炭化しただけで内部の炭化を免れたようです。
こうして、埋没林の木々は10m以上の深さに埋もれていきました。立木の上下で劣化状態に差が見られないことから、埋もれるまでに要した時間はせいぜい数ヶ月だったとみられます。

 せき止め湖はやがて埋め尽くされ、堆積した土砂の上部を河川が流れ始めます。
堆積した土砂は細かな粒子からなり、ごく緩い地層です。河川によって急速に侵食が進んでも不思議ではありません。ところが、土砂の上を流れ始めた河川が固い岩盤部分で固定された状態になり、下方への侵食が進まなくなりました。その位置は、埋没林から約700m下流に位置する「稚児滝」です。花崗岩の固い岩盤が「ダム」のような働きをしたことで、これより上部の土砂は侵食が進まず、埋没林の長い幹が残されたのです。

→縄文の森を残した滝

三瓶小豆原埋没林公園

三瓶小豆原埋没林の展示室外観。森が埋もれた範囲の一部を発掘し、地下展示室にしている。

森の発見

 貴重な埋没林の発見は、理科の教師だった故松井整司氏の功績によるものです。

 大学で地学を専攻した松井氏は、島根県立大田高校在職時から三瓶山の火山活動史の研究を進めていました。ある時、三瓶山の地層調査に訪れた際、巨木を掘り出している様子の写真を地元の人から見せてもらい、埋没林の存在を直感しました。そこに写っていたのは、1983年に小豆原地区で圃場整備(水田の区画整備)が行われた時のもので、大きな穴から人物の何倍もの高さのある巨木がそびえていたのです。
その後、松井氏は独自にボーリング調査を行うなど小豆原地区の調査を進め、立木の状態で森が埋もれている可能性が高いことを明らかにしました。この調査を受けて島根県が発掘調査を行った結果、1998年の晩秋に直立する巨木群が発見され、三瓶小豆原埋没林と命名されました。
発掘により約30本の立木が確認され、現地に見学施設が整備されました。発掘範囲は埋没林の存在が予想される範囲の一部に過ぎず、全体では数百本の規模で立木が残存していると推定されます。

三瓶小豆原埋没林公園

地下展示室で巨木を見上げる。根元の太さから樹高50m前後に達したと推定される巨木が狭い間隔で立ち並んでいる。

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