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地層から学ぶ
大地の歴史

■時を超えた森のものがたり

 地面の下に森があります。

 奇妙ですね。木は地面に根を張って、空に向かって育ちます。森が地面の下にあるなんて、どういうことなのでしょう。

 地面の下にある森は、何千年も何万年も昔の森が土砂に埋もれた、「森の化石」です。恐竜の化石が、ティラノサウルスやトリケラトプスが大地を歩き回った時代があったことを教えてくれるように、地面の下の森は、大昔の森の風景をほんの少し見せてくれます。

 火山の噴火で埋もれた森、人が暮らしていた森、海の底に沈んだ森。

 地面の下の森は何を教えてくれるのか、その世界をのぞいてみましょう。

森をみつけた

 島根県に三瓶山という山があります。高さは1126メートル。神さまが海の向こうから綱引きのように国を引き寄せたという「国引き神話」の物語に登場する山です。この山のふもとに、とても大きな木が立ち並ぶ森が埋もれています。

 その名前は「三瓶小豆原埋没林」。“三瓶山のふもとの小豆原にある埋もれた森林”を意味する名前です。

 地面の下の森が見つかったのは1998年の秋でした。それよりも前から、近所の人たちは大きな木が埋もれていることを知っていて、「埋もれ杉」と呼んでいました。でも、森が丸ごと埋もれているとは思っていなかったでしょう。1983年に田んぼの工事が行われた時には、2本の太い木が見つかり、深い穴を掘って切り出されました。地面の下に何メートルも続く大きな木が立っているという不思議な光景でしたが、この時も大騒ぎになることもないまま田んぼの工事が終わりました。

「地面の下に、大きな森が埋もれとるんじゃないだろうか。」

 このことに気がついたのは、高校の先生だった松井整司さんでした。松井さんは三瓶山の火山としての歴史を研究していた地質学者でもあったので、田んぼの工事中に見つかった木の写真を目にした時にぴんと来たのです。森の木々が立ったままで埋もれている。その森が埋もれたことは火山の噴火と関わりがある。松井さんはそう推理しました。

「この木を探し出して、調べたい。」

 先生を定年退職した松井さんが調査を始めたのは1994年のことでした。近所の人に話を聞いたり、地下の地層を調べたりしました。近所の人の話からは、これまでに何度か木が見つかったことがあり、田んぼのそばを流れる川の中には2本の木の頭が見えていることがわかりました。田んぼの地下には火山灰が厚く積もっていて、その下に昔の森の土が残っていることもわかりました。どうやら、地面の下に森があることは間違いなさそうです。

 松井さんの調査に協力していた島根県は森を掘ってみることにしました。手はじめに地下の様子を調べる機械を使って探してみましたが反応がありません。どこを掘れば見つかるのか、それ以前に田んぼの下にまだ木が残っているのか、不安が広がります。

「とにかく、掘ってみよう。」

 パワーショベルを使って田んぼを掘ってみることにしました。なかなか木は見つかりません。ようやく3日目、木の頭らしいものが見つかりました。慎重にまわりを掘り下げてみます。松井さんが見た写真の木と同じような太い木です。

「あった!」

 作業をしていた人はすぐに松井さんの自宅に電話をかけました。

「先生! あったで。がいな木が出てきたで!」

「おお、見つかったかね。あったかね。やったなあ、やりんさったなあ。ありがとう、ありがとう。わしもすぐに現場に行くけえ、ちょっと待っといてくれや。」

 松井さんは大急ぎで調査の現場に向かいました。田んぼに掘った穴の中に1本の木が立っています。何年もかけて探し続けたものがついに見つかったのです。松井さんの直感は正しかったのです。見つかった木のまわりを掘り広げてみると、次々に立った木が見つかりました。確かに、森が埋もれていたのです。しかも、今ではほとんど見られない大きさの巨大な木ばかりです。

「写真の木もがいなものだったが、どれもこれも、ほんにがいなもんばっかりだのう。相当、昔のもんだろうが、いつ頃のもんだろうか。」

 ついに見つかった地面の下の森。発見の喜びと同時に、知りたいことが次々に出てきます。どのような種類の木が茂る森だったのだろう。いつ、どのように埋もれたのだろう。どうして長い幹が倒れずに立ったまま残っているのだろう。さあ、次の調査の始まりです。

森を調べる

 見つかった森の意味や価値をはっきりさせるために、最初に知りたかったことはその森がいつ頃のものかということでした。

 時代を調べる方法はいくつかあります。地層は化石の種類から知る方があります。土器は形から作られた時代がわかります。数百年から数万年前までの木や骨、貝殻の場合は「放射性炭素年代測定法」という方法で時代を知ることができます。地面の下から見つかった森の木は、この方法で調べてみることになりました。

 放射性炭素年代測定法は、放射線を出して壊れる性質を持つ物質を使う、少し難しいしくみです。物質は元素というすごく小さな粒が集まってできていて、その中にはある程度時間が経つと勝手に壊れるものがあります。元素が壊れる時に放射線が発生するので、放射性元素と呼びます。木の主な成分の炭素にも放射線を出して壊れるものがあります。この性質を持つ炭素が木の中にどれだけ残っているかを数えると、木が枯れてからどれくらい時間が経ったかを知ることができるのです。

「大急ぎで年代を調べましょう。」

 島根大学の先生が約束してくれました。大学に放射性炭素年代の測定装置があるのです。その頃、測定しなくてはいけない試料がたくさんたまっていましたが、他のものを後回しにして、大急ぎで分析が行われました。

 1週間もかからずに結果が出ました。

「3500年前という分析結果です。急いだので少しずれがあるかも知れませんが、縄文時代の森だということには間違いないようです。」

「三瓶山の最後の噴火の時期に近いですな。ええ結果をありがとうございました。」

 地面の下の森が埋もれた理由は、三瓶山の噴火と関係がありそうです。松井さんの予想は的中です。縄文時代の森ということがはっきりして、調査の現場はこれまで以上に慌ただしくなりました。

“縄文時代の巨大な森が島根県で発見された!”

 ニュースが全国に報じられ、たくさんの人が見学に訪れました。田んぼを掘った穴から太い幹が頭を見せている光景に、多くの人から驚きの声が聞かれました。

 調査の現場では、すごい、すごいと喜んでばかりもいられません。この森にはどんな木が生えていたのか、どうして立ったままで埋まったのか、まだまだわからないことがいっぱいです。この木を掘り出して展示する計画が決まりましたが、それまでに謎を解き明かさなければいけないのです。

「わしの仕事は、見つけるところまでだ。これからの調査はあんた方でよろしく頼むよ。もちろん、わしも手伝いに来るから。」

 松井さんはその先の調査は後輩にあたる研究者たちに任せることにしました。三瓶火山の歴史から始まり、縄文時代の森を発見するまでの研究は、何十年もかけた大仕事でした。大きな成果を後輩の研究者たちに引き継ぎ、彼らが次の新しい成果をあげることを期待したのです。

 田んぼに氷が張る寒さの中で、森を掘って調べる調査が始まりました。調査を任された研究者は責任の大きさと寒さに身が縮むような気持ちで発掘現場に向かいました。長い幹を根元まで掘るチャンスは1度きり。少しずつ掘り下げられる地層を見落とさないように、注意深く調査が進められました。

謎の解明

 調査が進むと、予想をくつがえす発見がありました。

 調査前、森はせき止められてダム湖のようになった谷の底に静かに埋もれたと予想していました。火山の噴火では、あたりを焼き尽くしてしまうほどに熱い火山灰が流れくだることがあります。土砂と水が一気に流れて木も建物も押し流してしまうこともあります。こんな流れの直撃を受けたら、森の木が立ったままで残されるとは思えません。

 立った木のまわりを掘っていくと、水の底に静かにたまった火山灰の地層が続いていました。隣の谷が土砂で埋め尽くされたことで、森があった谷はダム湖のようになっていたのです。ここまでは予想通りでした。

「根元まで地層は変わらないだろう。調査は意外と簡単だったな。」

 調査に向かう気持ちが少し軽くなり始めた頃、掘り下げた地層の様子が変化しました。

「火砕流だ・・・」

 調べていた研究者は、下から現れた地層が火砕流という現象でたまったものだと思いました。火砕流は熱い火山灰などが火口から流れてくる現象です。そのような流れが来なかったから森の木が立ったまま埋もれたという予想は、目の前にある地層と一致しません。

 自分の判断が間違っているのだろうか。しかし、間違っているなら、目の間にあるものは何なのだろう。研究者は迷いながら、松井さんに連絡しました。

「火砕流の地層が出てきました。」

「はあ!? 火砕流とな? 本当に火砕流かね? それで、木は炭になっとらんのかね?」

「炭になっているようには見えません。」

「そりゃあ、不思議なことだのう。」

 松井さんも半信半疑です。さらに、火砕流の地層の下からは土石流の地層が現れました。それが強烈な土砂の流れだった証拠として、地層の中には押し倒された太い木が折り重なっていました。森が強烈な土砂の流れを受け、その後に火砕流を受けていたことが疑いようもなくなりました。それでも、森の木は倒れず、炭になっていないのはなぜなのでしょう。事実が明らかになると新たな謎が生まれました。その謎を明かすための調査が続けられました。

森の風景

 森が埋もれた様子の解明とともに、木の種類も調べられました。専門家が木を顕微鏡で調べると種類がわかるのです。

 森に生えていた木の多くはスギでした。スギはまっすぐに伸び、日本で一番背が高くなる木です。地面の下の森は、大きなものは根元の太さが周囲10メートルくらいあります。今のスギで同じくらいの太さのものは、高さが50メートルに迫りますから、同じくらいの高さだったでしょう。10階建てのビルよりも高いくらいです。

 10階建てのビルよりも高いスギの木が、何百本、何千本も立ち並んでいる森。このような森は今の日本列島では見られません。地下に残っている幹だけでも圧倒される大きさですから、葉を茂らせていた時の森となると、一体どれほど大きかったのでしょう。少し、想像してみましょう。

 木の根元に立つと、まっすぐな幹がずっと上まで続き、てっぺんがどこにあるのかわからないほどです。幹の下の方には枝が一本もなく、はるか上で太い枝を伸ばしています。枝だけでも、今の山で見られるほとんどの木よりも太いでしょう。そんな枝が隣の木の枝とからみあうように何本も伸び、葉を茂らせています。葉に隠されて、空は見えないでしょう。太陽の光が届かないので、森の中は暗く、地面も幹もコケに覆われていたでしょう。まるで、自分が虫ほどに小さくなってしまったように感じるかも知れません。

 森の木々が生きていた縄文時代は、人々が土器と石器を使い、食べ物として木の実を集めたり、けものを捕ったりして暮らしていた時代です。けものを追い、木の実を探して山に入り、森の木を見上げることもあったでしょう。空高く伸びる木を見上げて、人々は何を思ったのでしょうか。人の力ではとてもかなわない自然の大きさや木が育つ時間の長さだったかも知れません。

 また、何人もの研究者が調査現場を見て、情報をつなぎあわせることで、森が埋まった様子も少しずつわかってきました。

 森が埋まったのは4000年前に三瓶火山が噴火した時でした。はじめに時代を分析した時は3500年前という数字でしたが、何度も測定して4000年前とわかりました。この時の噴火では、山の半分も崩れ落ちてしまうような大きな土砂崩れがありました。大量の土砂が谷を一気に流れ下る土石流が発生したのです。強烈な土石流は隣の谷を流れ、森を埋めた土砂は隣の谷からあふれて尾根を乗り越え、谷が合わさった部分からさかのぼるように流れてきたものでした。森を埋めた時には勢いが弱まり、木を倒す力が残っていませんでした。地形が生んだ偶然でした。

 土石流の後に流れ込んだ火砕流は、木を燃やすほど熱いものでした。でも、谷に水がたまりはじめていたおかげで火砕流はすぐに冷やされて木は燃えませんでした。そして、森は水がたまってダム湖のようになった谷に深く埋もれて行ったのでした。

 森の木々は立ったままで深く埋もれて残ったのは、いくつもの偶然が重なった奇跡的な出来事でした。奇跡的に残った木は、まだ生きているかのように新鮮で、4000年もの時間が経ったとはすぐには信じられないほどです。かんづめやレトルト食品と同じように、地面の下にとじ込められた木はほとんど腐らなかったのです。掘り出した直後は、色も香りも生きている木と変わらないほどでした。そして、掘り出すとすぐに鮮やかな色はさっと変化して、いかにも古そうな黒ずんだ色になってしまいました。それは玉手箱を開けておじいさんになってしまった浦島太郎のような出来事でした。

 今、この森は地下展示室で見ることができます。4000年前の巨大な木を、生えていたその場所で見上げるのです。いくつもの偶然が重なったおかげでこの森が残り、松井さんの情熱によって発見された奇跡の森。

 さあ、あなたもはるか太古の森を見上げてみませんか。

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