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石見の火山

■「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景(1)

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

五十猛町大浦(大岬灯台)から見た三瓶山
日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史〜“縄文の森”“銀の山”と出逢える旅へ〜の中核というべき三瓶山。撮影地の五十猛町大浦は古くから港として栄えた土地。三瓶山は沖合からもこの写真のように突出して見える独立峰で、地域の象徴であり、古くは信仰の山であった。

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

石見銀山本谷の本間歩
石見銀山は16世紀に当時としては世界屈指の量の銀を生産した。時は大航海時代、当時の基軸通貨と言える銀の量産は東アジアの経済を活性化させ、ヨーロッパとの航路確立と世界的な文化交流のきっかけとなった。本間歩は石見銀山に残る間歩(坑道)の中でも古い部類(現在残る本間歩の坑道は17世紀以降のものか)であると同時に、この銀山での銀の量産を裏付ける地質的な特徴をよく物語る間歩である。

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

福光石の石切場
福光石は石見銀山を中心に石見地域で多く使われた石材の名称で、現在も採石と利用が続いている。この採石跡は昭和40年代の機械化直前まで手掘りで採石されていた場所。福光石は岩石としては淡い緑色を帯びた軽石質の火山礫凝灰岩で、日本列島が形成された時代の火山活動を象徴する「緑色凝灰岩(green tuff)」に相当する。

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

夕暮れ時の琴ヶ浜
琴ヶ浜は砂を踏みしめると音を奏でる鳴り砂の海岸。延長1.4kmにおよぶ浜のほぼ全域で音を発し、その範囲と音質とも国内では屈指の存在。砂の音は、小さな砂粒がこすれあう時に発するごくわずかな音が砂の中で増幅され、人の耳に聞こえるほどの大きさになるとされる。

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

島根半島から見た三瓶山と薗の長浜
独立峰の三瓶山は遠く離れた場所からもよく見える。写真は出雲市大社町の坪背山からの景色。出雲国風土記が伝える国引き神話では、海の彼方から引き寄せた国が島根半島の山並みで、杵築御崎(日御碕)を引いた綱が薗の長浜、綱を留めた杭が三瓶山とされている。

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

大噴火を物語る地層
三瓶火山は大変大規模な噴火を行ったことがあり、写真の崖は一度の噴火で流れ下った火山灰と軽石が堆積してできた地層。三瓶山から直線距離で15km離れた川合町、大田町から長久町、久手町にかけて、同じ地層を見ることができる。

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

三瓶山全山
三瓶山の峰は男三瓶山を主峰に子三瓶山、女三瓶山、孫三瓶山、大平山、日影山などに分かれている。その全山が見えるのが南側の志学と上山の境あたり。写真は志学展望広場からの風景で、くぼ地のように見える部分は三瓶山の山裾を取り巻くカルデラの一部。

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

男三瓶山町から見る室ノ内
室ノ内は三瓶山の峰に囲まれたくぼ地で、最終段階の噴火が発生した火口。室ノ内の一番低い場所には室ノ内池があり、その北側には二酸化炭素を噴出する鳥地獄がある。

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雲仙岳の平成新山
平成新山は平成の初期に発生した雲仙火山の噴火によって形成された。この時、溶岩の噴出による高まり(溶岩ローブ)の形成とその崩壊による火砕流発生が繰り返されながら溶岩円頂丘と呼ばれる山体が成長していった。三瓶山の峰を作った噴火も雲仙岳の平成噴火と大変よく似ていた。男三瓶山などの峰を作った噴火の直後はこのような風景だったのだろう。

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

そびえ立つ縄文の巨木
縄文時代の森の木々が地下にそびえ立つ三瓶小豆原埋没林。原始の森林の壮大さを物語るこの森は、約4000年前に発生した三瓶火山の噴火によって地中に閉じ込められた。巨大な木々を育んだ原始の自然環境と悠久の時、森を埋めた火山の力、そして現代の山林が成立するまでの歴史に思いを馳せたい。

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

流れ落ちる稚児滝
この滝を作っている岩盤は、火山噴火で埋もれた縄文の森、三瓶小豆原埋没林を現代に伝える重要な役割を果たした。噴火で谷を埋めた土砂は、本来であれば4000年の時間の間に大半が浸食されて失われるはずだった。しかし、この岩盤が土砂の流出を防ぎ、森を地中に残したのだった。

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三瓶小豆原埋没林の全景
地底の森は地上からは見えない。この場所は、もとは狭い谷底平地に水田が広がるごく普通の里山景観だった。その水田の下に森が眠っていることは、長らく気づかれないままだった。しかし、工事で巨木が出現したことがきっかけとなり、奇跡の森が発見された。

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温泉津町日祖の鑪浜
かつて浜ではたたら製鉄が行われ、その鉄さいが一面に散らばって浜を黒く染めている。三瓶小豆原埋没林が物語る原始の森は現代の日本列島ではほとんど見られない。特に島根県の山林は自然植生に乏しいが、その一因に江戸時代を中心に盛んに行われた製鉄の材料として膨大な木炭需要があったことが挙げられる。

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新緑の三瓶山自然林
三瓶山の北斜面を覆う自然林は、島根県では貴重な自然植生の森。三瓶山は、現代の森と縄文時代の森を見ることができる場所でもあり、その2つの森がいずれも国の天然記念物に指定されている。

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三瓶山西の原の放牧風景
山すそのなだらかな斜面に草原が広がり牛が草を食む牧野景観が三瓶山の大きな特徴である。三瓶山での牛の飼育は江戸時代の前半にさかのぼり、川合町吉永に陣を構えた吉永加藤藩が経済政策として奨励したことがきっかけと伝わる。火山灰土壌で水がなく田畑に向かない土地を有効に使い、当時は重要な労働力だった牛の飼育を行ったのである。以来400年以上にわたって牧野としての草原が維持されてきた。

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三瓶そばの花が咲く
三瓶そばは江戸時代から伝わる在来種を守り続けてきた三瓶山の名物である。高原気候が育む小粒な実は香り豊かで、古くから当地は西日本有数のソバ産地として知られてきた。この地でソバが盛んに栽培されたのは、水に乏しい土地でも育つことに加えて、三瓶温泉が温泉地として栄えたことや牧野が日本陸軍の演習地として使われ、多くの兵士の空腹を満たすというこの地ならではの背景があった。

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清流に育つワサビ
ソバと並ぶ三瓶山名物にワサビがある。三瓶山麓は豊かな湧水に恵まれ、年中安定して流れる清流を使ってワサビの栽培が盛んに行われている。明治時代には全国有数の生産量を誇った時期もあり、今も上質なワサビが生産されている。

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湧き出る湧水
三瓶山は水がない山だが、それは降った雨がすぐに地下に染み込むためである。しみ込んだ水は地中に蓄えられ、ゆっくり流れて山麓で湧水になる。カルデラのくぼ地を火山灰が埋めた地形はまるで地下の湖のように水を蓄えているのだ。この水が流れ出る地点は、ちょうどカルデラの縁あたりに集中している。湧水は火山地形と火山性土壌の贈り物なのだ。

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浮布の池と三瓶山
浮布の池は火山噴出物が谷をせき止めたことで生まれた天然のダム湖である。この池は大田の平野部を流れる静間川の水源であり、下流の田畑を潤し続けている。池には娘と大蛇の伝説が伝わり、柿本人麻呂がこの地で詠んだと言われる和歌もある。

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

浮布の池にまつられる邇幣姫神社
浮布の池に向って立つ社殿は池そのものをまつったことを意味するのだろうか。神社は静間川流域から水源の神として広く信仰を集め、以前は祭りの時には多くの人が参拝したという。

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

金剛山からみた静間川と三瓶山
水源の山として信仰されてきた三瓶山と、そこから流れ出る静間川が広い水田地帯を流れる風景を見ると、この町で三瓶山が特別な意味を持つランドマークであることが理解出来るかも知れない。三瓶山からの水の恵みを得て、山に感謝して暮らしてきた歴史がここにある。

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

湯気を上げて流れる湯ノ谷川
三瓶温泉は中国地方一の自噴量を誇る温泉で、その湯が流れる湯ノ谷川は冬には湯気が立ち込めることがある。この豊富な湯は三瓶山の地下に冷え残るマグマが温めたものでミネラル分と炭酸ガスに富んだ温泉である。

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

志学上の町の「鶴の湯」
志学上の町は温泉街として賑わった町。その町並みの中ほどにある鶴の湯は、地元の人が日々利用する共同湯。

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志学下の町の「亀の湯」
年期が入り趣がある湯船がある共同湯。温泉通にも人気が高い。

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

物部神社本殿
物部氏の始祖をまつる神社は三瓶山との関わりが深い。三瓶山を水源とする静間川が忍原川と合わさる川合の地にあり、遠くに三瓶山を仰ぎ見る。三瓶山から田の神を迎える農耕神事も伝わり、古代、大田の人々が三瓶山にささげた祈りの面影を残す。

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物部神社の境内社「一瓶社」
三瓶山から三つの瓶が現れ、そのひとつが物部神社に収まったという伝説に関わる神社で大瓶がまつられている。一瓶社は物部神社の祭事では重要な役割を果たし、三瓶山との関わりを物語る。

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

三瓶町池田で行われた花田植え
池田地区と小屋原地区には小笠原流田植囃子が伝わり、物部神社の御田植祭では小屋原の田植囃子が奉納される。古代に農耕の神として仰ぎ見られた三瓶山への信仰がうかがわれる。

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

佐比賣山神社
三瓶山の古称を留める神社。かつてこの山が信仰の対象であったことを物語る。7年に一度執り行われる大元祭など、神社に奉納される多根神楽は、石見神楽の伝統的な様式を伝える。

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

西の原草原に立つ定めの松
江戸時代のはじめ、石見検地の際に塚松として植えられたと伝わる老松。もとは道の両側に立ち、一里塚の雰囲気を良く残していた。

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

浄善寺の大銀杏
三瓶町池田の浄善寺境内に立つイチョウ。根元の少し上から幹別れした樹形が圧巻の迫力を持つ巨木。

日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の風景

本宮神社の大杉
三瓶町上山の本宮神社の大杉は、島根県の本土では最大とされる巨木。根回りは10mに達する。平安時代に紀伊国から本宮神社を勧請した際に植えたと伝わる。

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