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石見の火山

■「火山」による日本遺産申請準備資料

申請ストーリー原案

構成文化財個別説明

申請ストーリー原案(2019年12月25日作成)

火山からの贈り物

 島根県大田市は、火山が残した“キセキ(奇跡、軌跡・・・)”を人々が敬い、活かしてきたまちです。火山から始まる地域の物語は、まちの風景と歴史に根ざしています。物語の一節は、日本と世界の歴史にもつながります。

 まちの象徴の「三瓶山」は何回もの噴火を行った火山です。この山は、「出雲国風土記」が伝える国引きの神話に登場します。これは、海の彼方から国を引きよせた神話の物語で、国をつなぎ留めた杭という大切な役割が与えられています。

 自然史の出来事でも、三瓶山は大地を創造しました。縄文時代の噴火で土地を一気に広げたのです。国引きの神話と重なります。重要な役割を果たした三瓶山は、神宿る地として古くから信仰の対象であり、「物部神社」をはじめとする社寺が山を仰ぎ見る地に鎮座します。

 三瓶山は、縄文時代の森を現代に伝える奇跡をもたらしました。火山灰で埋もれた森が、「三瓶小豆原埋没林」として残っているのです。それは三瓶山の北のふもとにあります。のどかな里山の一角。地下への階段を降りると、その先には見たこともない光景が広がります。

 広い地下空間に太い木が何本も立ち並びます。その根元には同じような大きさの木々が横たわります。この光景を目の当たりにしても、その意味はすぐには理解できないかも知れません。

 地下空間は森の一部を掘り出した穴そのもの。そこに立つ木々は、縄文時代の大地に根を張り、生きていた時と変わらぬ姿をとどめているのです。幹は大人が4人手をつないでやっと囲むことができるほどの太さです。顔を近づけると木の香りが感じられます。木々の根元には落ち葉の一枚一枚、その間にひそんでいた昆虫まで残っていました。根元に横たわる木々は、火山灰の流れに倒され、この場所まで運ばれたものです。過去の自然と火山の力を示す縄文時代の森。まるでタイムカプセルのようではありませんか。

 ゆっくり時間をかけて巨大な姿になった木々は、縄文時代の日本列島には壮大な森があったことを物語ります。幹の太さから、この森の梢は地面から50mもの高さにあったと思われます。それを見上げた縄文人たちは自然に対してどのような感情をいだいたのでしょうか。実際に見上げながら、木々が生きていた時代に思いをはせることは、おそらく他所ではできない体験です。

 縄文時代の森とは対照的に、現在の三瓶山の自然は、人が利用することで育まれた里山です。そこには草原が広がり牛がたたずむ風景があります。ここでは、遅くとも江戸時代のはじめには牛の飼育が始まり、ほぼ全山が牧野として利用されました。近代には陸軍の演習地に併用された時代を経て、数百年にわたって牛が飼われ続けた結果が現在の草原景観です。草原では希少な山野草が四季を彩り、登山や自然散策に訪れる多くの人々を楽しませています。

 この山で牛の飼育が行われたのは、火山の土地を活かすためでした。三瓶山の山すそは、火山灰が積もってできた緩やかな斜面です。水はけが良い土地で、降った雨はすぐに地面にしみ込むために、地表には水がなく田畑には向きません。しかし、広い土地に草がよく育ち、牛の飼育には適していたのです。明治時代の初めには、3千頭もの牛が放牧されていた記録があります。

 三瓶山で多くの牛が飼われた背景には、このまちならではの牛の需要がありました。

 三瓶山の西には石見銀山があります。銀生産を中心に多くの人が暮らし、その暮らしを支えるために、米を運び、田畑を耕す牛が必要だったのです。農閑期には銀の運搬にも使われました。

 牛に限らず、石見銀山はこのまちの歴史における太い“縦軸”です。鉱山町として成立した大森町は、長らく地域の政治経済の中心でした。大森を中心に道が整備され、宿場、港ができました。「福光石」に代表される石材「福光石」、鉄生産や米、炭などの様々な産業が盛んになったのです。

 石見銀山の銀をもたらしたのは火山です。

 火山灰が降り積もってできた山に、地下のマグマからやってきた温泉水が銀をもたらしました。火山灰を銀鉱石に変えたのです。それは一見、輝きのないただの石です。しかし、多くの富をもたらした独特の鉱石でした。石見銀山で働いた人々は、この石を「福石」と呼びました。

 石見銀山の中心、仙ノ山のあちらこちらに福石を掘った跡が残ります。なかでも、地下に残る巨大な空間は福石の特徴を物語ります。公開坑道の「大久保間歩」では大空間の一部を見ることができ、その広さはちょっとした講堂ほどもあります。辺り一帯の石にすべて銀が含まれているため、それを上下左右に掘り進めた結果、巨大な空間ができたのです。

 福石から取り出された銀は、国内のみならず東アジアの市場にも流通し、ヨーロッパの人々が東アジア、さらには日本に訪れるきっかけになりました。もしも、この山に福石がなかったら、日本と世界の歴史は少し違うものになっていたのかも知れません。

 縄文時代の森と三瓶山、石見銀山。このまちには火山に由来する宝物がまだまだ他にもあります。近代には石こうが盛んに採掘され、今も火山由来の鉱物資源が採掘されています。湯量豊かな「三瓶温泉」は癒しをもたらします。「波根西の珪化木」、「琴ヶ浜」の鳴り砂などの興味深い地形地質を楽しむことができます。

 このまちは、景観と歴史、産業のそこかしこに火山から贈られた“キセキ”があるのです。

 さあ、一緒にこのまちの“キセキ”を探してみませんか。

構成文化財個別説明(2020年1月16日作成)

1.三瓶小豆原埋没林

火山噴火で埋もれた縄文時代(約4000年前)の木々が立木状態で残る“森の化石”。スギなどの太く長い幹が地下に立ち並んでいる。大きなものは、根回り約10m、高さ12mの幹を残す。その一部を発掘して現地公開しており、原始の森林を見ることができる。木々の根元には当時の土壌もそのまま残り、昆虫化石も多数確認されている。埋没林には過去の森林環境を明確に物語る資料としての意義があり、人が利用したことで成立した現在の環境と比較することで、学習教材としての活用も行われている。

2.三瓶山

カルデラと男三瓶山(1126m)を主峰とする溶岩ドーム群で構成される火山。石見、出雲にまたがる地域のランドマークであり、古くから人々の生活に根ざしている。出雲国風土記が伝える国引き神話にも登場する。 縄文時代の噴火で海岸部まで流れた噴出物は平野部の地形を形成し、そこは縄文時代以降の居住の中心地となっている。自然散策や登山のフィールドとしての活用が盛んで、国立三瓶青少年交流や県立三瓶自然館などを利用した自然学習の拠点にもなっている。

3.三瓶山の牧野景観

火山地形の利用の歴史を物語る景観。水はけが良く、地表に水がないカルデラ内の土地を利用した牛の飼育は、少なくとも江戸時代までさかのぼる。牛の飼育が盛んに行われた背景には、人口集中地であった石見銀山の生活を支える必要があった。牧野は明治時代以降は陸軍演習地として使われた歴史もあり、各所に軍関連の遺構が残存する。現在も牧野として利用されているほか、自然散策やクロスカントリーなどのスポーツにも活用されている。

4.定めの松

草原景観が広がる三瓶山西の原に立つ老松。かつては道の両側に一対の一里塚としてあり、現在は片側の松だけが残る。江戸時代の絵図にも記されており、残存する松の樹齢は400 年以上とされる。 なだらかな地形から急傾斜地へと変わるカルデラの縁部にあり、道が三瓶山に差し掛かる場所の「定め」としての意味もある。

5.三瓶温泉

三瓶山の中腹、標高約500mの地点からわき出る火山性の温泉で、毎分約3000リットルの豊富な自噴量を有する。 江戸時代から温泉地として利用され、豊富な湯量と自然に囲まれた環境から国民保養温泉地に指定されている。高原の温泉地という特徴を活かし、星空探訪やヘルスツーリズムに活用する取り組みも進められている。

6.浮布の池

三瓶山の噴出物によって谷がせき止められた周囲約2.2kmの湖沼。地下水で涵養される湖で、大田市内を流れる静間川の水源である。湖より上方は牧野、下方は水田が広がり、火山地形にともなう水の動きと土地利用の関係が良く分かる。 湖は水をもたらす霊池として湖岸に邇幣姫神社が祀られ、静間川流域からの信仰を集める。池越しに三瓶山がそびえる景勝地であり、柿本人麻呂ゆかりの地でもある。

7.佐比売山神社と多根神楽

“佐比売山”は三瓶山の古名で、佐比売山神社は三瓶山そのものをまつる神社。古くは山すその集落ごとに佐比売山神社が祀られていたが、現在は合祀されたものが多く、北麓の三瓶町多根地区にあるこの神社だけに古称が残る。 佐比売山神社では、7年に1度「大元祭」が執り行われ、地元住民が主体の多根神楽が奉納される。多根神楽は、石見神楽の一社中で、佐比売 山神社への奉納の他、各地で公演を行っている。

8.三瓶そば

三瓶山は水を得にくい火山灰土壌であるため、江戸時代からそばの栽培が盛んに行われた。現在も在来そばが受け継がれ、他種との交雑を避けるために、三瓶山の山麓では在来そばのみの栽培を行い、「三瓶そば」の名で提供している。日夜の寒暖差が大きい高原気候により三瓶そばは香りが高いことが特徴。

9.小笠原流田植え囃子

三瓶山には豊富な地下水があり、その水が山麓の水田を潤している。山と水への祈りと豊穣を願う行事として、田植え囃子が大田市三瓶町池田地区と小屋原地区に継承されている。小学校でも保存活動が行われ、2020年に三瓶山で開催される全国植樹祭でも披露される予定。 小笠原流田植え囃子は中国地方に広く伝わる民俗芸能の一形態で、中世芸能の流れを汲む。

10.物部神社

三瓶山から流れ出る静間川が平野へ至る位置にあり、三瓶山の遥拝的な性質を持つ神社。古代にまつられていた神体山は三瓶山を正面に見据え、現境内からも山体を望むことができる。 社伝として、三瓶山から3つの瓶が現れたという伝承を伝え、これが山名の由来と言われる。境内には3つの瓶のひとつとされる「一の瓶」をまつる。 1753 年に創建された社殿は、春日造として全国最大の規模を有し、県の文化財に指定されている。石見一宮でもある。鎮魂祭など独特の祭事が行われ、参拝者は全国から訪れる。

11.大江高山火山

約200万〜70万年前に活動し、石見銀山の鉱床を作った火山(または火山群)。大江高山(808m)を最高峰に約30個の溶岩ドーム群で構成される。石見銀山の中心の仙ノ山(537m)、銀山守衛の主な城が置かれた矢滝城山(634m)と要害山(414m)がこの火山に含まれる。 主峰の大江高山はギフチョウやイズモコバイモ、ミスミソウといった希少動植物が生息し、保護活動と登山等での活用が行われている。

12.石見銀山遺跡(仙ノ山の福石鉱床)

石見銀山の中心である仙ノ山は大江高山火山の一峰で、その地下に銀鉱床を抱いている。 仙ノ山は火山灰と火山礫が堆積してできた火山地形で、同種の地形としては国内最大級。その山体にマグマ由来の温泉(熱水)が銀鉱床を形成した。火山灰に銀が入り込んだ独特の鉱石は「福石」と呼ばれた独特のもので、16世紀に銀の量産に成功した原動力は、この鉱石の性質によるところが大きい。

13.大森銀山地区

大森町は、石見銀山の鉱山町として栄え、江戸時代から明治時代初頭は大田市地域の政治経済の中心でもあった。江戸後期から明治時代の町割りと建造物が良く残り、伝統的建造物群保存地区に指定されている。 この町並みの景観の特徴として、「福光石」に代表される凝灰岩を建物等の基礎や石造物、石垣などに幅広く使われていることがある。その岩石は1500万年前頃の火山活動でできたもので、当地に広く分布している。加工しやすい岩質で、形を整えて使うために町並みの整然とした景観の基礎となっている。

14.福光石の石切場

「福光石」は、石見銀山の歴史的な建造物や墓石などの石造物に多く使われた石材で、現在も採石が続けられている。石切場は予約制で公開され、古い採石の跡と現代の地下採掘場が連続する景観を見ることができる。 周辺にも古い石切場が多数あり、今も大田市温泉津町福光地区は10件前後の石材店が集中している。福光石の採石は室町時代から行われたと伝わり、石見銀山のほか石見地方を中心に広い範囲で使われている。約1500万年前の火山活動がもたらした資源のひとつである。

15.松代鉱山の霰石産地

約1500万年前の火山は、大田市に豊富な鉱物資源をもたらした。「石こう」は1960年代までは国内屈指の生産量を有し、松代鉱山はその主力鉱山であった。 松代鉱山では、石こうの副産物として産出した霰石は、世界でも他に例を見ない球花状の 結晶で、大きなものは直径30cm程度に達する。鉱山は閉山されたが、霰石標本は多数現存しており、島根県立三瓶自然館(大田市三瓶町)で展示されているほか、国内外の自然系博物館で展示され、石こう鉱山の町だった歴史を物語る存在である。

16.鬼村の鬼岩

鬼の伝説が伝わる巨岩。約1500万年前の火山活動でできた岩石による特徴的な景観。キノコ型の岩の側面に“鬼の指跡”とされる穴が並び、その形状の面白さから年々、訪れる人が多くなっている。窪みには観音像や石仏がまつられ、地域で大切にされてきた。岩の周辺は鉱山地帯で、鬼伝承と鉱山の民俗的な関係も興味深い。 鬼岩の形状は、火山由来の塩類が影響しており、風化地形としても注目される存在。

17.静之窟

約1500万年前の火山噴出物でできた岩盤に開口した大型の海食洞窟。出雲神話において、国造りの神「オオナムチ(オオクニヌシ)」と「スクナヒコ」が仮住まいした「志都乃石室」の比定地のひとつで、洞窟そのものが静間神社としてまつられてきた。 大田市の海岸は、静之窟以外にも大型の海食洞がいくつもあり、火山による岩石の性質が成因に関係している。信仰や伝承と関係する洞窟も多い。

18.立神岩

岬とその先にある烏帽子型の小島に明瞭な地層が露出し、海岸のランドマーク的存在。約1500万年前の火山噴出物が堆積した地層。岩の脇には古代から中世の港「波根」があり、塔を持つ白鳳寺院があった。九州では港入口の岩を「たてがみ」と呼ぶ例がいくつもあり、九州や大陸との文化交流がうかがわれる。

19.波根西の珪化木

約1500万年前の火山噴火によって埋没し、温泉水の作用によって石化した大型の樹木化石。火山由来の自然景観のひとつ。 海岸の海食崖から長さ10m以上の樹木化石が斜めに突き出して、その先は海底につながる面白い景観を作り出している。この個体のほか、周辺の海中にも多数の樹木化石がある。 大田市は「波根西の珪化木」と約4000年前の「三瓶小豆原埋没林」、現代の「三瓶山自然林」が国の天然記念物に指定され、3つの異なる時代の“森”を見ることができる珍しい町でもある。

20.仁万の硅化木

「波根西の珪化木」とほぼ同時代にあたる約1500万年前の樹木化石。火山噴火によって埋もれたもので、海食台上に大型の2個体が露出している。周辺の地層には炭化木の珪化木が含まれ、火山噴火の状況を物語る。海食台には火口内をマグマが上昇した跡やメノウの岩脈などの地質現象を見ることもでき、珪化木とともに学習等の資料への活用ができる。

21.龍岩

侵食作用によって約1500万年前の火山の芯(火道)が削り出されて尖塔状になった岩で、うねるようにそびえる形が龍が昇る姿に見立てられ、古くから信仰の対象。岩は石見銀山と海の最短ルートの道に面しており、岩の上には石見銀山守衛の要所のひとつ「石見城」があった。垂直に切り立つ岩肌にからむノウゼンカズラは市指定天然記念物。

22.琴ヶ浜

全国有数の鳴り砂の海岸。大江高山火山の火口のひとつとされる半円状の入江に、延長約 1.4km にわたって白砂の浜が続き、歩くと音を奏でる。浜は地域住民にとってつどいの場でもあり、浜で行われる盆踊りは3種の口説きと踊りを交互に繰り返す独特のもの。海水浴やサーフィンのほか、「恋人の聖地」として全国から訪れる人も多い。

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