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大田の石こう鉱山関連

■鬼岩のここがすごい

 笹川が緩やかに流れる里山の風景に忽然とそびえる「鬼村の鬼岩」は、岩の上部が傘のように大きくせり出し、異形とも呼びたくなる形状をしている。この岩に鬼にまつわる伝承が伝わることも、その姿を見れば納得できる気がする。
 鬼岩の側面は反り返るように立ち上がり、大小の凹みがいくつも見られる。まるで海岸の岩のようであり、確かに波打際にはこのような岩はしばしばあるが、ここは最寄りの五十猛海岸までが直線距離で2.8kmも離れている。周囲は丘陵に取り囲まれ、潮風が直接届く場所ではない。海が内陸に大きく入り込んだ「縄文海進」の時代までさかのぼっても、この近くに波の力が及んだとは考えられず、それだけにこの岩の形には科学的な面白さが秘められている。鬼岩がこのような形をしているのはなぜなのだろう。鬼岩の「特別感」を作り出した自然の作用について考えてみたい。

鬼村の鬼岩

写真1 鬼村の鬼岩。全体にオーバーハングしており、側面に風食穴が発達する鬼岩。傘のような形状の上面はなだらかな岩肌になっている。

 鬼岩は静間川の支流笹川の左岸にあり、小さな枝谷の出口部分にあたる。谷底平野の地形面より若干高いところから立ち上がる岩は高さ約15mで、上盤の岩が大きくせり出して極端にオーバハングしている。側面には5個以上の大きめの穴が斜めに並び、そこには地蔵がまつられている(写真1)。岩の上面は広くなだらかで、幅約10m、長さ約15mにわたって滑らかな岩肌が露岩している。
 この岩の特筆すべきは、傘型の岩塔のような形状と側面に並ぶ穴の存在である。そして、側面の穴が鬼の指跡に見立てられた伝承があり、それが地名の由来にもつながるとされることが面白い。伝承では、鬼は朝までに城を作ろうとしたが果たせず、放り投げた岩が鬼岩だという。この鬼の指跡は塩類風化でできた穴で、比較的珍しい微地形である。地形的には風食穴(タフォニ)と呼ばれる。
 塩類風化で岩石に穴ができる主な要因は、岩石中に含まれる塩類と水である。海岸では海水に含まれる塩類によって塩類風化が著しく進行する(写真2)が、鬼岩の地点では海水の影響はほとんど及ばない。

鬼村の鬼岩

写真2 五十猛海岸の風食穴。この海岸の岩石も鬼岩と似た凝灰岩で、風食穴が顕著に発達している。

 雨水や地下水が岩石中に染み込むと、塩類がわずかずつではあるがその水に溶け出す。次に水が岩石の表面から蒸発する時に塩類も水に溶けたまま一緒に移動し、水だけが蒸発することで岩石表面の塩類濃度が高くなる。塩類を多く含む岩石や堆積物では、乾燥した表面に針状や粉状の結晶が析出することもあるほどだ。岩石中の隙間で結晶が成長すると、「霜柱」のように岩石の弱い部分を押し広げて壊し、少しずつ破壊を進める(図1)。また、黄鉄鉱などの硫化鉱物から遊離したイオウが酸性の液体を作り、岩石の変質を進めることもあり得る。こうした作用で凹みが形成されると、そこには水が滞りやすくなり、さらに風化が進行する。こうして凹みが拡大して穴が形成されるのが、塩類風化によって風食穴が形成される過程である。

鬼村の鬼岩

図1 塩類風化のイメージ図
 1.岩石に水が浸透し、この水に塩類が溶ける。
 2.乾燥時に水が表面に移動するとき、溶けた塩類も一緒に移動する。
 3.塩類が岩石の隙間で結晶して表面を破壊する。
 4.破壊された部分が穴になる。雨に洗われやすい頂部よりも側面に風食穴が形成されやすい。

 鬼岩では、大きな穴は地層面に沿って一列に並んでおり、風化しやすい岩質の部分が選択的に浸食されたのだろう。他にも小さな穴が多数あり、岩全体が溶け出しやすい状態の塩類を多く含んでいるとみられる。
 塩類風化に雨が関係するのであれば、岩の頂部が先に風化が進みそうだが、鬼岩は側面ほど風化が進行して細くなっている。古い時代に笹川の水流が岩の裾部を浸食したことで細くなったと考えられなくもないが、主原因は別にある。

 雨水と岩石中の塩類による塩類風化は、水に溶けた塩類の濃度が高くなり結晶化することで岩石が破壊されたり、溶液によって鉱物の分解が起こることで生じるが、岩の頂部は頻繁に雨にさらされるために塩類の濃縮が起こりにくく、結晶化も進みにくい。わずかしか濡れない側面の方が塩類の濃縮が起こりやすく、乾燥が進む期間も長い分、岩石表面での結晶化も起こりやすい。結果的に頂部よりも側面が風化が早く進行すると考えられる。このような作用の結果、鬼岩の傘型で側面に穴が並ぶ独特の形状が生まれたのだ。同様に側面が先に風化する現象は、石灯篭などの石造物でしばしば見られ、風化を防ぐために屋根をかけたところ急速に劣化が進行したという事例もある。
 ところで、露出した岩は山間部でも珍しいものではないが、鬼岩のように側面が痩せて穴が空いたものは稀である。鬼岩の塩類風化が顕著な理由は、水がしみこみやすい岩質であることと、溶け出しやすい状態の塩類を多く含んでいることが考えられる。
 鬼岩は火山灰が堆積してできた凝灰岩で、その形成は1500万年以上前に遡る。当時は大地殻変動によって日本海が広がり、日本列島がおおよそ現在の位置になった時代で、大田市の範囲は大部分が海底だった。海底では大規模な火山活動が繰り返され、火山灰が厚く堆積して凝灰岩の地層が形成された。この地層は隆起して大田市内に広く分布しており、鬼岩もその一部である。この凝灰岩は、軽石質で微小な空隙が多いために水がしみ込みやすい性質を持ち、風化しやすい岩質でもある。軽石質の凝灰岩は粒子の多くが火山ガラスという物質からなり、これは石英や長石などの鉱物に比べて水などの影響で変質しやすく、風化が早い。
 また、鬼岩を作る凝灰岩が堆積した頃、付近では海底火山活動に伴って熱水(地下にある100℃以上の高温の温泉水)の活動が生じた。マグマに由来する熱水にはしばしば有用鉱物の成分が溶けており、それが各種の鉱物資源をもたらしたり、熱水がもとの岩石を変質させて有用鉱物に変化させることもある。鬼岩の近くには、石こうを産出した鬼村鉱山があり、当地一帯が熱水が盛んだった場所であることを物語っている。熱水は塩類も多く含んでおり、熱水に由来する石こうは塩類風化の主原因となる成分のひとつである。熱水の影響を受けた岩石にしばしば含まれる黄鉄鉱も風化すると分解されて硫酸を生じ、岩石の風化を進める。鬼岩の塩類風化が進んだ原因には、熱水に起因するこれらの成分が関与していると考えられる。鬼岩の特異な形状には、はるか日本列島形成の時代まで遡る大地の歴史と、自然界の化学的な作用が関係しているのである。

 では、なぜこの位置に巨岩がぽつんとあるのだろう。
 単独で立つ岩塔のように見える鬼岩だが、地形的には丘陵から派生する小尾根の先端にあたり、実際には孤立しているわけではない。尾根先端の裾部が笹川の水流などで浸食される過程で露岩化し、周囲の小規模な崩壊も合わさって岩塔状に見えるようになったものとみられる。頂部が平らで植生や表土に覆われていない状態は、鬼岩から続く尾根の小さなピークの頂部で同じような露岩箇所が幾つかあり、凝灰岩の風化特性と関係しているのかも知れない。
 自然の必然と偶然が重なってできた鬼岩の形は目を引くものであり、これが伝承につながり、信仰にもつながっていることは大変興味深い。特異な形状を作り出した自然の作用に人の力の及ばぬものを感じ、そこに鬼の影を見たのだろうかと想像したくなる。岩が物語る大地の歴史に加えて、いにしえから現代に至るまで地域の人々が注目し続けてきたことが鬼岩の価値の真髄と思う。

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