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大田の自然<三瓶山>

■三瓶山の3つの「原」の地形

 三瓶山は山裾になだらかな地形が広がり、「西の原」、「東の原」、「北の原」に大きく分けられます。「原」は牧野と陸軍演習地として使われた歴史があり、現在も西の原では放牧が行われて、背後に男三瓶山と子三瓶山が迫る草原に牛がたたずむ姿は代表する風景です。
 なだらかな「原」があることは、三瓶山がカルデラを持つ火山である地質的な特徴に由来します。三瓶山はカルデラの内側に形成された複数の「溶岩ドーム」で構成されていて、溶岩ドームから流れ落ちた噴出物がカルデラを埋めた部分がなだらかな「原」になりました。  その「原」は、西、東、北で少しずつ違う特徴を持っています。ここでは、3つの原について、地形的な特徴を紹介します。

三瓶山の地図(地理院地図を使用)

三瓶山の地形と3つの原

西の原

 複数の峰を持つ三瓶山の主峰である男三瓶山(1126m)とそれに次ぐ高さの子三瓶山(961m)の間の谷「扇沢」を頂点として、西側の池ノ原地区まで続く緩やかな斜面です。池ノ原地区の西では、静間川の浸食によって地形が途切れています。
 西の原は「沖積錐」と呼ばれる扇型の地形です。これは、扇沢から流下した土砂が堆積してできたもので、谷の出口から扇型に広がっています。扇沢に面した男三瓶山の南斜面と子三瓶山の北斜面は浸食・崩壊地形で、そこから落下した土砂が、大雨によって排出されて繰り返し堆積することで、整った形の沖積錐が形成されました。したがって、現在の地形は、火山活動によって山体が形成された後の崩壊によって出来たものということになります。その堆積物の下には、火山活動時の火砕流堆積物が存在すると考えられますが、地表には露出しておらず、確認することができません。
 西の原を作る堆積物によって谷がせき止められて、「浮布の池」が形成されています。

三瓶山西の原

西の原風景。芝地で人々が遊び、その向こうに男三瓶山(左)と子三瓶山(右)がそびえる。その間の谷が「扇沢」で写真では左寄りに谷の出口があり、そこを頂点に沖積錘が扇型に広がる。

東の原

 大平山(854m)の南東斜面から、北側は女三瓶山(953m)の東麓、南側は日影山東峰(718m)の南麓までの範囲です。南側の延長にあたる志学地区の平坦地は早水川により浅く浸食された地形で、東の原とは成因的に異なります。
 大平山は尾根状の地形で、室ノ内火口から噴出された火山砕屑物(火山灰、火山礫、軽石など火山が噴出した土砂状、礫状のもの)が女三瓶山と孫三瓶山の間の鞍部に堆積したものです。南東斜面は砕屑物が厚く堆積することで平板な斜面になっており、この部分が古くは「おおひら」と呼ばれ、大平山の地名になりました。なお、現在は「たいへいざん」と読むことが多いものの、もとは「おおひらやま」と呼ばれていたようです。
 東の原の一部に、土砂採取を行っていた場所があり、そこでは降下火山灰と火砕流の比較的薄い地層が何枚も重なる様子を見ることができます。大平山の斜面で見られる地層も同様で、大平山から東の原の地形は、室ノ内火口で繰り返し発生した中小規模の噴火による噴出物が堆積してできたと考えられます。西の原とは異なり、上方の山腹斜面の浸食・崩壊が進んでいないために、噴火以降の堆積物にはほとんど覆われていません。

三瓶山東の原

三瓶観光リフトの上部から見下ろした東の原。東の原は大平山の山腹山腹から山裾の緩斜面までが一連の地形で、連続的な堆積物で構成されている。

北の原

 北の原は男三瓶山の北麓を指します。昭和のある時期までは“長者原”や“清水原”など細かく分けて呼ばれていました。西の原と東の原に比べると地形に不規則な凹凸があり、平坦地が断片的になっているために、それぞれ呼び分けられていたようです。
 北の原に見られる地形の凹凸は、地形の成因と関係します。北の原は大規模な斜面崩壊(山体崩壊)の土砂が堆積してできています。斜面の上方で崩壊が発生して、その土砂が山裾に滑り落ちた状態で堆積した場合、砂場で砂山を押し崩した時のように地形の凹凸が生じます。北の原に見られる地形の凹凸は崩壊土砂によって出来たもので、地形の高まりは「流れ山」と呼ばれるものです。
 崩壊土砂が堆積してできた北の原の上方にあたる男三瓶山の北斜面には崩壊地形が見当たりません。崩壊が発生したのは溶岩の噴出によって男三瓶山が形成される前の段階だったのかも知れません。その場合、男三瓶山が形成される過程で山麓に火砕流として流れ下った堆積物が北の原の崩壊土砂を覆うと思われますが、これに相当する地層は見当たりません。男三瓶山の北斜面には通称「アワ畑」と呼ばれるテラス状の地形があり、これが北へ向かう火砕流を遮ったのかも知れません。
 北の原を形作った崩壊は、約4000年前の火山活動時に発生しました。その崩壊土砂は土石流として下方まで達していて、三瓶町多根の小豆原地区では「三瓶小豆原埋没林」の形成に関係しました。土石流による谷のせき止めが森林の埋没につながったもので、せき止め部分では土石流堆積物が40m以上の厚さで谷を埋めています。

北の原と男三瓶山

北の原草原と男三瓶山。奥の山が男三瓶山で、その手前に尾根状に見える部分が通称「アワ畑」の高まり。この写真の範囲でも、草原部分に緩かな起伏があることがわかる。アワ畑の山裾に姫逃池があり、この池は崩壊土砂による地形の凹部に水が溜まったもの。

 三瓶山の3つの「原」は、いずれもカルデラの内側にカルデラ形成以降の噴出物が堆積してできた地形です。大きく見ると、三瓶山の山麓を「帽子のつば」のようにとりまく緩斜面があり、カルデラ地形を反映したものですが、それぞれの原が現在の地形になるまでの堆積過程に若干の違いがあり、そのことが地形の違いにつながっているのです。

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