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地層観察の手引き

■出雲國風土記登場の佐比売山 〜三瓶火山の活動と出雲平野〜

はじめに

 島根県の中央付近に位置し、かつての出雲国と石見国の国境にそびえる三瓶山(標高1126m)は、鳥取県の大山とともに、山陰地域のランドマーク的存在の山である。草原と森林が並存する環境は、希少動植物の生息地として中国地方を代表する存在であり、火山としての地史は、カルデラとその内部に形成された溶岩円頂丘群からなる景観を構成している。その立地は中国山地の脊梁から離れ、日本海の海岸から直線距離で約15km地点にあり、ひときわ目立つ独立峰ゆえに、島根県東部地域の歴史や文化の中にも深く根付いている。古くより航海の目印として、九州方面や大陸から出雲を目指す船の拠り所となったと想像され、その山麓の海岸部には大陸との交易をうかがわせる地名が幾つも残されている。「出雲國風土記」の冒頭には、国造りの神が海の彼方から国を引き寄せたという物語が記され、そこでは国を引いた綱を留めた杭として、古名の佐比売山の名が記されている。そして、完新世に生じた三瓶火山の活動は、出雲平野の地形発達に大きな影響を及ぼしており、自然史においても、神話を彷彿させる「国造り」の役割を果たした山である。

三瓶山と出雲平野の地図

地形の特徴

 三瓶山は、石見高原とも呼ばれる中国地方山陰側の隆起準平原の一角に位置し、周辺には標高400〜500m程度の定高性のピークが連なる。当地の基盤は古第三系の花崗岩類で、その上位には新第三系の火山岩類および堆積岩類が分布している。
 三瓶山のピークは複数あり、男三瓶山(1126m)、子三瓶山(961m)、女三瓶山(953m)、孫三瓶山(903m)などのピークが、室ノ内という窪地を取り囲んで環状に配列している。これらのピークは、デイサイト溶岩からなる溶岩円頂丘で、女三瓶山と孫三瓶山の間にあり、平板な斜面が特徴の太平山(854m)は砕屑丘とみられる。孫三瓶山と太平山の外側には、日影山(697m)がある。このピークも溶岩円頂丘である。
 溶岩円頂丘群の山裾は緩やかに起伏する緩斜面が広がり、その範囲は、南北約5.3km、東西約4.3kmの楕円形をしている。この範囲は古い時期の活動で形成されたカルデラで、形成後の噴出物で埋め尽くされているためにカルデラ壁は不明瞭である。
 緩斜面部分は、一部が草原(シバ、ススキ)や牧草地となっている。ここでは1600年代から牧畜が盛んに行われ、1950年代までは、男三瓶山の北斜面と室ノ内を除く大部分が草原であった。また、戦前は陸軍の演習地でもあった。長期間にわたって草原が維持されたことで、三瓶山は草原性植物の宝庫となっている。男三瓶山の北斜面から室ノ内は、人の手があまり加わっていない森林が残存し、三瓶山自然林の名で国の天然記念物に指定されている。
 孫三瓶山と日影山の間の湯ノ谷では、標高500m地点で泉温37℃前後の温泉が自噴し、三瓶温泉として山麓の温泉施設で利用されている。三瓶温泉以外にも、西麓から南麓にかけて複数の温泉と鉱泉があり、三瓶温泉群と総称されている。

火山活動史の概要

 三瓶火山としての歴史は、約11万年前頃に始まり、約4000年前の最新の活動までに7回の活動期があった。第1活動期(約11万年前)と第2活動期(約7万年前)は、多量の火砕物を放出する大規模な噴火を行い、カルデラを形成している。第1活動期の三瓶木次テフラは東北地方まで達しており、広域テフラのひとつに数えられている。第2活動期の三瓶大田軽石流堆積物は、15km以上離れた大田市街の各所で、比高10m以上の露頭を見ることができる。
 第3活動期(約4万年前)、第4活動期(約1万6000年前)の活動でも多量の火砕物を放出する大噴火を行っている。第4活動期には溶岩噴出も伴い、日影山はこの時期に形成された溶岩円頂丘の名残とみられる。日影山が現山体で最も古く、それ以外のピークは、第5活動期(約1万1000年前)以降、おもに第6活動期(約5500年前)と第7活動期(約4000)年前に形成されたと推定されている。第6、7活動期は比較的ゆっくりとした溶岩噴出によるドーム形成と崩壊を繰り返す雲仙普賢岳タイプの活動を行ったとみられ、男三瓶山をはじめとするピークが形成された。
 第7活動期には北麓で山体崩壊が発生しており、その土砂による谷のせき止めによってスギを中心とする巨木の森林が埋没し、直立状態の幹が残存する三瓶小豆原埋没林が形成された。この埋没林は、現地に地下展示室が設けられ、公開されている。

出雲平野の地形発達との関係

 出雲平野は、島根半島と中国山地北縁に挟まれた沖積平野である。この平野の縁辺部には、出雲大社や西谷墳墓群、荒神谷遺跡などの、出雲神話で語られる古代出雲を象徴する遺跡がある。平野西部には弥生時代以降の集落遺跡が集中しており、古代出雲を支えた人々の居住の場所だったと言える。また、出雲國風土記が伝える国引き神話では、平野の北に接する島根半島が引き寄せた国、平野西縁の長浜海岸が引いた綱に見立てられており、出雲平野は神話の舞台の中心にあたる。そして、この平野の地形発達に、国引き神話に登場する佐比売山こと三瓶火山の活動が大きく関わっている。
 出雲平野一帯は、7000〜8000年前をピークとする縄文海進期には、西に開いた東西に細長い内湾だった。この内湾に注ぐ最大の河川である斐伊川と、それに次ぐ規模の神戸川は、湾の出口近くに河口があり、出雲平野は両河川の三角州が湾口をふさぐ形で発達した。湾奥には水域が残され、これが現在の宍道湖である。平野の西部を流れて大社湾に流れ出ている神戸川は、流域の一部に三瓶山山麓を含んでいる。そのため、三瓶火山の完新世の活動(第6、第7活動期)には、神戸川流域にもたらされた多量の噴出物が平野の地形発達に大きく寄与した。その堆積物は、平野の表層堆積層に認められる。神戸川が山間から平野へ流れ出る扇状地の頂部近くでは、第6、第7活動期の噴出物に由来する洪水堆積層がそれぞれ厚さ5m以上の地層として分布しており、河床からの比高10m前後の沖積段丘を構成している。また、平野西部の集落遺跡は、周囲よりわずかに高い微高地上に立地し、多くの場合、現地表直下に弥生時代の生活面が存在している。この微高地を構成している堆積物も、火山噴出物に由来する厚い洪水堆積層である。
 すなわち、出雲平野の地形発達と人の土地利用の関係は次のようであったと推定される。
 約5500年前、第6活動期の噴出物は、それまでごく小規模であった神戸川三角州を急激に前進させた。約4000年前の第7活動期には、ある程度拡大していた平野面を洪水堆積物が厚く覆うと同時に、河口部では三角州をさらに前進させた。その後、神戸川は約4000年前に形成された地形面を下刻して流れるようになった。そのために、火山活動時の大洪水によって自然堤防などとして形成された微高地は沖積段丘化して、その後の洪水の影響を受けにくい安定した土地になった。そのような場所は、縄文時代晩期になると居住の場として使われるようになった。そして、弥生時代になると集落は一気に増加、拡大し、環濠を持っていたと思われる集落も形成された。微高地に挟まれた低地は湿地化したり、周囲の丘陵から流れ出た水が小河道を作ったりしていた。湿地は水田として使われていただろう。すなわち、三瓶火山の活動によって短期間で形成された地形面は、水稲稲作が広まった弥生時代になると居住の好適地となり、古代出雲の人々の生活の場となったのだ。国引きの物語では杭とされる三瓶山は、自然史では国土を直接拡大させる役割を果たした、まさに国造りの山だったのである。
 一方、平野東部を流れる斐伊川は、流域で砂鉄採取と製鉄が盛んに行われた影響で、近世から近代に多量の土砂が供給され、平野東部の地形を急激に発達させた。出雲平野の地形発達は、火山と人的開発の2つの要因により、かなり特徴的なものとなっている。
 なお、島根県では、行政等が実施する文化財の発掘調査に、地質学的な検討を加えることが継続的に行い、自然史の解明に取り組んできた。

●文献

福岡 孝・松井整司(1996)三瓶火山の浮布黒色土以後の火砕物の層序と年代.島根大学地球資源環境学研究報告,15,61-62.
松井整司・井上多津夫(1971)三瓶火山の噴出物と層序.地球科学,25:147-163.
中村唯史(2006)山陰中部地域における完新世の海面変化と古地理変遷.第四紀研究,45,p407-420.
公益財団法人しまね自然と環境財団(2013)森のことづて〜地底に眠る縄文の森・三瓶小豆原埋没林.70p.

※学術の動向・くにびきジオパーク特集

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