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出前授業資料

■池田小学校2015年「三瓶学」資料

火山が作った三瓶山

 三瓶山は火山です。
 標高1126mの男三瓶山をはじめ、女三瓶山、子三瓶山、孫三瓶山、大平山、日影山などの峰は、溶岩と火山砕屑物(かざんさいせつぶつ:火山灰や軽石、火山弾、溶岩のレキなど)でできています。火山が噴火して三瓶山が作られたのです。
 また、男三瓶山などの峰ができる前には、カルデラという巨大な噴火口を作った噴火もありました。カルデラも現在の地形に残されています。それでは、三瓶山の地形と火山活動の歴史について見ていきたいと思いますが、その前に、火山について少し知っておいてもらう必要があるかも知れません。

火山とはどういうものか

 火山とは、地下にあるマグマが地表に吹き出すことでできる地形です。火山が作る地形は山ばかりではなく、爆発的な噴火の時には山ができずに噴火口だけがぽっかりと残されたり、溶岩が広く流れて台地を作ることもあります。
 普通、火山と呼ぶのはおよそ250万年前から現在までの間に噴火したもののことです。それより古い火山は水の力などで浸食されて形が失われていることが多く、火山とは呼びません。
 また、活火山という言葉もあります。これは、1万年前から現在までの間に噴火した火山です。火山の寿命は長く、1万年より新しい時代に噴火したものは再び噴火する可能性が高いことから、防災のために活火山を指定して、必要に応じて観測を行います。三瓶山も全国111個ある活火山のひとつです。
 火山の噴火はマグマが引き起こします。マグマとは、岩石が1000℃を超える高温で溶けたものです。地球の内部は温度が高いですが、ほとんどの部分はかたい岩石です。ところが、一定の条件がそろうと岩石の一部が溶けてマグマができます。火山の地下にはマグマができる場所があるのです。三瓶山の地下深くにもマグマができる場所があります。三瓶山に西には大江高山、東には大山があり、列になって火山が並んでいます。この列の下はマグマができる場所です。
 マグマには水や二酸化炭素など、地上では100℃を超えると気体になる成分がたくさん含まれています。地下深くでは大変高い圧力がかかっていて、1000℃ものマグマの中に水などが閉じ込められているのです。しかし、何かのきっかけで水などが気体になり始めるとマグマは泡だってふくらみ、岩盤を突き破って地上や海底に吹き出します。これが噴火です。床に落としたコーラの缶をすぐに開けると中身が吹き出します。コーラは二酸化炭素が泡立つことで吹き出すのですが、火山の噴火はこれとよく似ているのです。

補足)マグマがそのまま地表に噴出したものを溶岩といいます。爆発的な噴火で空中に放出されて飛び散ったものには、火山灰、軽石、火山弾などがあります。

池田小学校2015年「三瓶学」

火山のイメージ図と関係する用語。

池田小学校2015年「三瓶学」

三瓶山の位置と日本の活火山。ピンク色の線の上に火山の多くは並んでいます。この線は「火山前線(火山フロント)」と呼ばれます。

三瓶山の地形を見てみよう

 三瓶山には男三瓶山をはじめとするいくつかの峰があります。これらは時計回りに男三瓶山、女三瓶山、大平山、孫三瓶山、子三瓶山の順に並んで輪になっていて、その中心に室ノ内というくぼ地があります。日影山は輪の少し外側にあたりますが、離れているわけではなく、輪を作る峰のひとつと言って良いでしょう。男(お父さん)、女(お母さん)、子、孫というように、峰を家族に見立てた名前がつけられていますが、このような命名は案外珍しいもので、他ではあまり見当たりません。遠くから三瓶山を見たとき、同じような形で大きさが違う峰が並んでいることから、このような名前がついたのではないでしょうか。火山はマグマの質と噴火のタイプによってできる地形が決まります。三瓶山の峰は、粘りけが強い溶岩がゆっくり噴出してできた溶岩円頂丘(ようがんえんちょうきゅう)という地形で、同じ質の溶岩が同じように噴出して、同じような形の峰ができたのです。なお、大平山は溶岩円頂丘ではなく、火山灰と火山レキに覆われてなだらかな形です。
 中心の室ノ内は峰に完全に囲まれた穴で、水が流れ出る場所はありません。室ノ内は爆発的な噴火でできた噴火口なのです。水が流れ出る場所がないにも関わらず、中にある室ノ内池の水量はほぼ一定です。大雨が降ると少しだけ水位が上がりますが、すぐに元に戻ります。実にふしぎな池です。池の水は地下水とつながっていて、雨が降っても降らなくても、水位がほとんど変わらないのです。
 三瓶山の峰々の外側には、西の原、東の原、北の原があり、これらのなだらかな地形が峰をぐるっと取り巻いています。起伏を示した地形図や空中写真で見ると、峰の周囲がなだらかであることがよくわかります。後でも紹介しますが、このなだらか部分は古い時期の大噴火でできた巨大な噴火口、カルデラです。峰々は、カルデラができた後にその内側で溶岩が噴出してできました。三瓶山の地形は、お皿(カルデラ)の真ん中にプリン(峰)をいくつか並べたような形をしています。

池田小学校2015年「三瓶学」

三瓶山の地形。男三瓶山などの峰に囲まれた中に室ノ内、外側をなだらかな地形が取り囲んでいることがわかります。国土地理院のサイト「地理院地図」を使うと、このような表示ができ、地形を把握しやすくなります。

カルデラを作った大噴火

 三瓶山は何度もの噴火を行いました。今の山ができる前から噴火を行っているので、「三瓶火山は何度もの噴火を行いました。」と言う方が正確です。これからは、今の山を呼ぶときには三瓶山、火山としての歴史を紹介するときには三瓶火山と呼ぶことにします。  三瓶火山は約10万年前に最初の噴火を行いました。ずいぶん大昔ですが、火山の寿命は100万年程度とされるので、まだまだ若い小学生くらいの火山です。
 約10万年前の噴火から最も新しい約4000年前の噴火まで、三瓶火山は活動した時期が7回知られています。一旦噴火を始めると数年から10数年は活動を続け、それ以外の時は休んでいます。長いときには3万年以上休んでいて、噴火している時間はごく短いのです。
 10万年間で7回あった火山活動のうち、4回目までは大噴火を行っています。特に、1回目と2回目は大きなものでした。1回目の噴火では空高く火山灰を吹き上げ、松江市で1m前後、遠くは岩手県でもその地層が確認されています。2回目の噴火で噴出された火山灰と軽石の地層は、大田市総合体育館の周辺から大田市駅、久手町の海岸にかけて10m以上の厚さで残っていて、大変な規模の噴火だったことを物語ります。この噴火の時には、まず高温の爆風が四方に広がり、続けて新幹線並みのスピードで火山灰が火砕流(かさいりゅう:火山灰や火山レキがガスを含んだ状態で一気に流れ下る現象)となって流れ下りました。その噴出物の量は大変なもので、おそらく数日で現在の大田市街地一帯を埋め尽くしたとみられます。美郷町や出雲市佐田町でも同じような量の火山灰が残っているので、火砕流も四方に広がったのでしょう。
 大変な量の噴出物が一気に噴出されたのですから、火口も相当大きく広がっていたでしょう。さらに、噴火が収まってからは空洞になってしまった地下に向かって地盤の陥没が発生し、火口はさらに広がりました。これが現在の地形にも残っているカルデラで、南北約4.5km、東西約3.5kmあります。この噴火がおさまった時、そこには山はなく、クレーター状の穴だけが残されていたはずです。カルデラ湖になっていた時期もあるかも知れません。

池田小学校2015年「三瓶学」

大田青果市場の裏にある崖。高さ約15mの崖で見られる地層は、約5万年前の三瓶火山の噴火で堆積した火山灰の層。1回の火砕流で一気に堆積したため、縞模様がない均質な地層になっています。この時、現大田市街地一帯は火砕流によってこの深さに埋め尽くされました。

池田小学校2015年「三瓶学」

三瓶カルデラの範囲。赤色の楕円形で示した部分が、5万年前に形成されたカルデラの範囲です。

男三瓶山などの峰を作った噴火

 男三瓶山などの峰(溶岩円頂丘)は、カルデラを作った大噴火とは異なり、ゆっくりと溶岩を噴出する噴火でできました。三瓶山の峰で最も古いのは日影山で、約1万9000年前の溶岩でできています。その他の峰は約5500年前と約4000年前の噴火でその大部分が形成されたと考えられています。
 三瓶火山の溶岩は粘りけが強いタイプです。溶岩(マグマ)は成分によって粘りけが異なります。ハワイのキラウエア火山の溶岩が川のように流れる映像を見たことがあるかも知れません。キラウエア火山の溶岩は粘りけが小さいので川のように流れますが、三瓶火山の溶岩はほとんど流れません。三瓶火山では、火口から押し出されるように溶岩で出てくると、その場所で固まっていきます。さらに下から溶岩が出てきて、固まった溶岩を押し上げたり、脇から噴出したりしながら溶岩の高まりが作られます。溶岩の高まりはしばしば崩れて流れ下れたりしながら次第に高さを増していき、ついには大きな峰ができあがります。
 このような噴火は、1990年代の雲仙火山(長崎県)の活動(雲仙岳平成噴火)で詳細に記録されました。三瓶火山と雲仙岳の溶岩や山すそで見られる地層が大変よく似ていることから、同じタイプの噴火で峰が形成されたと考えられます。三瓶火山の過去の噴火は見ることができませんが、雲仙火山の映像は多く残されており、これを見ると三瓶山の峰がどのようにしてできたのかを想像することができます。

池田小学校2015年「三瓶学」

1990年代の噴火で形成された雲仙岳の平成新山(写真右奥)。平成新山の上の方には、でこぼこした溶岩の形が見えています。斜面は噴火の時に1万回以上もの火砕流と土石流が流れ下り堆積した部分です。噴火から間もない頃の三瓶山もこのような景色だったと想像されます。

三瓶山と人々の暮らし

 三瓶山には8カ所の泉(わき水)があり、それぞれの周りに人が住み始め、村ができたという伝説があります。水は人々の暮らしに欠かせないものです。
 三瓶山の峰には温泉が流れる湯谷川以外に沢がありません。室ノ内池と姫逃池があるものの、地面を流れる水はほとんどない山です。ところがその山すそには豊富なわき水があります。池田小学校に近い高利の水源もそのひとつです。この豊富なわき水は、火山であることと関係があります。
 ひび割れだらけの溶岩と火山灰が重なってできている三瓶山の峰は、砂山のように水がよく染みこむ地盤です。山に降った雨は、よほどの大雨の時には扇沢(男三瓶山と子三瓶山の間の谷)などを流れますが、それも雨が上がればすぐに流れがなくなり、雨水の大半は地下に染みこみます。峰を流れる沢がないのはあまりにも水はけが良いためです。
 地下に染みこんだ水は、岩石や土砂のすき間に蓄えられます。三瓶山のカルデラの内側はまるで地下ダムのように水をたっぷり蓄えています。その水はきわめてゆっくり流れ、一部はさらに地下深くに染みこみ、一部はカルデラの縁のあたりであふれ出すように地表に流れ出ます。これが三瓶山のわき水です。豊富なわき水はしばらく雨が降らなくても枯れることがなく、生活用水や農業用水として安定的に利用できます。また、冷たいわき水はサワビの栽培やヤマメの養殖にも適しています。
 一方、カルデラの内側にあたる西の原などは地面に水がないため生活には不向きな場所です。田畑を作るにも水がありません。このような土地を有効に使う方法に牛の飼育があります。田畑は無理でも、放っておけば草が育ち、それが牛のえさになるのです。そこで、三瓶山の山すそでは江戸時代から牛の飼育が盛んに行われました。当時、牛は肉や牛乳のために飼うのではなく、田畑を耕したり荷物を運ばせたりする作業用が中心で、たくさんの牛が必要でした。現大田市の範囲には石見銀山があり、都市とも言える規模で多くの人が暮らし、米や炭などたくさんの物資が必要でした。銀山に米や炭を作って運ぶためにも牛が必要だったのです。
 牛を飼うために、三瓶山はほぼ全体が草地になりました。1950年代以降、牛の飼育数が減るとともに草地も減りましたが、それでも西の原などの草地が残されています。数百年にわたって草地が維持されてきたことで、三瓶山には希少な草原性の植物が何種類も残っています。火山が作った地形の特徴が、現在の三瓶山で見られる植物にも関係しているのです。

池田小学校2015年「三瓶学」

三瓶山の水の流れのイメージ。三瓶山の地盤はたくさんの水を含むことができます。その水はゆっくりと山すそやさらに地下深くに流れ、一部がカルデラの縁あたりで湧き水になって流れ出します。地下深くには冷え切っていないマグマがあり、その近くまで染み込んだ水は温められて温泉になり、マグマに含まれている二酸化炭素のガスによって上昇して湧き出します。

池田小学校2015年「三瓶学」

西の原の放牧風景。江戸時代から何百年も続く三瓶山での牛の飼育は、火山によってできた「水がない土地」を有効に使う方法でした。たくさんの牛が飼われたことによって広い範囲が草原になり、明治時代には日本陸軍が大砲射撃などの訓練を行う演習地としても使われました。

このページは2015年9月24日に大田市立池田小学校5・6年生の「三瓶学」の取り組みのなかで、火山としての三瓶山を紹介した資料を再編集したものです。
ご質問があれば、お問い合わせフォームからお寄せください。

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