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出前授業資料

■地層学習「大田二中周辺の地層と岩石」資料

はじめに

 大田市立第二中学校(以下、二中)は大田市東部を校区として、朝山町から五十猛町までの海岸がその範囲に含まれます。海岸は岩石海岸と小規模な海浜が交互し、立神岩や波根西の珪化木など特徴的な地質的要素が見られます。また、富山町から久手町南部にかけての丘陵地帯が含まれ、富山地区の広い谷に棚田が広がる景観が見られるほか、朝山町と五十猛町には操業中の鉱山があります。さらに、久手町から波根町にかけては波根湖干拓地の低く平な土地が広がり、自然地形を近現代の技術によって改変して利用している様子を見ることもでき、校区の全域にわたって地形、地質的な話題に富んだ地域です。

大田二中地層学習スライド

大田二中校区の地質図。地質図は分布する地層、岩石を種類や年代によって区別して示した図。大田二中の校区では、海岸部に薄茶色のレキ岩・砂岩、その南に桃色の凝灰岩類、緑色の安山岩類が広く分布している。また、学校周辺にはオレンジ色の三瓶火山噴出物があるほか、富山地区には泥岩層が分布している。

周辺の地層のあらまし

 二中校区には、約1500万年前の火山噴出物(溶岩と凝灰岩のなかま)と砂岩・レキ岩の地層が広く分布しています。静間川や大原川、波根川の下流には中小規模の沖積平野があり、この平野は1万年前より新しい時代に堆積した、レキ、砂、泥の地層でできています。沖積平野の海岸に面した部分には、波と海流によって砂が堆積してできた砂州があり、風で運ばれた砂が堆積してできた砂丘も見られます。また、久手町の西部には約5万年前の三瓶火山の大噴火による火山噴出物が厚く堆積しています。
 大田市全体では、古い岩石としては約3000万年前にマグマが地下深部で固まった花こう岩が三瓶山山麓を中心に分布しています。西部には約200〜100万年前に噴出した大江高山火山の噴出物が広く分布し、同じ頃に川の下流や海岸に堆積したレキ、砂、泥の地層が水上町などに分布しています。大江高山火山はたくさんの峰が集まった火山で、そのひとつに石見銀山の銀を産出した仙ノ山があります。水上町などに分布する地層は陶器の原料になる粘土を含み、瓦などの原料になります。

日本列島形成の時代の地層

 二中校区に広く分布する約1500万年前の地層は、日本列島形成の時代を物語る地層です。日本列島形成とは、次のような出来事でした。
 恐竜が栄えた中生代には日本列島はなく、ユーラシア大陸の東には太平洋が広がっていました。6600万年前頃に恐竜が滅び、やがて2500万年前頃になるとユーラシア大陸の東端が火山活動とともに割れ始めました。それは、現在のアフリカにある大地溝帯と似た状態であったと考えられています。大陸の一部が割れて谷ができ、さらに広がり続けると海が入り込んで日本海の原型になりました。この地殻変動は約1000万年続き、日本列島の基盤となる大地がおおよそ現在の位置まで移動しました。
 この地殻変動の後半に海底や海岸近くの噴火した火山の噴出物や、レキ、砂、泥が海底に堆積してできたものが、校区に広く分布する約1500万年前の地層です。

大田二中地層学習スライド

波根町の立神岩。海岸の崖(海食崖)に明瞭な地層が露出している。濃い色の部分はレキ岩、薄い色の部分は砂岩と凝灰岩で、約1500万年前の海岸付近で堆積した地層。

大田二中地層学習スライド

波根町の立神岩の一部。丸みをおびたレキが堆積した層と砂の層が重なっている様子がわかる。

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久手町の波根西の珪化木。約1500万年前に火山噴火によって発生した土石流に埋もれた樹木が化石になったもの。樹木化石としては全国的にもかなり大きなもので、国の天然記念物に指定されている。付近の海中にもたくさんの珪化木がある。

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波根西の珪化木を埋めている地層。溶岩や軽石のレキと火山灰が堆積した地層で、火山噴出物であることがわかる。レキが丸みを帯びているので、火口から直接流れ下ったものではなく、一旦火口の近くに堆積したものが水を含んで崩れ、土石流として流れ出したものだと判断することができる。

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五十猛町の大浦漁港脇(大崎ヶ鼻)の地層。黒っぽくごつごつしたレキが集まってできている。約1500万年前の火山噴火で、溶岩が冷える段階でバラバラにくだけて流れ、堆積したもの。安山岩または玄武岩質安山岩の溶岩。

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大浦漁港脇(大崎ヶ鼻)の地層の拡大写真。溶岩のレキはひび割れだらけで、このような割れ方は溶岩が急激に冷えたことを物語っている。同様の地層は、静間町の海岸にも一部露出しているほか、久手町と大田町の境付近でも見ることができる。

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五十猛町の猛鬼海岸に露出している溶岩。縦に規則正しい割れ目があり、たくさんの柱を立てかけたように見えることから「柱状節理」と呼ばれる。溶岩が冷えて固まる時に縮んで割れ目が入り、このような形になることがある。断面は五角形から六角形のものが多く、この海岸では波打ち際に断面が露出した様子も見ることができる。

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富山町の棚田。ここの地形は広くなだらかな谷で、独特な景観。この棚田の範囲には泥岩が分布していて、もろく崩れやすい性質があるためになだらかな谷が形成された。地層の性質が作り出した地形である。

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久手町大西にあった石切り場の跡。白い凝灰岩を切り出した石切り場で、石垣などに使ったと推定される。この凝灰岩は約1500万年前の火山噴出物で大田市の広い範囲に同じ時代の地層が分布している。柔らかくて加工しやすいことから石材としてあちらこちらで切り出されており、写真のような石切り場は各地に残っている。この石切り場は山陰自動車道の工事によって失われた。

恵まれた鉱物資源

 普段は意識することが少ないかも知れませんが、大田市には「鉱山の町」という一面があります。16世紀に開発された石見銀山は一時は世界でも指折りの銀鉱山として栄え、日本国内だけでなく、世界的な経済活動や文化交流に影響を及ぼした圧倒的な存在です。江戸時代には五十猛町で鉛山の開発が行われ、川合町吉永の吉永銅山も操業されました。明治時代になると、石こう鉱山の開発が始まり、大屋町の鬼村鉱山を皮切りに、久利町の松代鉱山、五十猛町の石見鉱山などで石こうが採掘されました。昭和の後半には島根県は日本一の石こう産地となり、それは大田市と出雲市の鉱山で採掘されたものでした。現在も、朝山鉱山(朝山町)でベントナイト、石見鉱山、長谷鉱山(大田町)、仁万鉱山(仁摩町)でゼオライト、三子山鉱山(温泉津町)でけい砂が採掘され、いずれの鉱物も国内有数の生産量を誇ります。これほどの鉱山が操業されている町は全国的にも珍しく、歴史的にも現在も大田市は鉱山の町です。現在操業中の鉱山のうち、2カ所が二中校区にあり、朝山鉱山と石見鉱山はいずれも日本列島形成の時代に、火山活動によって鉱床(役に立つ鉱物が利用できる量集まっている部分)ができたものです。

大田二中地層学習スライド

朝山町の朝山鉱山。凝灰岩が変質してベントナイトという粘土鉱物になったものを採掘している。ベントナイトは工事現場から化粧品まで幅広く使われ、止水や保湿の役割がある。

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五十猛町の石見鉱山。この鉱山は昭和の頃は石こうや黒鉱(様々な金属鉱物が混じった鉱石)を採掘し、現在はゼオライト鉱山として採掘されている。写真の坑道は斜めに海面下の深さまで続いており、地下深部で採掘されている。

大田二中地層学習スライド

石見鉱山のゼオライト製品倉庫。ゼオライトは水やガスなどを吸着する性質があり、消臭や水の浄化、土壌改良など幅広い用途がある。

三瓶火山の噴出物

 三瓶火山は約10万年前に活動をはじめて、約4000年前までの間に7回の活動があったことが知られている火山で、活火山に指定されています。2回目の火山活動にあたる約5万年間には、膨大な量の火山灰と軽石を一気に噴き出し、それが四方へ流れ下る大規模な「火砕流」という現象を発生させました。その火砕流によって堆積した地層が、久手港から鳥越、大田町にかけてほぼ連続的に、10〜20mもの厚さで分布しています。この時の噴火は過去10万年間に日本列島でおそらく何十万回も発生した火山噴火の中でも上位20傑に入る規模のもので、巨大な噴火口である「カルデラ」を形成しました。カルデラは大噴火によって地下から一気に火山灰や軽石(これらは地下ではマグマだったもの)が放出され、空洞になった部分が陥没してできる地形です。男三瓶山を筆頭とする三瓶山の峰は、その後の噴火でカルデラの内側に噴出した溶岩でできたもので、カルデラの範囲は峰々の外側になります。
 三瓶火山はデイサイト質マグマを噴出しました。「〜質マグマ」という呼び方は、それが冷えて火山岩になった時の岩石名によって付けられます。三瓶山の峰々を作っているのは、デイサイトという火山岩です。デイサイト質マグマは粘り気が強い性質を持ち、大規模な噴火を起こす場合があります。粘り気が弱いマグマは火口から流れ出るように噴出しますが、粘り気が強いとなかなか流れ出ずに地下の圧力が高まり、一気に爆発してしまうのです。デイサイト質マグマが比較的ゆっくり噴出すると火口付近で固まってこんもりとした高まりを作ります。この地形は「溶岩円頂丘」と呼ばれ、三瓶山の峰々はこの地形です。

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三瓶山の遠景。五十猛町の大崎ヶ鼻から撮影。このように遠方から見ると、三瓶山がなだらかな丘陵地帯にそびえる独立峰であることがよくわかる。中国山地の山々とは別に、火山の噴火で単独で形成された山であるためにこのような地形になった。

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大田町の青果市場裏の崖。約5万年前の三瓶火山の大噴火で噴出した火山灰と軽石が堆積した地層。高さ15m近い崖だが、この全てが1回の噴火で形成された地層で、噴火の規模がいかに大きなものであったかを物語る。大田二中の周囲もこの地層。

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三瓶山の地形。男三瓶山などの峰を取り巻くようになだらかな地形があることがわかる。このなだらかな範囲が約5万年前の大噴火で形成されたカルデラで、現在の峰はカルデラの内側に噴出した溶岩でできている。

波根湖と干拓

 かつて存在した波根湖は入江が砂州によって閉ざされ海と隔てられた湖で、海水と淡水が混じる汽水湖でした。海とつながっているので湖面の高さは海面とほぼ同じです。水深は浅く最も深い部分で水深1.5m程度でした。浅い湖だったことから、太平洋戦争後の食糧難の時代に干拓が行われて水田が作られました。干拓とは、湖や海を堤防で囲った上でその内側の水をポンプでくみ上げて陸地を作ることです。波根湖干拓地の地面の高さは大部分が海面より低く、今も常に水をくみ上げ続けています。もしもポンブが止まれば湖の状態に戻るのです。
 海とつながる湖を干拓した例としては秋田県の八郎潟が大規模なものです。宍道湖の湖岸の一部も干拓地があります。このような環境を干拓した事業としては、波根湖干拓が国内で最初の事例でした。波根湖での成果がその後の各地の干拓に生かされたのです。
 波根湖干拓地の地下には、湖だった時代に湖底に堆積した泥の地層が30m以上の厚さで分布しています。そこには、一年ごとに沈んだ泥がそのままの形で残って縞模様を作る「年縞」という珍しい地層が存在しています。国内では福井県の水月湖に次ぐ2例目として発見されたものです。その地層には、三瓶火山の火山灰層と九州の南海中にある鬼界火山(鬼界カルデラ)の火山灰、韓国の鬱陵火山の軽石の層が挟まれています。
 湖底に堆積した泥は大変柔らかく、たくさんの水を含んでいます。波根湖干拓地の地面に重量がかかると泥が押しつぶされて地盤沈下が発生します。干拓地内の橋はしばしば道路との段差が発生してしまいますが、これは地下深くの固い地盤に基礎を打ち込んで作った橋は動かず、周辺の道路が地盤沈下で沈んでしまうために段差ができてしまうのです。

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波根湖干拓地の遠景。久手町の大西大師山から撮影。平らな地形に水田が広がる範囲にかつて湖があった。水田の先の山が途切れている部分が掛戸で、干拓前はこの部分で海につながっていた。

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掛戸に残る潮止め水門の跡。波根湖があった時代、海水が入りすぎると周辺の水田に塩害が発生して稲が育たなくなることから、水門で止めていた。アーチ型の部分におそらく木製の堰が設置されていたと思われる。この水門は建築遺産的な価値が注目され始めている。

大田二中地層学習スライド

波根湖干拓地のポンブ場。干拓地は海面下の土地であり、このポンプで常時水を汲み上げ続けていないと水が溜まって湖に戻ってしまう。

火山が作った世界的銀山

 石見銀山は、ヨーロッパの人々が船で世界各地に進出した大航海時代にあたる16世紀に開発された銀山です。当時、銀が世界共通のお金として使われており、多量の銀を産出した石見銀山は国内外の経済に大きな影響を与えたのです。
 この銀山の銀鉱床は大江高山火山の一部にあたる仙ノ山の地下にあり、マグマの活動によって鉱床が作られました。仙ノ山は火山灰と火山レキ(溶岩が割れてできたレキ)が堆積してできた山です。約150万年前の仙ノ山では山頂付近から激しく水蒸気を吹き上げていました。地下のマグマから高温の温泉水(熱水)が上昇して吹き出したのです。この熱水には銀をはじめとする金属鉱物の成分が溶けており、火山灰とレキの間に染み込んだ熱水から銀の鉱物(輝銀鉱、自然銀)が沈殿しました。仙ノ山の銀鉱床は、地表と地下の浅い部分に広く鉱石があったことから大変掘りやすく、岩盤も柔らかいことから採掘の作業効率が良い山でした。ほぼ同じ時代に開発された佐渡銀山と比較すると、3倍の速度で掘り進めることができたようです。また、鉱石の成分は16世紀に導入された「灰吹法」という製錬技術で高い純度の銀を取り出すことができるものでした。これらの好条件に恵まれ、当時としては圧倒的な量の銀を生産することができたのです。火山が作り出した鉱床は他にはない特別な特徴があり、その特徴は16世紀の技術での銀生産にぴたりと当てはまるものでした。火山が石見銀山の世界的な輝きを作り出したのです。

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仁摩町の沖から見た大江高山火山の全景。左端にあるなだらかな山が石見銀山の仙ノ山。大江高山火山は30個以上の峰があり、そのほとんどは溶岩でできた「溶岩円頂丘」だが、仙ノ山だけは火山レキなどが堆積してできた「火山砕屑丘」。

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石見銀山の大久保間歩の奥にある大空間。現在、この近くまで立ち入ることができる。この空間は明治時代にかなり掘り広げられたものだが、このさらに奥には江戸時代に掘られたより広い空間がある。その空間は「福石場」と呼ばれ、明治時代の測量図では7カ所確認できる。

このページは2015年3月18日に大田市立第二中学校の1年生全クラスを対象に学校周辺の地層を紹介した際に作成した資料を再整理して作成したものです。
ご質問があれば、お問い合わせフォームからお寄せください。

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