三江線を歩く
数人の仲間と共に、江津駅から三次駅まで三江線の沿線全区間を歩いた。1回5駅程度の区間を、片道は列車に乗り、片道は歩くことを繰り返して約2年かけて完歩した。この計画を立てたちょうどその頃に「三江線廃線へ」の第一報が報じられ、図らずも廃線惜別の熱の高まりを横目に見ながらの徒歩になった。
悠然と流れる江の川の河岸を鉄路が這うように続く様を、車窓と地上の両方から眺め、この路線が消えることを残念に思ったが、同時に存続の夢を描くことの難しさも垣間見えた。歩きながら、観光列車として残す道はないだろうかなどと話したが、歩みを進めるほどに路線が地域の動線軸としての役割を終えかけている気配を感じるばかりであった。
かつて江の川は日本海の海運と中国山地の産業をつなぐ大動脈だった。流域の町には、宿場や中継地として栄えた時代の面影が残る。明治時代以降、それまで舟や人馬が果たしていた運送の役割が鉄道へ移行した時、江の川ではその導入が遅れた。両岸が切り立つ地形、炭などの主力産業が衰退する時期と重なったことなどの事情があっただろう。加えて三江線が全線開通した昭和50年には、すでに陸上物流の主役は自動車に替わってきていた。結果、沿線では駅を中心とした町の再編が進みにくかったのではないか。駅と町がどこかちぐはぐで、鉄道が軸になりきれていない印象を受けた。
歩きながら、「もしも・・・」と想像する。三江線の開通がもっと早ければ、沿線の風景と路線の運命は違っていただろうか。何があれば、観光路線として存続する未来があったのだろうか。考えはその先に進まないが、気になる景色に出会う度に同じことを考えた。
自分自身の生活は、三江線とはほとんど縁がなく、過去に数回乗ったことがある程度だった。しかし、歩いたことで少しだけ身近に感じることが出来たと思う。ひるがえって、歩くことは地域を考える第一歩だという思いを新たにした35駅の旅だった。
○三江線ウオーク
江津駅ー川平駅
川平駅ー石見川本駅
粕淵駅ー石見川本駅(逆区間で歩く)
粕淵駅ー石見都賀駅
石見都賀駅ー伊賀和志駅
伊賀和志駅ー作木口駅
作木口駅ー信木駅(常清滝立ち寄り)
信木駅ー三次駅
開始:2015年12月8日
終了:2017年11月26日
2008年10月27日
国道375号線を南へ、四国へ向う途中、邑南町上田付近を通過する列車とすれ違う。
2015年10月29日
邑南町口羽公民館のウオーキングイベントに同行して三江線に乗車。口羽駅から乗車し作木口駅で下車するイベント参加者たち。
2015年12月08日
江津駅から三次駅を目指す三江線ウオークを開始。江津本町駅近くで、線路と江の川。
2016年4月3日
立ち寄った浜原駅でちょうど貸切のラッピング列車が接近。雪をかぶった三瓶山が後ろに見える。この後、この列車は浜原駅で川本行き列車を待ってから三次駅方面へ。
2016年2月7日
鹿賀駅近くの遮水門。江の川の氾濫時に、線路部分から集落への水の流入を防ぐゲート。廃線後、このゲートは閉じられた。
2016年11月27日
宇都井駅のinakaイルミ。三江線ウオークでこの区間を歩いた日がイベント日に重なり、石見都賀駅から伊賀和志駅間を歩いた後で立ち寄った。
2017年1月24日
大雪の日、江の川を斜めに渡る鉄橋で列車の通過を待つが、雪のために運休。
2017年3月20日
三江線ウオークで、作木口駅から信木駅まで歩く。ゴールの信木駅から列車に乗りスタートの作木口駅で下車。乗ってきた列車を見送る。廃線まで1年と10日。数ヶ月おきに歩くたび、乗客が増えていった。
2017年3月20日
三江線ウオークの途中で通過する列車を見送る。
2017年11月26日
8区間に分けて歩いた三江線ウオークの最終区間は信木駅から三次駅まで。スタートの信木駅にて。
2017年11月26日
三江線ウオークの途中。三次市粟屋町で通過する列車を見送る。2両編成の列車が満員状態。
2017年11月26日
三江線ウオークのゴール、三次駅。
2017年11月26日
三次駅まで歩いた後、この日のスタート地点信木駅まで戻るために乗車する列車を待つ。三次駅のホームには三江線の乗客が並ぶための線が引かれていた。この列車は夕方の口羽駅止まりのため乗客は少ないが、それでも駅で多くの人が待っている。
2015年5月11日
廃線から1ヶ月後の江津本町駅。すでにトンネルは封鎖され、駅舎の看板は外されていた。
2019年4月9日
廃線から1年後の潮駅付近の桜。1年前の3月31日は、間に合わないと思われていた桜が前日に一気に満開になり、最後の列車を見送った。
2020年3月29日
鹿賀駅の桜。暖冬の冬で桜は早く開花したが、この日はまだ8分咲き程度。
2020年3月29日
沢谷駅付近。廃線から2年経ち、線路敷内が少し荒れてきた。