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調査記録などのメモ

■津和野・鍋山・四熊ケ岳の石と石製品

 2019年11月26日に津和野町の陶ヶ岳、27日徳佐亀山八幡宮と萩市の鍋山、28日周南市の四熊ヶ岳で採石場跡と石製品を調査した際の写真記録。

 津和野町を中心に、益田市の一部から萩市東部にかけて、赤灰色または灰色の安山岩を用いた石製品がしばしば見られる。津和野町産の石は「玄表」と呼ばれて、津和野城下町の南に位置する陶ヶ岳などで採取された青野山火山群の噴出物である。萩市ではむつみ地域にある鍋山で採られた「鍋山石」があり、周南市周辺には同市の四熊ヶ岳で採られた「平野石」がある。玄表、鍋山石、平野石の製品の分布域は近く、一部で混在していると考えられている。これらの石はよく似て識別が難しいために、石材の流通範囲がはっきりしないという課題がある。この調査は、採石場跡で石の特徴を確認することで、製品の産地を肉眼的にある程度識別する根拠を得ることを目的に行なった。

津和野町・陶ケ岳

陶ケ岳の石

石丁場との記録が残る陶ケ岳の石。灰色の安山岩が多く、赤みを帯びたものが若干ある。陶ケ岳は青野火山群の火山体のひとつで、この火山群の溶岩は細長い(長さ2〜5mm程度)の角閃石が石基中に点在して、それ以外の鉱物は肉眼的にはほとんど認められない。

陶ケ岳の石

陶ケ岳の石丁場付近に残る切石。

陶ケ岳の石

上と同一の切石。周辺には採石のずりが多く転がっている。石丁場跡には窪地が残っているが、岩盤を切り出した痕跡はなく、基本的に転石を割って石材としたとみられる。

陶ケ岳地図

陶ヶ岳周辺

徳佐亀山八幡宮

徳佐亀山八幡宮

徳佐亀山八幡宮の鳥居。

徳佐亀山八幡宮

鳥居脇にある灯篭。

徳佐亀山八幡宮

灯篭の石材。青野山系の「玄表」。

徳佐亀山八幡宮

亀山八幡宮参道脇にある宝篋印塔。

徳佐亀山八幡宮

宝篋印塔の石材。灰色の青野山系の石。

徳佐亀山八幡宮地図

亀山八幡宮周辺

萩市紫福・鍋山

鍋山遠景

阿武火山群の中で唯一とされる溶岩円頂丘の鍋山。この山から鍋山石を採石した。

鍋山の採石跡

鍋山の採石跡。垂直方向に節理が発達し、強風化部と硬質部が混在している。

鍋山の採石跡

上写真の右側。この部分の石は灰色。ハンマーの左側は強風化、右は硬質。

鍋山の採石跡

上2枚と同一の採石跡。

鍋山の採石跡

採石跡の岩石。砂岩に似た質感を示し、斑晶が目立たない安山岩。青野山安山岩と比べると石基部分がざらっとした粗い印象を受ける。

鍋山の採石跡

同上。採石跡の石は灰色のものが多く、これは赤いものに比べてやや硬質で、墓石に多く使われたという。

西見山八幡宮

西見山八幡宮の鳥居と灯篭。灯篭は赤みが強い鍋山石。西見山の名は、鍋山を西に見ることに由来する。

西見山八幡宮

上写真の灯篭の石。

西見山八幡宮

鳥居の下にある灯篭。

西見山八幡宮

上写真の灯篭の石。ガス抜け穴がある安山岩または安山岩質玄武岩で、鍋山の石に比べて硬質。阿武火山群の溶岩とみられるが、鍋山では同質のものは見られなかった。この石はしばしば使われている。

西見山八幡宮の牛

灰色の鍋山石で作られたと推定される牛の像。鍋山山頂に祀られていたものを移設した。拝殿の脇に顕彰碑が3〜4基あり、これも灰色の石が使われている。精緻な加工を求める製品には灰色の石を選択的に使っている印象。

仏光寺文殊堂の山門

仏光寺文殊堂の山門

文殊堂の山門

山門の礎石。内側には鍋山石、外側には花崗岩を使っている。付近は花崗岩の分布域でもある。

文殊堂にある石仏

くり抜きの祠に単純化された石仏が収められている。赤と灰色の鍋山石を使い分けている。

文殊堂にある石仏

この石仏は隠れキリシタン関連とされている。

鍋山地図

鍋山周辺

周南市四熊・四熊ケ岳

 四熊ヶ岳は青野山火山群のひとつで、青野山などとほぼ同質の溶岩で構成されている。肉眼的に極めてよく似ているため識別は困難であるが、四熊ヶ岳の安山岩は黒雲母の大きな結晶をしばしば含み、これは津和野町の青野山安山岩では認められない(全くないとは言い切れないが)ことから、識別の目安になると思われる。

四熊ヶ岳

東峰(標高390m)から四熊ヶ岳を望む。

嶽山

四熊ヶ岳の南西に位置する嶽山。平野山とも呼ばれ、この山裾の海岸部の地名が平野。

徳山市街

周南市の中心、徳山市街。

四熊ヶ岳東峰の観音像

四熊ヶ岳東峰の観音像。

四熊ヶ岳東峰の山頂付近

四熊ヶ岳東峰の山頂付近。

四熊ヶ岳東峰の山頂付近

四熊ヶ岳東峰の山頂付近の石。

四熊ヶ岳東峰の山頂付近

四熊ヶ岳東峰の山頂付近の石。灰色で角閃石の結晶が目立つ。また、大型の黒雲母を少量含んでいる。

四熊権現下方

四熊権現下方の、かつて女人堂があった付近の露頭。石段整備などに石を切り出した跡とみられる。

四熊権現下方

上と同一地点。この付近では流理が発達して、これに沿う板状節理もみられる。板状に採取した石を石段に使っている。

庄原の板碑

1374年の銘がある板碑。当地付近には、14世紀代の銘が残る石製品が多数ある。

庄原の板碑

上写真の拡大。灰色の平野石を使っている。中心に黒雲母の斑晶がある。

井谷の庄屋屋敷跡

庄屋屋敷跡の石垣。平野石で作られており、大半の石は赤みがかっているが、灰色のものが若干含まれる。

棚田脇の地蔵

棚田脇の地蔵。石材は不明。

峠を越えて海へ至る道

井谷から神山神社付近の海岸部へ至る道。この先の峠を「おおす」と呼んでおり、おおす付近に近代の石切り場があった。

永源山公園から見た四熊ヶ岳

永源山公園から見た四熊ヶ岳

神山神社にある石棺

神山神社にある平野石製の石棺。平野石は古墳の石材としても使われている。この石棺は神社で手水鉢に転用されていた。

神山神社の腰掛岩

神武天皇の腰掛岩とされる石。この石も平野石。

四熊ヶ岳地図

四熊ヶ岳周辺

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