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調査記録などのメモ

■ポーランドの銀鉱山タルノフスキェ・グリを訪ねて

概要

 ポーランド南部の町タルノフスキェ・グリ(Tarnowskie Gory)は2023年時点での人口は約6万人の市で、行政区分はシロンスク県タルノフスキェ・グリ郡に含まれます。この町は1526年に鉱山町として成立しました。古くからの地名「タルノビッツェ(tarnowickie)」に山または鉱山を意味する「グリまたはグルィ(Gory)」を付けた鉱山名が町の名になっています。

 タルノフスキェ・グリ鉱山は1490年頃に農民が鉱石を発見したことをきっかけに開発が始まったと伝わる銀、鉛、亜鉛の鉱山です。16世紀から17世紀が銀生産の最盛期で、当時はヨーロッパを代表する銀鉱山のひとつでした。蒸気機関を用いた鉱山開発の先進地でもあり、排水と利水を兼ねた高度な地下水路システムが発達しました。地下水路システムは現在も用水に使われています。1912年に閉山し、開発時期と最盛期、閉山時期が石見銀山とほぼ同時期で、16世紀に銀の世界的な流通に影響した点でも共通します。その鉱山遺跡は、「タルノフスキェ・グルィの鉛・銀・亜鉛鉱山とその地下水管理システム」として2017年に世界遺産に登録されています。

 2023年9月に大田市の訪問団としてこの町を訪問しました。鉱山遺跡の保全活用を担うSMZT(タルノフスキェ・グリの地を愛する人々の会)から招待を受けたもので、先方は鉱山関連の世界遺産の連携を考えており、特に時代が重なる石見銀山遺跡との連携を期待しているものです。

鉱山の地質

 タルノフスキェ・グリ一帯は平原地帯で、主に古生代から中生代の堆積岩類が分布します。銀などを産する鉱床は中生代三畳紀の地層中のドロマイト(苦灰岩)層が熱水と反応した「接触交代鉱床(スカルン)」です。ドロマイトが溶けてできた空洞を鉛、亜鉛、鉄の鉱物が充填した鉱床が形成されたもので、産出した主な鉱物は方鉛鉱、閃亜鉛鉱、ウルツ鉱、黄鉄鉱、白鉄鉱とされます(ポーランド国立地質研究所のwebサイトより)。このうち、銀と鉛は方鉛鉱、亜鉛は閃亜鉛鉱が資源鉱物です。

 この鉱床は起伏が小さい平原地帯の地下に存在することから、基本的に竪坑とその下の水平坑道の組み合わせで採掘されており、現在も多数の竪坑が開口しています。中心市街の地下も坑道が張り巡らされており、街なかにも竪坑が残っています。周辺では石炭の採掘も行われており、その採掘坑も含めて1000以上の竪坑が存在するようです。

鉱山の歴史を生かした町

 タルノフスキェ・グリ市の市街では至る所に鉱山関連のサインや名称が使われており、鉱山の歴史を尊重しつつ現在のまちづくりにも活用していることがうかがわれます。
 今回の招待は、町の大きなイベントである「Gwarki(鉱夫祭)」の日程に合わせたものでした。SMZTが主催するイベントで、祭りの3日間は町をSMZTに託すという意味で開会式で「町の鍵」を市長が同会の会長に渡す儀式が行われます。鉱山の歴史が町の歴史であることの表れであるとともに、SMZTの存在の大きさを物語る儀式です。

 SMZTは基本的に自主財源で運営されており、坑道の公開とツアー、博物館、宿泊施設を運営する収入が運営費に充てられるとのことで、行政からの財政支援と大きなスポンサー企業は存在しないそうです。会ではほかに遺構の保全と調査研究、出版事業も行っており、これらの事業に従事する職員はパートタイムを合わせて70名程度が雇用されているという話でした。SMZTの一般会員は被雇用者ではなく無償で地域貢献を行う集団です。100名程度の会員がおり、自分の商売などへの利益誘導を行わない公平な人物であることを審査した上でようやく入会が認められるということです。地域貢献を行うことが名誉であるという意識が市民に根付いていることがうかがわれ、「歴史を生かしたまちづくり」の目指す形のひとつと思われます。

タルノフスキェ・グリ

タルノフスキェ・グリの中央広場にある竪坑。屋根は再現したもので町のマークでもあるツルハシの鉱山記号が付いている。

タルノフスキェ・グリ

SMZTのオフィスが入る建物。2階部分は宿泊施設になっており、それもSMZTが経営している。建物の壁にある「1538」の数字は建物が建てられた年で、鉱山開発の初期にあたる。SMZTは古い建物の改修も手掛けており、このほかにも市街に再建してレストランなどに使っている建物がある。

タルノフスキェ・グリ

タルノフスキェ・グリの中心市街の一部。「坑夫祭」の前日で屋台が準備されている。坑夫祭期間中のこの通りは大変な混雑だった。

タルノフスキェ・グリ

タルノフスキェ・グリ市街にある坑夫の像。町のどこにいても「鉱山」を感じる。

タルノフスキェ・グリ

鉱山を紹介する博物館。博物館の中から地下の坑道に降りて見学できる。公開坑道は2カ所あり、いずれもSMZTが運営している。

タルノフスキェ・グリ

博物館から直接降りた公開行動。かならずガイドが同行して出発時間を決めて案内している。時間を定めているのは、一周できる坑道を同時に2グループを別方向で入れて、船を使うエリアを効率よく使うため。坑道内の一部は水路を船で進む形。

タルノフスキェ・グリ

坑道内の採掘空間。水平に近い形で鉱床が広がっており、採掘も平面的に行われる。所々に支柱を残して落盤を防いでいる。石と木で組んだ支柱はもともとあったものを公開用に復元している。

タルノフスキェ・グリ

博物館の外庭は蒸気機関の野外展示になっている。遊園地にあるような小さなディーゼル機関車で園地を一周するようになっており、その軌道はSMZTの副会長の自作したもの。

タルノフスキェ・グリ

上の坑道とは別の「黒鱒坑道」。排水と用水を兼ねた坑道で、公開部分の全行程を約40分かけて船で移動し、船頭がガイドを務める。1953年に公開用に整備され、その活動からSMZTがスタートした。

タルノフスキェ・グリ

坑夫祭の夜、中央広場の様子。ステージでは歌手のライブが行われ、数千人の観衆が押しかけた。この賑わいが3日間、連夜続いた。

タルノフスキェ・グリ

坑夫祭の開会式。左端で左手を掲げている人物がSMZTの会長。市長(会長から一人挟んで右側)から「町の鍵」を渡されたことを観衆に示している場面。

タルノフスキェ・グリ

坑夫祭の最終日に行われたパレード。町の歴史に関係する人物に扮した歴史絵巻の後、さまざまな団体が行進する。写真はSMZTの会員。1時間以上にわたる規模が大きなパレードであった。

メモ

 訪問にあたり、タルノフスキェ・グリ鉱山の保全活用を行う市民団体SMZTの運営の仕組み等に関する情報が石見銀山の保全活用に応用可能かという点に注目した。
 SMZTは世界遺産としての文化財保全や調査研究を基本的に自主財源で行い、収入源として観光客の受入による収益がある。行政やメセナ企業による支援はほぼないらしく、シンポジウムやイベントなどの文化事業に対しては行政の補助があるということである。
 各種事業に関わる職員は、正規、非正規(パートタイム)含めて100人規模(人によってニュアンスが若干異なる)であるらしく、人件費と施設管理などその他事業費は数億円相当を要すると思われる。
 大田市の例にあてはめると、石見銀山に関わる公開施設の管理運営、文化財行政部門、観光部門の一部を担っていることになり、行政に代わる地域経営団体と表現できると思われる。同市におけるSMZTの存在はかなり大きく、訪問期間に開催された「鉱夫祭」が、SMZTの主導で行われていることからも存在の大きさをうかがい知ることができる。
 行政と民間の関係が日本とは異なるため、SMZTの方式を大田市にあてはめることはできないが、観光DMOの設置など日本でも自主財源で各種事業をまかなう地域経営団体の設立を進めている状況を考えると、参考になる部分があると思う。例えば、大田市DMOでは行政と観光協会、民間事業者の従来の立ち位置を維持したまま地域経営団体への移行を目指しているが、実現には各団体間の組織と関係性を再構築するレベルでの改革が必要になると感じた。
 石見銀山協働会議に関しては、この組織が自立し、主体的に事業を行うことが設立以来の課題となっている。枠組みの再構築なしには実現しないことを従来から感じていたが、今回の訪問でより大きな規模での再構築が必要と感じたところである。SMZTでは各種事業を一元的に自主財源で行うことで、組織としての判断が速く、財源の範囲で各種の事業展開が可能で、協働会議では到底まねできない形である。とはいえ、上記のとおり日本でも地域経営団体の設置が望まれている。SMZTは効率的な経営を目指す上での手本となる存在と思われる。
 同時に、SMZTの運営が実現していることは組織の構造的なことも重要であるが、その根底には会員、職員、市民の精神性があると想像する。同会会長らの言葉から、団体と地域の歴史文化への誇りと自負が強く感じられ、それは市民に広く根ざしている意識でもあるらしい。周辺国に蹂躙されてきた国の歴史と争奪の対象となった鉱山が、愛国心と郷土愛を強烈なものにしている。歴史を守り活かす活動は、市民の意識の上になりたっており、それが周辺国も歴史文化を尊重する意識が高いことで消費額が大きな観光客(生々しいが、現実として重要な要素)が訪れていると想像される。郷土愛を育む教育の重要性を再認識する機会でもあった。

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