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地層観察の手引き

■縄文時代の島根県の古地形と三瓶火山の活動の影響

1.はじめに

 縄文時代は,最終氷期が終わりに近づき,気候が温暖化する時期に始まり,およそ1万年間続いた時代である.その間,気候の変動に伴って著しい海面変化が生じ,海岸部では「縄文海進」と呼ばれる海進現象と,その後の沖積平野の拡大によって地形的環境が大きく変化してきた.
島根県には縄文時代に火山活動を行った三瓶火山(三瓶山:標高1126m)があり,その活動は出雲平野などの沖積平野形成に影響を与えたことが明らかになっている.当地の古地形に関しては,宍道湖・中海において1980年代に島根大学によって行われた一連の研究(中海・宍道湖自然史研究会,1982など)があり,徳岡ほか(1990)によって最終氷期以降の古地理変遷が図示された.
その後,中村ほか(1996),中村(2006)は低湿地遺跡の層序と平野下の柱状試料の検討を行い,縄文海進極大期以降の沖積平野の地形変遷を検討し,あわせて中村・徳岡(1996)は過去の試料について再検討して古地形と水域環境について再整理した.1990年代後半からは,島根県古代文化センターと島根大学の共同調査によって複数の柱状試料が詳細に検討され,山田・高安(2006)によって報告された.本報告では,過去の研究資料を再整理し,中海・宍道湖を中心とする地域に縄文時代の古地形変化を検討する.


2.海面変化について

 地形を変化させる主な要因には,地盤自体の動きである構造運動,河川や波浪などによる浸食・堆積作用と海面変化,火山の周辺では火山活動がある.特に,後氷期以降に形成された海岸沖積平野は,海面変化に強く規制されながら,浸食・堆積作用が進むことによって地形が発達する.その速度は,構造運動による変化より急速である場合が多い.

 海面変化には,海水量の変化によるものと,構造運動によって地盤が昇降することによる相対的な変化があり,一般的には海面高度は両方の作用によって決まる.海水量の変化は気候の寒冷化,温暖化による大陸氷床の拡大,縮小によって生じるため,寒冷期には海面低下,温暖期には海面上昇が生じる.海水温の変化による水の膨張,収縮も海面高度に若干の影響を及ぼす.氷期の最寒冷期と間氷期では100m以上の海面高度差があり,この昇降によって海岸地形は著しく変化する.

 日本列島周辺における完新世の海面変化は,太田ほか(1990)によって総括され,2万〜1.6万年前頃の最終氷期最寒冷期に標高-100〜-140mまで低下した海面は,その後の温暖化に伴い急速に上昇し,1.2万年前頃の寒の戻り(ヤンガードリアス期)による一時的な停滞を挟んで7000年前頃に最高海面に達した地域が多いことが示されている.島根県においては,中村(2006)が中海・宍道湖地域で検討し,7000〜6000年前の最温暖期(ヒプシサマール)に現海面に対して最大で+1.5mの最高海面に達した後,1500年前に海面高度が標高-0.5m程度まで低下した可能性があることを示している(第1図).太平洋側の地域では最温暖期に現海面に対し+5m程度の高海面,2000年前頃に現海面に対し-1〜-2mの低海面が報告されていることに対して,当地は最温暖期以降の変化が小さい傾向にある.


fig1 中海・宍道湖地域の後氷期の海水準変動

第1図 中海・宍道湖地域の後氷期の海水準変動
縦軸が海水面の高さ(標高),横軸が年代を示す.当地では,最終氷期最盛期以降に急上昇した海面は,7000年前までには現在と同レベルに達し,その後は6000年前頃に最大で1.5m上昇した可能性がある.その後は,2000年前から1500年前頃に若干の海面低下の可能性がある.


fig2 最終氷期最盛期(左)と縄文海進極大期(右)の汀線位置

第2図 最終氷期最盛期(左)と縄文海進極大期(右)の汀線位置
20000年前頃の最終氷期最盛期には島根半島と隠岐諸島の間が陸峡となり,半島状の地形になっていた.縄文海進極大期は7000年前頃で,島根半島は島になっていた.


3.古地形の検討

 2万年前頃から数千年間続く最終氷期最寒冷期は,100m以上に及ぶ海面低下によって大幅な海退が生じていた.第2図-1に海面が100m低下した場合の島根県周辺の古地形を示す.島根半島と隠岐の間は現水深が100m未満と浅く,この部分が陸峡となって隠岐諸島が地続きになっていた.完新世初頭の1.1万年前の海面は標高-40mにあったと考えられており,この時点では隠岐諸島一帯は離島になっていた.

 縄文海進が極大まで進行した時,海岸平野の広い範囲は内湾環境だったと考えられる.中村ほか(1996)は,松江低地において,内陸側での分布限界地点の海成泥層に鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah)が挟まれることから,K-Ahが降灰した7300年前前後の時期が当地の海進極大期とし,同火山灰の平面分布から中海・宍道湖地域の海進極大期の古地形図を示した.島根県の海岸平野としては,出雲平野が最大で,次いで安来平野(能義平野)が広い面積を有する.その他,小規模なものでは松江低地,浜佐田低地,益田平野,大田平野(静間川下流低地,三瓶川下流低地)などがある.安来平野については,中村・Nguyen(1996)がK-Ahの分布から,海進期に大きく湾入していたことを示している.益田平野は,中村(2007)が地下に海成泥層が広く分布することを示している.第2図-2は,これらの検討に基づき,縄文海進が極大に達した7000年前の海陸境界を示したものである.
 第3図では,中海・宍道湖地域の縄文時代の古地理変化を示している.以下に,この図について述べる.


fig3 中海・宍道湖地域の縄文時代の古地形変遷

第3図 中海・宍道湖地域の縄文時代の古地形変遷
島根半島と中国山地北縁に挟まれた宍道低地帯に発達する中海・宍道湖と周辺の沖積平野は,島根県では縄文時代を通じて最も大きく地形変化した地域である.出雲平野の地形形成には,約5500年前と約4000年前の三瓶火山の活動が大きな影響を及ぼした.


(10000年前)
 海面高度が標高-20m付近にあったと想定して描いている.宍道湖側と中海側にそれぞれ湾が形成され始めている.
 当時の海面高度の根拠として,宍道湖湖底堆積層の基底部からは7980〜9820 14CyrsBP(未較正の14C年代値)の年代値が得られていることや(水野ほか,1972),大田市の久手干拓地(旧波根湖)のOH01試錐コアにおいて,約10000年前に噴出した鬱陵隠岐テフラの漂着軽石が標高-17mから見いだされている(沢田ほか,1997)ことがあげられる.


(9000年前)
 海面高度が標高-10m付近にあったと想定して描いている.宍道湖側と中海側の湾はまだ離れている.海面高度は8000年前には標高-5m以上に達していたことが,米子市目久美遺跡の14C年代から推定され(財団法人米子市教育文化事業団・米子市公園街路課,1998),10000年前の高度との間を補間すると,海面高度は標高-10m前後になる.


(8000年前)
 海面高度が標高-3m付近にあったと想定して描いている.宍道湖側と中海側の湾が現在の大橋川部分で連結し,両水域に海水交換が良好な内湾環境が出現する.中村・徳岡(1996)は,この時期に宍道湖側の湾が海水交換が良好な環境となり,湾奥の松江低地でウニなどの化石が産出することを報告している.


(7000年前)
 海面高度が現海面付近にあったと想定して描いている.当地における縄文海進極大期にあたる.海面高度は,K-Ah降灰時に現在と同水準か若干低い程度だったと想定される(中村,2006).降灰当時の海底地形面は,K-Ahの分布から平面的に追跡できる.
 宍道湖側の水域では,K-Ah層準付近では貝化石はほとんど含まれなくなり,海進が極大に達したにも関わらず,前ステージと比較して海水交換が悪い状態になっていたと考えられる.中村(2006)は,このステージでは現在の神戸川河口付近で砂州の発達したことにより海水交換が悪くなったと推定している.


(6000年前)
 この時期に海面高度は完新世を通じて最高位に達したが,上昇量は1.5m未満であり,デルタの発達により汀線位置は前ステージとあまり変わらなかったと想定して描いている.宍道湖側の水域はやや閉鎖的な内湾環境が継続していた.


(5000年前)
 海面高度は現海面付近にあったと想定している.このステージ以降,汀線位置を大きく変化させるほどの海面変化は生じていない.
 約5500年前に三瓶火山の活動が生じ,神戸川が多量の火砕物を運搬したことにより急速なデルタの前進が生じた.斐伊川デルタも島根半島に迫っている.島根半島側は完新統基底面深度が深く,宍道湖からの流出水によるデルタ先端の浸食も想定されることから,このステージでは斐伊川デルタは島根半島に完全に達してはいないと想定している.


(4000年前)
 約4000年前の三瓶火山の活動により,神戸川デルタが急速に拡大し,浜山砂丘,出雲砂丘まで達した.神西湖と菱根池はこの時期に淡水化した(山田・高安,2006).宍道湖西岸の試錐コアでは,K-Ah層準の上位で淡水止水生種の珪藻が急増する層準がある(中村・徳岡,1996).この層準はK-Ahより5.1m上であり,宍道湖の平均的な泥の堆積速度(年間約2mm)から概算すると,K-Ahの降灰(7300年前)から2550年後となる.これらのことから,前ステージとこのステージの間に神西湖と菱根池,そして宍道湖が海との直接の連絡を絶たれる大きな変化が生じたと推定した.図では淡水の排出口として残る水路を描いている.


(3000年前)
 斐伊川,神戸川などのデルタが前進し,前ステージに比べて水域が縮小した.中海側では,弓ヶ浜の形が現在に近いものになっている(中村ほか,2001).


(2000年前)
 前ステージに続き,さらに水域は縮小,沖積平野が拡大している.平野上に集落遺跡が形成され,神戸川デルタおよびファンデルタの範囲では4000年前の三瓶火山の活動時に形成された微高地に集落が集中している.


4.三瓶火山の活動の影響

 三瓶火山は島根県のほぼ中央部に位置する活火山である.約10万年前に活動を開始し,7回の活動期がある(松井・井上,1971;福岡・松井,1996).縄文時代には3回の活動を行った.約5500年前(第6活動期)と約4000年前(第7活動期)にはデイサイト溶岩の噴出による溶岩ドーム形成とドーム崩壊による火砕流発生を繰り返すタイプの噴火を行い,三瓶火山を流域に持つ神戸川,静間川,江の川には相当量の火砕物が供給され,三角州などの地形発達に影響を及ぼした.なお,約1万1000年前の活動は規模が小さく,山麓の一部に降下火山灰をもたらした程度である.

 河川への影響は次のようなものであった.
 中村(2004)は,考古遺跡における地質調査と試錐コアの検討から,出雲平野の神戸川デルタにあたる範囲の地形発達に三瓶火山の活動が大きく影響を与えたとしている.この範囲では,第7活動期に形成された微高地が弥生時代以降に居住地として利用され,近現代まで引き続き利用されている.神戸川ファンデルタの頂部に近い三田谷1遺跡では,第6活動期,第7活動期の火砕物に由来する洪水堆積層が確認されている.いずれも層厚5mを超え,その洪水規模が著しく大きかったことを物語っている(建設省中国地方整備局出雲工事事務所・島根県教育委員会,2000).同じく古志本郷遺跡では,火砕物に由来する泥流堆積層が確認されており,火山泥流が直接河口付近まで達しする場合があったことが明らかになっている(国土交通省中国地方整備局出雲工事事務所・島根県教育委員会,2001).

 静間川水系では,下流の静間川下流低地と三瓶川下流低地は基本的に火砕物の堆積によって地形面が形成されている.三瓶川下流では,土石流によって供給されたと見られる巨木の流木が火砕物に埋もれた状態で地下に存在している.一部が三瓶川河床に露出していて,立木状態のものも認められる.三瓶山麓の火砕物の分布状況から見て,この水系に供給された土砂量は,神戸川より多かったと思われるが,下流部にデルタが発達し得る水域が限られていたため,沖積平野の地形発達の面では,出雲平野の場合に比べると見掛け上の影響は小さい.

 江の川は,支流の早水川を通じて火砕物が供給された.江の川下流の河床礫には三瓶火山のデイサイト礫が数%含まれている.河川規模が大きく流域の他範囲からの土砂供給量が多いことを考慮すると,火山活動に伴う火砕物の供給量はかなり多かったと思われる.早水川の谷にはこの時期の火砕物からなる河岸段丘の発達が顕著であるが,江の川本流では火山活動による地形への影響は特に認められない.河口が直接日本海に面しているため,平野の発達が貧弱であること,本流の谷は両岸に山が迫り,堆積地形が形成される余地が限られることが影響していると考えられる.

 次に,降下火山灰については,三瓶山の東方数10kmまでの範囲にはある程度の影響を及ぼしたと考えられるが,降灰範囲はそれほど広くなく,遠隔地への火砕物供給量は少ないため,地形や植生への影響は限定的だったと考えられる.
 三瓶山から離れた場所での降下火山灰の分布は,次の状況である.
 三瓶山から直線距離で約30km東に位置する尾原ダム地内(雲南市・奥出雲町)では,第7活動期の降下火山灰が層厚10cm以下で断続的に分布していることが,原田遺跡(国土交通省中国地方整備局・島根県教育委員会,2006)や寺宇根遺跡(国土交通省中国地方整備局・奥出雲町教育委員会,2008)など複数の遺跡で確認されている.鳥取県日南町霞の霞遺跡では第6活動期のものとみられる降下火山灰が層厚約20cm(うち,降下堆積は約10cm)で分布している(財団法人鳥取県教育文化財団,2001).三瓶山から霞遺跡までの距離は約50kmである.松江市の島根大学構内遺跡では第6活動期の降下火山灰層が確認されている(島根大学埋蔵文化財調査センター,1998).無撹乱に近い湿地堆積層中で0.5m未満の層厚しかなく,直線距離では霞遺跡とほぼ同じであるが,分布軸からわずかにずれただけで降下火山灰の層厚が急減することがわかる.
 10cm程度の層厚で降下火山灰が堆積した範囲は三瓶山の東方に限られる.この範囲では降灰により,植生などへの影響が若干あったと思われる.


参考文献

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