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島根県の自然

■都茂丸山鉱山の歴史と地質概要

都茂丸山銅山

「都茂丸山銅山」の標柱。この奥に昭和期の主力坑道「丸山坑」があるほか、山中には古い時期の開発の跡、山神社の跡などが残ります。

 都茂丸山鉱山(都茂鉱山)は銅山として開発が始まった鉱山で、記録に残る限りでは島根県で最も古く、9世紀には開発が始まりました。1980年代まで銅やタングステンの採掘が行われ、県内では最後まで稼働した金属鉱山でもあります。

歴史概要

  • 『続日本後記 巻第五』(836年編纂)に石見國で銅を採ったことが記述。都茂丸山と推定される。
  • 『日本三代寶録 巻第九』(881年)「石見國美濃郡都茂郷丸山」で銅を採ったことが書かれる。
  • 天正年間(1573〜1591)に再開発
  • 1609(慶長14)年に石見銀山領になる
  • 1878(明治11)年 広島の藤野得一郎が経営
  • 1886(明治19)年 旧浜田藩士の北山武敬が試掘を行い失敗する
  • 1898(明治31)年 津和野の堀藤十郎(礼造)が経営。丸山官林坑を開発。鉱夫は一時数百人にのぼる
  • 1900(明治33)年から1906年頃まで、水津弥一(日原)、堀伴成(島根)、矢野賀一郎(愛媛)らが経営。丸山官林坑、山神坑で銅、亜鉛を生産
  • 1907(明治40)年頃、丸山鉱山が休山
  • 1919(大正8)年から1920(大正9)年 新治鉱山開発。谷本雅待(島根)、山田文友(東京)、吉村治三郎が経営。採鉱のみで 製錬は行わなかった。休業。
  • 1933(昭和8)年 都茂鉱山として、友田一平(島根)、梅原清雄(福岡)、櫻井兵五郎(東京)が経営。1938年から都茂工業株式会社
  • 1943(昭和18)年 協和鉱業株式会社の経営になる
  • 1946(昭和21)年 休山
  • 1951(昭和26)年 中外鉱業株式会社が買収。浮遊選鉱場を修理復旧。30t/日の処理能力から120t/日へ
  • 1959(昭和34)年 丸山鉱床の下部探査ボーリングで銅品位1〜2%、約100万tの埋蔵量を確認
  • 1973(昭和48)年 銅鉱石日産600tの最盛期。同時にオイルショックで銅の価格が80万円/tから30万円/tに急落
  • 1979(昭和54)年 中外鉱業株式会社都茂鉱業所の閉鎖(従業員125人)、現地法人の都茂鉱業株式会社の設立(77人再雇用)
  • 1986(昭和61)年 都茂鉱業株式会社解散。従業員12名により事業継続
  • 1987(昭和62)年 閉山
  • 都茂丸山銅山

    丸山の山中に残る坑道。これは江戸時代以前の坑道と推定されます。

    鉱石産出量と品位

    中外鉱業時代(1952〜1979年)
    銅鉱石:2,155,900t(平均品位0.99%)
    タングステン鉱石:54,369t(平均品位0.34%)

    都茂鉱業時代(1979〜1986年) 銅鉱石:428,162t(平均品位0.91%)
    タングステン鉱石:47,953t(平均品位0.34%)※1983年9月で採鉱中止

    元素の存在度と鉱石の品位

    1位  酸素     46%
    2位  ケイ素    27%
    3位  アルミニウム 8%
    4位  鉄      6%
     ・
     ・
     ・
    26位 銅      0.006%
    37位 鉛      0.0014%
    60位 銀      0.000007%
    67位 金      0.0000003%


    銅鉱石の平均的な品位 1〜2%
    銀鉱石の平均的な品位 0.02〜0.05%

    地質

     西南日本内帯に属し、軽度の動力変成作用及び熱変成作用を受けた粘板岩、左岸、珪岩、緑色岩および石灰岩より構成され、各層とも無化石で時代未詳であるが、他地域の秩父古生層と同様、二畳〜石炭紀のものと考えられる。

     古生層は、著しい褶曲および断層を受け特に後期の断層によりブロック化されて居り、その層序は下部より下部粘板岩層、滝本砂岩層、中部粘板岩層、芋尻珪岩層、粘板岩珪岩互層、上部粘板岩層と何れも整合的に累重し、全厚1,800mに達する。

     古生層中の主要褶曲構造はNE-SW系の官林−矢形背斜構造で、その東西両翼には、さらに翼部褶曲構造が発達して一つの複背斜構造を形成する。

     断層は、NE-SW系、NW−SE系に属するものが最も卓越して分布し、これらはN−S方向の加力による共役断層と考えられる。

     当地域に分布する火成岩類は、流紋岩、石英斑岩、石英閃緑岩、花崗岩、ひん岩、玄武岩よりなり、主として後期白亜紀の活動によるものと考えられる。

    鉱床

     当地域に分布する鉱床は、現在北より矢対、都茂、旭坑、嵯峨谷、芋尻、宝来、空山鉱床等多くの鉱床が知られ、これらの鉱床は殆ど芋尻珪岩層および粘板岩、珪岩互層中に分布しており、且つ数層の層準が認められる。

     主要な鉱床およびスカルン帯は、下表の通りである。

     鉱石鉱物は、黄銅鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、磁硫鉄鉱、磁鉄鉱より成り、金、銀の含有も高い。

     脈石鉱物としては、透輝石、柘榴石、金雲母、緑簾石、石英、方解石を主としコンドロダイドベスブ石、けい灰石、けい灰鉄鉱、魚眼石等を随伴する。

     鉱床は、広大に発達するスカルン帯に伴って塊状、レンズ状、層状、鉱筒状に形成されており、一つの交代でもこれらの組み合わせに変化がみられ、したがって鉱床は、各種の形態を示している。

    ※「地質」と「鉱床」の本文および下表は、中外鉱業株式会社都茂鉱業所の事業概要から転載。

    都茂丸山銅山
    都茂丸山銅山地質図

    都茂丸山鉱山の地質図。古生代の堆積岩が分布する地域にマグマが貫入して形成されたスカルン(接触交代鉱床)。

    都茂丸山銅山

    選鉱場跡付近に立つ標柱

    都茂丸山銅山

    都茂鉱山の床尻銅とみられる銅塊。4分の1に分割されている。

    2011年12月14日、益田市の文化遺産を未来につなぐ実行委員会主催で行われた講演の配布資料に加筆して作成。

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