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■天馬山の天馬石(安来市)

天馬石

天馬山の天馬石。石の直径は4mを超えます。

 安来市広瀬町上山佐の天馬山(標高251m)の山中(標高220m付近)にある「天馬石(割石)」は、球に近い形の大岩が切られたように真っ二つに割れた形が目を引きます。2020年に大流行した「鬼滅の刃」の1シーンに似ているということでにわかに注目されました。

 同じように割れた石は各地で知られており、その成因にはある程度の共通性があると思われます。

 石の割れ方は、その岩石の成因や形成された後に受けた力と関係があります。天馬石は花崗岩という岩石です。これは、マグマが地下の深い場所でゆっくり冷えて固まった岩石です。この岩石は、マグマが冷える時に縮むことによって大きくブロック状に割れ目が入ることがあります。この割れ目は地学の用語で「節理(せつり)」と呼ばれます。この節理が、天馬石の形や割れ方と深く関係していると考えられます。

 花崗岩は全体的に白っぽい石で、鉱物の粒がモザイク状に組み合わさり、「ごま塩」状の見た目をしています。花崗岩の風化は、縦横に入った割れ目に沿って進行します。この割れ目は地下深部にある時は高い圧力がかかっているためにぴったりと閉じていますが、地盤の隆起によって地表まで上昇すると圧力が小さくなるために割れ目が開口します。全ての割れ目が開口するわけではありませんが、開口した一部の割れ目は地下深部まで続いているためにそこに地表から染み込んだ水が浸透します。この水によって風化が進行します。

 鉱物の粒がモザイク状に組み合わさっている花崗岩は、鉱物のつなぎ目から風化が進み、鉱物自体は硬いままでありながら、つなぎ目は簡単に外れる状態になります。この状態になった花崗岩は「マサ」と呼ばれ、ハンマーなどで衝撃を加えると簡単に土砂状になります。割れ目を伝わって深部まで入り込んだ水によって、地下深くまでマサ状風化するのが花崗岩の特徴です。

 地下深部まで土砂状に風化する花崗岩ですが、ブロック状に割れた芯の部分が硬いままで取り残されることがしばしばあります。水の通りやすい部分から先に風化するため、一旦残された芯の部分は、未風化の状態で残ることがあるのです。このように取り残された芯はある程度丸みを帯びた形をしていることが多く、時には卵型のような球体に近い形をしています。その形状から、マサから産する硬い芯は「玉石」と呼ばれることがあります。風化花崗岩の分布地域では、この玉石を石材として用いることがあり、取り出して加工するほか、そのまま石垣などに用いている事例がしばしばみられます。なお、玉石は地学用語では「風化残留核」と言います。天馬石はこの風化残留核が地表に露出したものです。

 天馬山の花崗岩は、宮島や志津岩屋よりも風化が進んでおり、ほぼ全体がマサ化していますが、その中にも硬質な玉石が存在しており、尾根の所々に露出しています。全体に風化が進んでいる分、玉石も球体に近い形まで風化が進んでいるものが多く、天馬石もそのひとつです。天馬石の場合は、谷の中にあり、もとは尾根筋や谷斜面に露出していたものが、周囲が浸食されたことで谷底に落下したものと考えられます。

 風化を免れて硬いまま残った天馬石ですが、その岩体の中にはやはり割れ目につながる弱い部分がありました。その弱い部分は、天馬石が谷底に落下した時か、あるいはその後の何らかの衝撃で開口し、広がりました。これが天馬石が真っ二つに割れた原因です。

 40〜50年前には、子どもが岩の上に登って、割れ目の間を飛んで渡ることができたということなので、その幅は1mもなかったのでしょう。現在は割れ目の幅が2m以上あり、当時に比べるとさらに開いています。谷底が浸食されることで割れた片方がずれていき、割れ目の幅が広がったものと思われます。

天馬石のでき方のイメージ

花崗岩の風化イメージ

地下深くでマグマが固結して花崗岩ができる。冷却の段階でマグマが収縮して岩体に大きな節理が入る。

花崗岩の風化イメージ

花崗岩の岩体が隆起し、上部を覆っていた地層が浸食されることで地表に露出する。節理の一部は開口して水が地下深部まで浸透し、風化が始まる。

花崗岩の風化イメージ

節理に沿って風化が進む過程で、ブロック状に取り残される部分がある。取り残された風化残留核は地表の浸食によって露出することがある。

花崗岩の風化イメージ

玉石のひとつが谷底に落下し、潜在的に持っていた節理(弱線)に沿って割れたことで「天馬石」ができた。

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