笹ケ谷鉱山はおもに銅を産出した鉱山です。江戸時代には石見銀山御領として幕府の管理下にありました。
16世紀には本格的な開発が行われていたらしく、津和野町畑ケ迫地区の「笹ケ谷」、「石ヶ谷」、「山の内」といった地区でそれぞれ採掘されました。
鉱床は石灰岩や頁岩など古生代の堆積岩類を主体とする地層にマグマが貫入した際に形成された接触交代鉱床(スカルン鉱床)です。この鉱床は、熱水と堆積岩が反応することで形成されるものです。東大寺の大仏を作る銅を供給したことが判明している山口県美祢市の長登銅山、島根県でもっとも古い発見記録が残る益田市の都茂銅山も同じ鉱床型です。
笹ヶ谷鉱山の鉱床は硫砒鉄鉱などヒ素を含む鉱物を伴い、製錬時に副産物として亜砒酸が発生します。江戸時代には亜砒酸を用いた殺鼠剤を「石見銀山」の名で販売されました。、当時、江戸などの都市ではネズミが媒介するペストが流行しており、石見銀山ねずみ取りは全国に知られる商品になり、笹ヶ谷鉱山では銅の売り上げ額を超える主力の産出品にもなりました。
売上に貢献した亜砒酸ですが、昭和40年代にヒ素中毒による鉱害が大問題になりました。坑道から流れる水に含まれるヒ素が農産品などを通じて人に影響を及ぼすことになり、現在はヒ素の流出を防ぐために鉱山関連施設跡のかなりの部分はコンクリートで被覆されています。
笹ヶ谷鉱山の旧坑道から水が流れる谷では、水田だった部分をコンクリートで覆い、中央の水路を流れる水が周辺に影響しないように対策が施されています。